島津の盾は絆され気味


※オリジナル設定有

心地よい風が木々を揺らし、遠くから子どもたちのはしゃぐ声を運んでくる。
実に平和で穏やかな昼下がり。
そんな風に感じた自分に驚いてナマエは眉間にしわを寄せた。
子どもの声など煩わしいと思っていたのに、いつの間にか慣れっこになってしまっている。
そうなってしまったのは、言わずもがな島津の甥達のせいだ。
むすっとした顔を隠そうともせず、あぐらの上で頬杖をついたナマエが見据える視線の先には一人の少年がいた。

広すぎず、かと言って狭すぎず。整えられた庭の中で黙々と竹刀を素振りしている少年はもうすっかり見慣れた甥の秋弘である。
甥の島津兄弟と言えばいつも仲良し六人組だが、今日は一人だ。
何故一人で来たのか、なんてことは直接聞いてはいないがナマエはおおよそ予想がついていた。
以前兄弟たちが帰った後、トモダチに今の島津家を教えてもらったのだ。

『貴方は島津家に興味がなさすぎますよ!ご自分の家族でしょう』
『兄上が誰と結婚しようが家督が誰になろうが俺には関係ない』
『ハァ〜もうそこらへんの町民の方がまだ島津家に詳しいんじゃないですか?』

あまりにも興味がなさすぎて忘れていたのを、トモダチには思い切り呆れられたが。

たしか秋弘の母は正妻で、春久、夏樹らの母は側室の姉妹らしい。
兄弟たちが仲が良くても、母同士は不仲なのだろう。

(秋弘だけ一人で出歩いてるって事は大方他の兄弟たちは母に呼び出されたとかそんな所か)

何はともあれそんな子どもに出ていけというのも、わずかに残る良心が痛む。
ナマエは渋々、仕方なく一人だったらいいかと家にいれたのだ。
秋弘は夏樹みたいに騒がないし双子みたいに悪戯をする訳でもないし、春久みたいに気を使い過ぎない。
とても平坦な子どもだ。
しかし、だからこそだろうか。

「……」

まるで凪いだ湖のような無表情が妙に目を引く。
一体何故気にかかるのだろう。自分でもよく分からない。
その答えを探していると、ふと秋弘の動きが止まった。
もう何回素振りをしているだろうか。数えるのはとっくのとうにやめてしまった。

(やっぱり飽きたか?)

俺だったらこんな単調な訓練すぐに飽きる。
ナマエが自問自答している間に、秋弘はそのままこちらを振り返る。

「あの、おじさん」
「……おじさんはやめろよ。一気に老け込む気がする」

彼らからしたら間違いなく叔父ではあるのだけれど。
まだ髭も生えていないし他の家老よりは年が近いはずだ。
ナマエが渋い顔を見せると、秋弘は少し迷った後「ナマエ様?」と首を傾げている。
まぁいいか、それで。

「何だよ」
「あの、ナマエ様って強いんですか」
「あ?」

あまりにも不躾な質問だ。
ナマエの顔付きが一層険しくなる。

「トモダチがナマエ様はすごく強いって言っていました」
「別に普通だよ。フツー」
「そうですか……」

そう呟く秋弘は明らかに落胆した様子で、また静かに刀の素振りを始めようとする。
それがナマエにはカチンときた。
今秋弘の中での自分の地位が確実に数段下に下がったような気がする。

「俺の事をただのぐーたらしてる奴って思っただろ」
「いえ、そんな事は」

しれっと視線を宙にそらすあたり顔は正直だ。

「よし、丁度素振りも退屈しただろう。勝負しようぜ」

それを黙って見過ごす事などできやしない。
比べられるのが例え棟梁だろうと見知らぬ兵士だろうと勝手に負けを喫するなど己のプライドが許さなかった。
ナマエの突拍子もない話に、秋弘がはてと首をかしげる。

「勝負?」
「俺から一本とれたらお前の勝ち」

我ながら実にシンプルな条件だ。
もちろんナマエと秋弘では体格やら諸々差がありすぎるから、ナマエは一歩も動かない制約を自らに課せる。なにやら秋弘が不服そうな顔をしていたが無視だ。
物置に仕舞いこんでいた竹刀を引っ張り出して、何度か宙を切る。
まとわりついていた埃が風切り音と共に落ちていく。
そしてようやく満足したナマエはごく自然に竹刀を構えた。

「ほら、どこからでもかかってこいよ」

対峙した秋弘はこくりと頷き、竹刀の矛先をまっすぐにこちらに向けた。
使い古された竹刀越しに見えるその目に熱が灯る。
雰囲気が変わったのをナマエは見逃さなかった。

「おっと」

まるで稲妻のように秋弘の体が一直線に突っ込んでくる。
反応が遅れたわけではない。
むしろ反射的に竹刀を構えて胴打ちを防いだものの、わずかに腕が痺れる。
やはり島津の子どもだ、とナマエは竹刀をさばきながら思う。
太刀筋や立ち振る舞いは骨の髄まで叩き込まれているのだろう。見事に仕上がっている。
ただしそれはあくまでも子どもにしては、という話だ。
竹刀の側面を受け流し、そのままがら空きの面に竹刀を振り下ろす。
ぶつかる寸前、ふっと指の力を抜いた。

「いたっ」
「はい一本」

秋弘の額からパシッと良い音が鳴った。
手加減をした竹刀とは言え、ぶつかればそれなりの衝撃がある。
竹刀をどけてやると、顔の真ん中にぎゅっと力を入れて梅干しみたいな顔が見えた。
痛いのだろうか、悔しいのだろうか、おそらくどっちもだろう。

「ふっ、なんだその顔」

ナマエがつい笑いをこぼすと、悔しそうな眼差しがこちらを見上げてくる。

「もう一本おねがいします」

負けず嫌いなのも島津の血か。
もう一度構えた秋弘が飛び掛かってくるのを往なして、今度は小手を叩く。するとまた「もう一本」と続けざまに竹刀を振るうのだから勝負というよりはただの稽古だ。

「おーい。もう俺の勝ちでいいだろ」
「まだやります」
「体力底なし沼かよお前」

思わず独り言だってぼやいてしまう。
それから小一時間ほど相手をしていただろうか。
日も傾きかけ、さすがにナマエも気怠くなってきた。ずっと同じ場所に立っているのも飽きる。
久しぶりに戦い続けた両腕から力を抜いてしまうと、もう竹刀を振るう気も起きなかった。

「あー疲れた。もう終わりな」

これだけ戦えばさすがに秋弘も満足しただろう。

『そうですね』

なんとなくそんな声が聞こえてくる気がする。
そう思いながら秋弘がいた場所を見やると、そこには誰もいなかった。

「隙ありっ!」

背後からの気配。緩みかけた緊張の糸がピンと張りつめる。
振り返る寸前、身体の奥から熱い何かが溢れ出る。
光の速さで背中を守るように形成された大きな輝石は端から見ればまるで奇術だ。

「うわ!?」

ゴンッとこれまた見事な音を立てて、秋弘は輝石の壁に阻まれた。
夕日を浴びてもなお眩く緑に輝くそれに、竹刀を振りかざした姿のままぺちゃんこに張り付いた秋弘が見える。

「おい秋弘。大丈夫か?」

ピクリともしない。
こうして見ると琥珀の中に閉じ込められているみたいだ。
綺麗だが、同時に悪趣味だとも思う。
端の方から砂のように消えていく輝石の光の中で、やっと動き出した秋弘の瞳はまんまるに見開かれていた。

「す……」
「ん?」
「すごい、きれいですね」
「そりゃあどうも」

今度はナマエが驚く番だった。
気持ち悪がられる事はあれど、褒められるとは思ってもいなかった。
素直に褒められると少し照れくさい。
秋弘の目は空気に溶けた輝きとナマエに向けられていた。

「こんな風になれたら……」

それはぽつりと零れた言葉だった。
きっと心の声がそのまま出てしまったのだろう。
その声色には憧れと羨望が混じっている気がする。
夢でも見ているような、純粋な心の先に自分がいるのならばそれはなんてくすぐったくて誇らしいのだろうか。
口の端が緩んで、少し気持ちが跳ねる。そんな気分だ。
けれどそれは憧れられるような立派な人間だけが感じる事だ。

「俺は俺みたいにはなりたくねぇけど」

ナマエの言葉に返事はない。
秋弘には聞こえていないようで、少しホッとした。ただの独り言だ。聞かれたいものではない。

「ほら。勝負は終わり。俺の勝ちな」

誤魔化すように呆けている秋弘の夕日色の髪をくしゃりと撫でてやる。
思ったよりも小さな頭に驚いたのはもちろん秘密だ。

「刀気を使うのはずるいです」
「使わないとは言ってないからいいだろ」

そう言いながらナマエはぺろりと舌を出す。
おそらく竹刀でも受け流せてはいただろうが、本能的に危険を察知した刀気が勝手にあふれ出たのだ。それほどまでに先ほどの秋弘には気圧された。
一瞬でもヒヤリとしたのだから大したものだ。
ただこれはナマエのメンツを賭けた勝負である。
規則は破っていないし、勝ちは勝ちに違いないというのはナマエの理論だ。
目の前の子どもが納得しないのも予想の範疇。

「おとなげない。もう一回、」

懲りずに挑んでくる秋弘をひらりと躱して、ナマエは手刀で竹刀を握る手首を真上から叩く。
放り出された竹刀を即座に回収して、疲れ切った腕で乱雑に頭をかいた。
結局切れなかった黒髪が埃にまみれてギシギシする。

「あーうるせぇな。じゃあまた今度勝負してやっからそれで手打ちにしろよ」
「今度っていつ?」

妙にきらっきらした目がじぃっと見上げてくるのが、ナマエはどうにも気まずい。
自分はこんな視線を向けられる人間ではないのだが。
秋弘や他の甥達も平気でナマエが一方的に引いた線を飛び越えてくるのだから困ったものだ。

「あー……刀の試しが終わったら」
「それっていつですか?」
「さぁな」

とりあえず言える事は刀の試しが行われるのは何日、何ヶ月の話ではなくもはや数年後になる事は間違いないのだけれど今の秋弘には知る由もないだろう。むしろ知らなくていい。
ひとまず今を言いくるめたいナマエは「また今度な」と念押しする。
案の定秋弘はよく分かっておらずぶすくれていたが、とりあえずは了承してくれたらしい。

「約束」

小指を絡ませて子どもらしい約束をしてくるのをナマエは面倒くさがってそのままハイハイと頷いた。

「よし、じゃあ今日の勝者は俺だから俺の言う事を聞け」

代わりに指切りが終わったとみるや否や、秋弘を米俵のように担ぎ上げた。「えっ」と驚いた顔をしているのも無視して、ずんずんと家屋に歩を進める。
竹刀は縁側に放り投げた。あとでトモダチが拾ってくれるだろう。

「とりあえず風呂に入りたい」

まずは埃と汗にまみれた身体を綺麗にしなければ休むものも休めない。
一直線に風呂場に向かったナマエは容赦なく秋弘を浴槽に突っ込んだ。



ナマエの家はナマエと時々トモダチが出入りするくらいなものだが、出自が出自だけに一般家庭よりは大きな家に住んでいる。
風呂も同じく一人で入るにはそれなりに広いもので、秋弘が入ったとしてもまだまだ広い。

「うちのより狭い」
「城と比べんな」

ただし城と比べたらどの家の風呂だって狭いに決まってる。
城育ちだからしょうがないとは言えこのお坊ちゃん感覚はそのままでいいのだろうか。
少し不安な秋弘の将来をぼうっと考えていると、件の少年が飽きもせずじーっとこちらを見てくるのに嫌でも気づく。

「なんだよ」
「さっきの、輝石ってどうやったら出せるんですか?」

それは純粋な疑問だった。
島津家の人間なのだから刀気については一通り学んでいるのだろうが、それでも子どもにとってはまだまだ不思議な力という認識なのだろう。
ナマエは浴槽の縁に肘を引っかけて、大きく息を吐く。
水面がわずかにさざなみ立った。

「お前戦うのが好きなのか?よく食いついてくるなァ」
「いいえ。本当は目立たない所で本を読んでいる方が好きです」
「それはそれで意外な」
「でも今は早く強くなって兄上の役に立ちたいんです」

秋弘はそれはもう楽しそうに新たに春久達と考えた連携技の話をする。
この前話した連携技とはちょっと違うらしいが、いまいちその違いはよく分からなかった。真面目に聞いていなかったからかもしれない。
ナマエは適当に聞き流しながら、「なるほど」と独り言ちる。
年齢で言えば秋弘より春久の方が年上だし、日頃の関係性を見ていても春久を尊敬しているようだ。家督を継ぐのも春久だと信じて疑わないのだろう。

(だが魂の色によっては何もかもひっくり返るのがこの島津)

島津家では魂の色が全てなのだ。
しかし今目の前で夢に燃えている子どもに誰がそんな話ができるだろう。
あくまでも可能性の話だ。

「その心意気は結構だがな、俺のは参考にならないぞ」

子どもにわざわざあるか分からない未来の話をした所でただ悲しいだけだ。
ナマエは秋弘の意思を尊重する事にした。
春久達が家に来て凹んだ所を慰めるなんて面倒くさいからという理由では決してない。

「どういう事ですか?」
「輝石は普通鬼鉄刀を持った時に出るもんだが、俺のは他の奴と違って勝手に出る。お前も見ただろ」

輝石は刀の試しに合格した時に出る魂色を映した鉱石のようなものだ。
鬼鉄刀を振るう際によく見られるものだが、ナマエの場合輝石は命の危機を感じると身を守るように現れるのだ。ただしずっと残り続けている訳でもない。
何かきっかけがあるのか、しばらくすると消えてしまう。
そのタイミングが自分自身、いまいち分からないのだから不思議でならないのだ。

「参考にならないって言っただろ」

だから教えられないし理解もされない。
人に何かを教えるというのは嫌いなのだ。
ポカンとしている秋弘を見ると、おかしなものでも見たような目つきの名も知らぬ兵士達を思い出す。
嫌な記憶を追い払いたくて、ナマエは適当に話題を変えた。

「俺からお前に教えられる事はねぇよ。魂色が緑ならまだしも」
「俺が緑だったら教えてくれるんですか?」

秋弘が湯舟の中で立ち上がると、跳ね上がったお湯が波になって胸元に押し寄せる。
波と一緒にずずいと目の前に迫ってきた。
幼い顔を掌で押し返すと、ムッと顔を顰められる。

「俺は教えるって柄じゃないし、決めるのは兄上次第だろ」
「じゃあ俺魂色が緑だったらナマエ様を師匠にしてくださいってお願いします」
「お前人の話聞いてないな」

まだそうなると決まった訳でもないのに、嬉しそうに秋弘は再び湯舟に浸かる。
もう秋弘の描く未来に自分は師匠として組み込まれたらしい。
ご機嫌にフンフンと口ずさむ鼻歌が浴室の壁に反響する。
下手クソだが悪くはなかった。

「城にまともな奴はいないのか?いくらでも教えてくれる奴はいるだろ」
「ナマエ様がいいです」
「あ?」
「優しいからナマエ様がいいです」
「……あっそ」

分かった。秋弘が妙に気にかかるのはきっと、兄弟達の中でも一番変わっているからだ。
面と向かって優しいなんて言う奴は初めてだ。
ナマエは目を閉じて小さく息を吐く。
優しくはないと思うが、最早訂正する気にもならない。

「そろそろ風呂出て飯食おうぜ。腹減った」

湯舟に寄りかかった姿勢から、ナマエはゆっくりと立ち上がった。
慌てて秋弘も勢いよく立ち上がったのがザパンと揺れる水音で分かる。

「いいんですか?」
「いいも何も、もう用意されてるだろうよ」

風呂に浸かっている間にかすかだが家の鍵が開く音がした。
合鍵を持っているのはトモダチくらいなものだから、おそらく夕飯を作りにきたのだろう。
世話焼きを具現化したような人間だ。
玄関にある秋弘の靴を見て、三人分の料理を作っているに違いない。
案の定、脱衣所に戻るときっちりナマエと秋弘の着替えが置いてあるのだから用意周到だ。むしろ気が回りすぎて怖い。
小さな着替えセットを適当に秋弘に投げて、ナマエはビシッと指をさす。

「いいか。飯食ったらちゃんと帰れよ」
「はいっ」

元気のよい返事を聞きながら、真新しい着物に袖を通す。
ぼたぼたと水滴が髪を伝っているのが分かったが、面倒になって一括りにまとめてそのまま踵を返した。
後ろからついてくる足音を耳にしながら、ふと考える。
自分以外の誰かと風呂に入るなんて少し前の自分が聞いたら卒倒しそうだ。
だがナマエは不思議な気分だった。
甥達のおかげで一人の長い時間は騒々しくてあっという間に過ぎるものに変わってしまった。
しかもそれがとてつもなく嫌な訳でもない。
ナマエは自分でも心境の変化に戸惑っていた。
気難しい顔で厨房に出向くと、出汁のいい匂いがする。
些細な悩みはタイミングよく鳴った腹の音にかき消されてしまった。

「おいトモダチ」

厨房の中で忙しなく動き回るトモダチがくるりと振り返った。

「今日の飯は「あ、ナマエ様!風呂上りは髪をちゃんと拭いて出てきてください。秋弘様が真似なさるでしょう」
「母親かお前は」

しかし包丁を持ったまま言われるとさすがのナマエも頷くしかない。
今晩の夕飯はトモダチ次第だ。「どうぞ」と乾いた手拭いを手渡され、再びまな板に向かっていく姿はまさに主婦である。
ナマエは渋々突っ立っている秋弘を手招きした。

「秋弘、ちょっとこっち来い。拭いたら飯だ」

おそるおそる近づいて来た橙に手拭いをかける。
そのままワシワシと乱暴に頭をこねくり回すと、なんだか小動物でもかまっている気分になる。

(こんなの柄じゃないってのにな)

ふと自嘲気味の笑みをこぼす。
手拭い越しに秋弘がこちらの様子を伺っているのが伝わってきたが、無視して更にぐしゃぐしゃに髪を拭いてやる。すると「くすぐったいです」とむすくれた声が聞こえてきて、ナマエはやっと手仕舞いする気になったのだった。

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