ふつうすぎる朝


「……」

ぱちり。

人は毎日同じ時間に起きていると、その時間に身体が勝手に目を覚ます。

例え場所が変わろうとも季節が変わろうとも、大幅にずれるという事は滅多にない。特に軍に所属するものは常に大きなラッパの音で目が覚めるのだ。

それを何年も続けていれば、軍を抜けた今でも中々抜けない癖である。例えラッパの音が聞こえなくても、だ。

ぼーっとする頭をわずかに差し込む光で覚まし、上半身を起こすと空気がキンキンに冷えている。できる事ならこのまま布団にくるまっていたい所だが、いつかは布団から出なくてはならないのだから気を引き締めて一気に布団から抜け出す。そのまま勢いで同じく冷えた軍服に袖を通した。

そして、上着は着ずにシャツの袖だけめくって手ぬぐいとともに洗面所へ向かう。起き抜けの頭を覚ますように冷たい水で顔を洗った。季節が春だろうが夏だろうがこの土地の水は温くなる事がない。

顔を洗うと少しは目も冴える。手ぬぐいで水分を拭き取ると鈍い反射の鏡の前で、自身と対峙した。少し眠そうな顔をしている自身の顔で、一番目につくのが髭である。

明治時代。上流階級から庶民まで髭を生やす事が男たちの間で流行していた。文明開化した日本では、髭が文化や尊厳の象徴となっていたからである。それぞれが髭を蓄え、自分に似合う形に整えていた。

だが、ナマエは髭を伸ばしていない。元々体毛が薄いというのもあるのだが、口回りに何かあるというのは落ち着かないのだ。そもそも髭とて急に生えるわけでもなく、チクチクした肌触りの山場を越えなければならず。それがどうにも我慢できないのだ。

今朝も見た目的にはそんなにいつもと大差はないが、肌に触れてみれば少し髭が生えてきているようだ。

「ふむ」

ナマエは髭を確認すると、備え付けの髭剃りを持ってきた。そして刃先を慎重に、口回りの肌を切らないように器用に肌の上を滑らせる。

そうして真剣に鏡をのぞいていると、ふと鏡の中に見慣れた男が写り込んだ。じっとこちらを見つめる瞳はしっかりと開いていて、自分よりも早く起きていた事が伺える。

「…おはよ。そんなに見るなよ、恥ずかしい奴だな」
「見学してただけだ」

だが未だになんの準備もしていないようだ。宿屋の浴衣に身を包んだまま、こちらにやってくるとすぐ真後ろに立った。一度はなんの意図があってかと少し振り返ってみたが、よくよく考えれば振り返らずとも鏡越しに視線があうので、まぁいいかとそのまま髭剃りを続行する。

「お前それ剃る意味あるか?」
「あるに決まってるだろ」

見えずとも微妙にチクチクした肌はやはり気に入らないのだ。

一挙手一投足を見逃さない、黒々とした瞳にじーっと見られているとどうにもやりにくい。が、やはり毎日やっている事であってそんなに大袈裟に失敗する事はない。剃り終えた肌に触れるとようやくつるりとした顎になった。

寝ている間にボサボサになってしまった髪も櫛で梳かしていつも通りの髪形だ。ちょっと寝癖はついているが、軍帽をかぶってしまえばあまり関係がない。鏡の前で軍帽をかぶり、どこか変な所がないか確認を終えると、そこでようやく朝の準備が完了した。

「で、尾形はいい加減身支度整えろよ」
「あぁ。そうだな」





人が身だしなみを整える姿というのは、深い意味はなくともなんとなく見てしまうものである。特に身近な人間ならなおのこと。

起きたばかりの少し油断した姿から、きちっと身だしなみを整った姿に変わる様は中々面白い。顔を洗い、髭を剃り、髪を整える。ただそれだけの事であるが自然に表情も緩む。

ただ後ろでじっとその変身を見ていたが、いい加減鏡ばかり見ていないでこちらにも目をやって欲しいものだ。準備を終えたタイミングを見計らってその肩をちょんちょんと突けば、ようやく振り返ったナマエと直接目があう。

「?どうした」

朝の準備を終え、軍服をきりりと着こなすナマエはいつもの完璧な姿だ。だが、完璧なものほど崩して見たくなるのは人間の性か、単に尾形の趣味なのか。少しだけそれを乱してみたくなったのだ。

かぶったばかりの軍帽の鍔を持ち上げれば、顔に落ちていた影がなくなり、日の下に少し困惑したような表情が現れる。普段はすました顔をしているナマエが、時折見せる別の顔にたまらず口角が上がるのが自分でも分かった。

(…悪くないな)

軍帽を取る。なんて事はないその動作ひとつでこうも表情が変わるのは愉快だ。もっと乱してみたいと小さな悪戯心がむくむくと大きくなる。

続けて額にかかる前髪をかきあげてみると、つるりとした額が露わになる。普段は軍帽や前髪で見る事ができない場所だ。額など、それこそいつだって見ようと思えば見れるものであって、今まで見ようともしなかったし気にも留めた事はなかったのだが。改めて見てみると、新鮮でそれが特別に思えるのだから不思議だ。

その額をよく見えるように前髪を後ろに撫でつけた。

「!?なんだよ」
「したくなったからした」

お前がそんな面白い反応をするから悪い、なんて事言ったらまた狼狽えるのだろうか。
想像して思わず笑ってしまう。

さて、悪戯をしたからには責任をとって髪を戻してやらねば。そう思い立ち、前髪を上げっぱなしの手を離して、抑えつけたその髪を下ろしてやろうとしたその時。ふと気が付いてしまった。

「あぁ、でもこれ視界がスッキリしてていいな。楽かも」

抑えたせいで前髪を後ろに撫でつけたようになったその髪型は、自分と同じじゃないだろうか。露出された額にさらりと落ちてくる髪の束が色気のようなものを感じさせる。
本人も新鮮なのだろう、鏡に振り返って姿を確認している。前髪を撫でつけるその仕草は、時折自分が癖でやってしまうそれと同じなのに、こうも胸にくるのはどうしてだろうか。

「はぁ…」

自分らしくない、甘ったるい気持ちを小さなため息と一緒に吐き出して、尾形は鏡に映るナマエの前髪をぐしゃぐしゃとかきまぜた。乱された髪は周囲の髪とゆるく絡まりながら重力に応じて額を隠す。

「うわ、」
「お前はいつも通りの方がいい」
「…身勝手だな、お前」

その額は、自分だけが見れればそれでいいのだ。
それに前髪を気にするようなその仕草も、尾形は案外お気に入りなのだ。照れながらボサボサの前髪を直すその姿をちらりと見ると、尾形もようやく髭剃りを手にとった。


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リクエストありがとうございました!
何気ない朝の話を書きたかったのですが、不思議な展開に('_')…。
兵舎にいた時よりも外に出た方が身近に感じる機会が増えてドキッとすれば…いいですよね…。

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