真面目先輩と宇佐美11*


自然とは人の手に負えないものであるとナマエはつくづく思う。
疲労に屈して俯いていた顔をあげたその先には、青々と茂る枝葉がこれでもかと重なって影を作っている。
わずかに見える木漏れ日が星みたいで綺麗だ。
思わず目を細めてみたが、今の目標はこの先に広がる青空である。
果たしてこの空が望めるようになるのはいつになる事やら。

ため息をつきたくなるのを抑えて、ナマエはズレた帽子の鍔を直しながら目前の仕事に意識を向けた。
本日のナマエの仕事は監視業務である。
正しくは本日も、であるが今のナマエは網走監獄の裏山にいた。

網走監獄は一方を川、一方を山に囲まれた天然の要塞のような立地である。
囚人を逃がさないという点においては心強い環境だが、自然というものは何分手がかかる。
放っておけば木々は枝葉を伸ばして忍び寄ってくるのだからキリがない。
労力ばかり必要になるこの仕事は、いつしか囚人の労役になっていた。
囚人たちは汗水たらしながら木を倒し、草を抜き、少しずつ森を切り開く。
朝から初めて日が沈む頃には周囲はさっぱりとした風景に変わるのだ。
ただし囚人たちは自由に仕事をしている訳ではなく、二人一組になって片足ずつ一つの鎖で繋がれている。外で労役をこなす時の必須道具。逃亡防止の拘束具だ。
そして彼らが逃げず、喧嘩せず、働くようを監視するのがナマエ達、看守の仕事である。

仕事に取り組む囚人、監視をする看守。まだまだ生い茂っている森の中。
あちこちに意識を散らしながら作業場を見回っていたナマエはふと木陰からチラリと覗く派手な橙色に気が付いた。
つかつかと速足で近づき、木の幹を回り込む。

「お前達、休憩はまだ先だぞ」
「ゲッ、クソ真面目看守」

ぬっと顔を出すと、案の定。二人組の男達が木の根を椅子代わりに座り込んでいた。
彼らは人の顔を見るや否や、ひどい物でもみたように顔を顰める。
囚人の態度の悪さなど慣れたものだが、クソ真面目看守などと言われたのは…初めてではなかった気がする。
ナマエは顔色ひとつ変えず、橙色を見下ろした。
山の中で目立つこの色も、逃亡防止策の一つだ。とは言えこうして作業場からこっそり抜け出している所を見ると、まだまだ改良の余地がありそうだ。

「人に悪態つける余裕があるなら働け。怠けが過ぎると懲罰の可能性もあるぞ。それとも逃亡未遂にされた方がいいか?」

さっと足元に視線を落とすと、きっちり足首には錠がかかっている。
ひとまず脱走をしようとしていたわけではないようで、内心安堵したのも束の間。
囚人たちの顔を記憶の中から引っ張り出して、要注意の烙印を押す。
何もなくとも脱走を企てた可能性もある。
事実、以前はこうした野外の労役中に逃げ出した者もいるらしい。なんでも鎖で繋がれた相手を鉄道に轢かせて逃亡しただとかなんとか。ともかくおぞましい話である。
だからこそこうした些細な事も見逃さず、目を光らせるのは看守の仕事だ。
立て、と声をかけると男達は渋々と言った顔で立ち上がる。

「休んでた分は取り戻せ。ここを綺麗にしないと永遠に終わらないぞ」
「へいへい」
「そうは言うけどどこまで切り倒せば終わりなんだよ」

ぶつぶつと文句が垂れながら男達は働いている囚人たちの中に戻っていく。
それに気付いた看守が声を荒げたが、ナマエがじーっと見ているのに気が付いた途端ギクリと肩を跳ねさせていた。
どうせ失態が露見してしまったとでも思っているのだろう。

(だがこの仕事は囚人も看守も、正直俺も気が参る……)

囚人たちの言い訳も、看守の凡庸な失態も許される訳ではない。
ただ理解できなくもなかった。
囚人たちを働かせて山を開くのはいいが、上司の言う指示は曖昧で、「この辺りを切り開く」などと言うが”この辺り”はどの辺りなのかさっぱりだ。
しかしこの作業は間違いなく日が沈むまで続く。
当然長引けば長引く程看守の中にも集中が切れる者も現れる訳で、そういう人間も漏れなく一人であちらこちらへフラフラするものだ。

「おい楠本。持ち場を離れるな」

さりげなく視界から少しずつ後退していく人を、ナマエは決して見逃さない。
素早く首根っこを掴んで、自分の隣に引き戻す。
同じ看守服を身にまとった男、楠本をナマエは呆れ混じりにねめつけた。

「ちょっと厠……」
「お前さっきもそう言ってただろ」

言い返すと、楠本はヘラヘラ笑って誤魔化す。
ナマエはこのだらけた顔を見る度に、この楠本という男が掴みどころのない柳のような男だと思うのだ。

「ただでさえお前は目立つんだ。自覚ないのか?」
「そりゃ分かってるけどさぁ」

間延びした語尾に釣られて、楠本はがっくりと首を項垂れる。
この網走にはたくさんの看守がいるが、楠本は文字通り頭ひとつ抜け出た男である。
こうして頭が垂れてもなお変わらない視線の高さ。見上げていると、その笑顔の意味も勘違いしてしまいそうになる。
半ば八つ当たり気味に襟元を後ろにひっぱると、潰れたカエルみたいな声がした。
すぐさま薄く水の膜を張った恨めし気な視線が落ちてくる。

「休憩も交替も適度にやってるだろ」

ナマエは全く気にも留めず、しらっと無視した。
楠本の自主休憩はただの怠けだ。そして甘い顔をすれば遠慮なく更に気を緩めるのだから、ナマエの目も厳しくなるというものだ。
見るからに肩を落とされても見過ごしたりはしない。

「ナマエさ、例えばだけど俺がこのまま振り切って行ったらどうするの?」
「楠本が漏らして泣きべそをかいて逃げたと報告するかもな」
「嘘嘘。冗談です。厠はまだ平気だわ」

楠本の顔が一瞬でキリリと引き締まり、わざとらしい敬礼をしてみせる。
こうしていると立派な看守なのだが、それが今だけのフリだと言うのは普段の態度を見ていれば分かる。
すぐに失われる事に、今何を言った所でしょうがない。

「でもなぁ、俺今すげー眠いからせめて眠気覚ましに話に付き合ってよ」

ナマエは信じられない思いでチラリと楠本を盗み見た。

「……前から思っていたがお前なんでこの仕事やってるんだ」
「ぼーっとしてれば一日が終わるから?」
「クズ本だな」
「他の奴らにも言われた」

そうだろうな、とナマエは心底思う。
見張りはたしかに突っ立っているだけのようだが、とにかく気を張る仕事だ。楠本にとっては違うようだが。
なんだかこちらまで脱力してしまいそうになる。
気を取り直そうと護身用にと所持している小銃を肩に背負いなおして、背筋を伸ばす。
絵にかいたような看守の姿でナマエはじっと囚人たちの仕事を監視する。

「なぁ俺さずっと気になってる事があるんだけど」
「この状況で話を続けるか普通」

たしかに話をしないとは言わなかったが。
目線を前に向けたまま、ナマエは渋々口だけ付き合ってやる事にした。
いくら怠け者とは言え、目が多いにこした事はない。

「まぁお前が仕事するなら少しだけな。それで、あー何だって?」
「お前あの新人とデキてんの?」
「ん?」

ナマエは首を傾げた。
今一体何と言っただろうか。一瞬にして思考停止状態になる。
だが楠本の台詞を脳内で一度二度と反芻して、やっと理解ができた。

「はぁ?!」

思わず素っ頓狂な声が出た。
勢いよく振り向くと楠本は最初からこちらを見ていたらしい。
面白そうにニヤッと笑いかけてくる。
普段であれば間違いなく「ふざけた事を言ってないで前を向け仕事をしろ」とでも言っただろうが今のナマエにとっては耳に飛び込んできた声の方がよっぽど聞き捨てならない。

「いや実はさ、俺見ちゃったんだよ」
「何を」

さすがのナマエも顔色を変えずにはいられない。
最悪なことになった。
そう思いながら、ナマエはとにかく冷静になろうと気を落ち着けることに努める。

「何をって言って欲しい訳?」
「結構だ」

そんなナマエをかき乱そうと、楠本は気安く話しかけてくる。
楠本に言われなくても心当たりなど山ほどあるのだから、他人の口から聞きたいなどと思う訳もなく。しかも宇佐美と何をしていたかなんて答えは結局ひとつしかないのだ。

(まさか、見られたなんて末代の恥までのだ)

どうにか言い逃れできないものか、頭の中で考えてみるが逆に気持ちが昂ってくる。
心の中に焦りだけが募る中、さらに楠本が口を開こうとするものだから慌ててその口を手で塞いだ。

「ちょっと待て、場所を変えよう」

仕事を抜けるなど言語道断だ。
だがこの男をこのまま放置していたらどうなるだろう、考えただけでも更に肝が冷える。
余計な事が広まれば今までの看守生活は終わってしまうに違いない。
それだけは絶対に嫌だ。
ひとまず作業場から黙りこくった楠本を連れ出して、まだ鬱蒼としげる山の中に紛れ込む。
ここなら早々に人はやってこないだろう。

「はは、正々堂々抜け出せた。さすが信頼実績のあるナマエくん」

第一声がこれだ。
大きく背伸びをする楠本を、ナマエは一喝するようにヘラヘラした顔を睨みつけた。

「終わったらすぐ戻るに決まってるだろ!一体どういうつもりなんだよ」
「どうもこうも、本当に退屈しのぎだよ。眠気が覚める話題の方がいいだろ?」
「ふざけるなよ」

つい声にも苛立ちが混じる。
こちらは眠気どころか下手をすれば死にそうな程心臓がバクバクしているのだ。
素直に反応する冷や汗が額に浮かんでは不快感と共に伝い落ちてくるのを手の甲で拭う。焦ってるなどと気取られたくはない。

「悪い悪い。まさか本当だとは思わなかったからさ」
「あ?」
「冗談のつもりだったんだけど、否定しないから。本当だったんだ?」

再び数秒、ナマエの頭は機能を停止した。

「っお前鎌かけたのか!?」

とんでもない事実に仰天して、ナマエは目を大きく見開いた。
驚きすぎて、中途半端に開いた口を閉じる事もできず、その顔に驚嘆の色に染めた。
楠本はせせら笑って、ただその様子を上から見下ろすばかりだ。
驚くのはほんの一瞬の出来事で、それは一瞬で怒りに変わる。
ナマエが再び目つきを鋭くした所で、真正面からさらりと受け流して、むしろぐっと一歩近づいてくるのだからナマエも一歩引いてしまう。

「あの堅物代表みたいなナマエが意外だな」
「いや違う、これは宇佐美が「宇佐美から言われたんだ?まぁそりゃそうだよな」

勝手に納得した楠本を見て、ナマエはさっと口を噤んだ。
また余計な情報を与えてしまった。
ほんの少しの沈黙、その間に考えた。

「……お前、これ知ってどうしたいんだ?」

今日の楠本はよく喋る。
しかもわざわざ鎌をかけてまで、触れられたくない事ばかりだ。
楠本と自分は完全に相容れない、真逆の性格だろうから嫌われていてもおかしくはないが。いやがらせ、というよりは脅迫のネタ探しに近いだろう。
本当に面白半分で言っていたら、それはそれで悪趣味だ。
とにかく目的がはっきりしない限り、どうにも出にくい。
楠本が反応するまでの間、緊張で手のひらが湿ってきた。

「俺の事を脅したいとか」
「そういうつもりはないけど、ちょっと興味はあるなぁ」

そんな言葉と共に近づかれると、いつもは斜め上にある顔が目の前にあった。
息遣いまで聞こえてきそうな危ない距離感に、咄嗟にナマエも後ずさる。

「近い近いなんなんだ一体お前まで!」
「いやだってナマエって普通に男じゃん。しかも面白みがない程真面目すぎる。何がいいんだろうと思って」
「自然に俺の事をこき下ろすな」

楠本は考え込むように顎を撫で、食い入るようにナマエの顔を覗き込む。
まつ毛の一本一本まで品定めされているみたいで、全身がぞわぞわと粟立った。
今の今までそんな事を一瞬たりとも考えた事のない人間の、色交じりの視線のなんと気持ち悪い事か。

「ナマエが床上手とも思えないし……後ろの具合とか?」
「っこの野郎」

ひどい侮辱だ。
その態度も言葉も何もかもがナマエの琴線に触れ、カッと頭の芯が熱くなる。
どうしようもない怒りが抑えきれずに頭の中で爆発していくようだ。
ヘラヘラ笑うその横っ面を一発殴ってやりたい。
理性よりも感情に従った手がすっと楠本の胸倉に伸びた。
瞬間、誰かが間に割って入ってきた。同時に伸ばした手首が捕まれ、掌は宙を掴む。

「先輩」

ナマエは瞬時にそれが誰だか分かった。
俯いて帽子の鍔に目元が隠れようとも、両頬にある黒子のおかげで誰と間違える事もない。

「宇佐美、手を放せよ」

分かってなお、眉をしかめて凄んで見せた。
実際の所、手首に入る力が強すぎてこのまま折られてしまいそうなのだ。
早急に手を放して欲しい。だが放してくださいなどと頼みたくはない。
一向に手が離れず、ナマエは強引に振りほどこうとしたがやはり力が強い。

「おい、いい加減に「なんでこんな所で楠本先輩と二人でいるんですか」

宇佐美が話を遮りながらゆるりと顔を上げる。
途端、ナマエは妖にでも出会ったような戦慄を感じた。
能面みたいな真顔が小首を傾げて立っている。
いつものにこやかさも怪しさも鳴りを潜め、声色すらぞっとする程冷たい響きだ。
無駄なものをそぎ落としたような、不気味な恐怖が滲み出ている。
今目の前にいる宇佐美はナマエの知っている宇佐美ではないような気がした。

「宇佐美こそなんでここに」
「先輩が門倉部長に呼ばれてたので、探しに来たんです。姿が見えなかったので周りの先輩に聞いたらこっちだって」

先輩が仕事を置いてどこかへ行くなんて珍しい事もあるんですね、と言いながら宇佐美は掴んでいた指を解く。
遠慮なく掴まれたそこは袖をめくると薄く掴まれた跡が残っていた。
馬鹿力にも程がある。
ナマエがげんなりしている間に、宇佐美はくるりと振り返った。
すらりとした後ろ姿越しに楠本が見える。

「楠本先輩はどうしてここにいるんです?」

一瞬、楠本がきょとんとしているのが見えた。だが、すぐに何食わぬ顔でナマエを顎で指す。

「何ってそいつに連れてこられたんだよ」

ナマエは反論しようとして身を乗り出しつつ、直前で口をつぐむ。
この話題は禁句だ。
楠本もそのあたりは弁えているらしく、乾いた笑いを浮かべる。

「でもそろそろ戻らないとどやされるから、俺も持ち場に戻るよ」

あきらかに逃げようとしている、それは宇佐美も察したらしい。
脇を通り抜けようとした楠本の前に立ちはだかる。

「なんだよ」
「ちょっと待ってください。僕、楠本先輩に用があるんですよ」

そう言いながら、宇佐美が一歩強く踏み込むと同時に拳を作るのが見えてナマエは「えっ」と声を漏らした。
その拳で宇佐美が楠本の腹を思い切り殴りつけたのだ。
鈍い響きと同時に、言葉にならない呻きが洩れ聞こえる。
楠本の身体がくの字に曲がってよろめいた所で、さらに顔を横殴りにした。

「ちょっと待て何してるんだ!?」

さらにもう一発、と拳を引いた所でぐらりと沈む楠本と拳を握ったままの宇佐美の間に身体を割り込ませて、ナマエはひどく困惑した。
こんな場所だ。殴り合いなんぞ日常茶飯事だが、こんな突拍子もなく看守が看守を殴るなんて事は前代未聞である。
一心に楠本を見つめていた深淵の瞳ががぎょろりと動いてナマエを見た。

「何って殴ってるだけですよ。さっき先輩も殴ろうとしてましたよね?」
「それは……まぁ、たしかにそうだけど、そうじゃないだろ」

こんな奴にはまともな理論は通じない。
通じないと分かった上でも人を殴ってはいけないだとか、そんな馬鹿らしい理論でもなんでも説いてやればよかった。
見事に虚を突かれて、ナマエは言い淀んでしまった。
「ほらね」とでも言いたげな、呆れ交じりの顔が無言で見つめ返してくる。
なまじ本気で殴ろうとしていただけに、あきらかな動揺が顔に浮かんでしまう。
今のナマエには宇佐美を制する理由がないのは事実だった。
ただ自分の拳と宇佐美の拳には何か決定的に違うような気がしてならない。

(そうだ、これは喧嘩でもなければ制裁でもなくて、ただ単なる暴力だ)

今、この場から退いたら宇佐美はまた楠本を何発でも殴りそうなのは取り繕った能面を見ていると分かる。
今度こそ一方的に、それこそ完膚なきまで叩きのめすという確信めいた予感があった。

「おいナマエ!どうなってんだよこいつの頭はッ」
「どうもこうも、俺が分かる訳ないだろ」

切羽詰まった声が背後から聞こえたけれど、ナマエは振り返らなかった。
焦げ付きそうなくらい宇佐美にじぃっと睨まれている。
この目から何か読み取れれば良いのに、やっぱり考えている事などほんのちょっとだって分からない。目は口程に物を言うなどというが、あれは嘘だ。

「なんで邪魔するんですか」

変わらず飄々としているのに、口をついて出てくるざらついた声に身体がぞわぞわした。
ずいっと一歩近づいて、懐の内側に入ってきた宇佐美をナマエも至近距離で睨み返す。

「そりゃ楠本が訳も分からず殴られてたら止めるに決まってるだろ」
「訳?訳が分かれば殴っていいんですか?」
「誰もそんな事言ってないだろ」

そもそも理由が分かった所で殴って良しとはならない。
ナマエは反論しながら、いくらか普段の冷静さが取り戻せているような気がした。
自分よりもよっぽど頭のおかしな行動を見たせいか冷や水を浴びせられた気分だ。

「楠本先輩の味方なんですか」
「味方というよりは、一度話し合いをだな」

よくよく宇佐美を観察してみるとどうにも背後にいる楠本に意識が散っているようだ。
ナマエにとっても楠本の存在は気になる。
何せ宇佐美が何を言うか分からない。

「あーもう楠本お前もう戻れよ。ここにいるとまた殴られるぞ」

脅し半分、本気半分。ナマエが言うと後ずさる足音が聞こえた。存外素直らしい。
よっぽど宇佐美の拳が効いたのだろうか。
宇佐美の突発的行為は恐ろしいが、ほんの少しだけ胸がすく思いだ。
自分だったらこうも勢いよく拳は繰り出せなかった。

「あ、そうだ。その顔は俺がやった事にしとけよ」
「なんでだよ!これはそいつが「いいから、黙って言うこと聞いとけ」

目と鼻の先にいる宇佐美が一瞬、目をぱちぱちと瞬かせる。
ナマエは何を驚く事があるのだろうと思いながら、言葉を続けた。
どことなく先ほどまでの緊張感が緩んだ気がした。

「理由聞かれたら自分が怠けてたから殴られたとでも言えばいいだろ」
「んだよそれ」
「いいから、そうしてくれ」

不満そうな楠本も、念を押すと静かになった。
宇佐美に殴られたというよりは、我ながら信憑性のある理由だ。

「後さっきの事も他言無用だ。絶対にしゃべるなよ。その時はもうどうなっても知らないからな」
「……分かった」

返事はそれだけだったが、それで十分だった。
土の上をよろよろと歩き進む足音が聞こえて、楠本が宿舎の方に逃げ帰っているのだろうと思った。
宇佐美がみるみる内にぶすくれた顔になるのがその証拠だ。
訳も分からず怒られた子どものような不満っぷりがひしひしと伝わってくる。

「なんであの人をかばったんですか」
「庇った訳じゃない」

むしろ楠本を殴ろうとしていたのだから、ナマエだって宇佐美と同じだ。
単純に宇佐美を放っておいたらあのまま楠本が死にそうだったから、なんて即答しそうになってナマエは即座に言葉をひっこめた。
楠本を庇った、というよりは宇佐美の暴走が恐ろしかっただけである。

(しかも原因は不明ときた。また同じ事になったらたまったもんじゃないな)

暴発した拳銃に安全装置をかけてやるのは自分の義務のように思えてきた。
何よりそれが自分の身を守る事に繋がる。
早速「それより」と強引に話をすり替える。

「お前こそなんで殴ったんだよ」

尋ねると宇佐美は眉を顰めたまま小さく首を傾げた。
ナマエが何故問うのか、意味が理解できない様子だった。

「人の物をとろうとしてたから、ちょっと怒っただけですよ」

思わぬ返答にナマエは思わず瞠目する。

「あれがちょっとで済むか!そもそも何を取ったっていうんだ」
「何をって、先輩の事ですよ」
「俺、ってどういう」

ずっと見ていないフリをしていた矛先がぐっと心臓に突き付けられたような気がした。
チクチクと突かれてもなお、それを認めるにはひどく抵抗がある。
おそるおそる尋ねたナマエの気も知らず、宇佐美はごく自然な調子で言った。

「玩具の横取りはダメって子どもの頃に言われたでしょう?それと同じですよ。僕の物は、誰にもあげない」

さも当たり前のように、にこりと微笑んですらみせる。
ナマエは自分でも顔が強張っているのに気が付いた。
宇佐美が楠本との話を聞いていたのか、それは定かではない。けれどナマエと話していた楠本は宇佐美の唱える罪に引っかかったのだ。

(俺が宇佐美のモノだから……って待て、俺がいつ宇佐美の所有物になったって言うんだ)

この摩訶不思議な頭が一般常識からかけ離れている事は重々分かっていたが、今改めてこの男には理屈が通じない事をまざまざと思い知らされる。
そして自分自身、寝食を共にしている間におかしな思考に流されがちだった事に気が付いた。

「それに先輩だって好きでしょう?僕の……」

宇佐美はわざとらしく言葉を切り、代わりにナマエの腰に腕を回す。
続きは言わなくても分かっているだろうと暗に言われているような気がして、ナマエは声を詰まらせた。
やんわりと腰の線に触れる指先に意識が向いて、嫌が応でもその答えと思考が紐づいてしまいそうになる。
気を散らせようと視線を彷徨わせても、至近距離の宇佐美は視界の中から追い出せない。ナマエを鏡のように映す丸い瞳が三日月みたいにきゅうと細くなった。艶の混じった微笑がまるで見えない糸のように身体に絡みついて離れない。

(俺は誰のものでもない。けど、宇佐美はダメだ。少しずつでも距離を取らないと、そうじゃなきゃ俺もこいつと一緒に頭がおかしくなりそうだ。……いや、もう狂っているんじゃないか?だって俺は俺は俺は、俺は)

「せっかく楠本先輩もいなくなった事ですし、この後もっと二人きりでいられる場所に行きましょうか」

耳元に注ぎ込まれた猫撫で声に、背筋がぞわっと粟立った。
なんだかとても、嫌な予感だ。「宇佐美」そう名を呼ぶ前に、帽子の鍔を下げられる。不意の暗転の最中、両手首をぐっと掴まれた。囚人達がつける鎖のようにビクともしない宇佐美の手中でナマエはとても逃げられそうにない。

「なんで、」
「なんでって、余所見した罰は受けてもらわないと」

見えないはずの宇佐美の顔が、暗い視界の中にはっきりと浮かび上がる。ふふふと子どものように笑った顔は純粋に楽しそうで、だからこそそれがひどく恐ろしい。

「余所見も何もそんな事は「さぁ行きましょう。僕の言う事聞いてくれたら、ひどい事はしませんから」

そう思っているのなら、多少はこの馬鹿力を緩めてくれたってよさそうなものだが、全く離す気はなさそうだ。
自分で油断を誘う事を言っておきながら、最も信用していないのもまた宇佐美である。
ナマエがやっとの思いで腕を捻って逃げ出そうとすると、更なる力でねじ伏せてくる。

「お前よくもそんなぬけぬけと。どうせ俺が何をしようと何も変わらないだろ!」
「いえ、変わりますよ。僕は抵抗されると燃える性分ですから」
「悪化してるじゃないか。最悪だ」

ナマエはあからさまに軽蔑の表情を浮かべた。目の前がはっきり見えているのであれば、宇佐美に一瞥を投げつけていた事だろう。
ほんの少し力んでいた腕の力も抜けてしまう。

「あはは。だから諦めてついてきてくださいよ」
「付いていくも何も連行の間違いだろ!しかも何も見えないんだが」
「でもその方がどこに行くか分からなくて、緊張して楽しいでしょう?」

真っ暗な視界の中で唯一分かるのは宇佐美のいる方向だけだ。
聞いた事もないおかしな鼻歌を歌いながら、宇佐美はナマエの手を取って強引に引っ張って歩いていく。
せめてもの抵抗を、と懸命に踏みとどまろうと重心を下ろしてみたが、そんなものはおかまいなしとずるずる連れていくのだから恐ろしい。宇佐美の身体のどこにそんな力があるというのだろう。
しまいには突然木の根に躓いて転びそうになってしまい、「ほら余計な抵抗してるからそうなるんですよぉ」と宇佐美がたしなめる口調で言ってくる。

(誰のせいだと思ってるんだ、誰の!)

こめかみに浮かんだ青筋も、心のうちの憤慨も上手く帽子に隠れて宇佐美に気づかれる事はない。
本当は思い切りぶちまけてやりたいが、どこかで先ほどの宇佐美の言葉が引っかかっていた。
捕まっている以上逃げ果せる事はもう難しいだろう。だからと言って宇佐美の言う通りになるのも、反抗して貪られるのも嫌なのだ。
このまま静かに仕事に戻るという最もありえない未来をナマエは心底望んだが、足先は着実に暗闇へと進んでいく。
そして目隠し代わりの帽子がポロリと足元に転がり落ちた時、目の前にはにっこりと笑う宇佐美が小さな山小屋の前で立っていた。



山の中には備品を仕舞ったり、雪や雨宿りのための倉庫を兼ねた山小屋があるのだが、これは看守のみが知る秘密の小屋である。
だが大半の看守達は普段使われていないこの小屋を滅多な事では思い出さないだろう。
何せ人というものは興味のない事や自分に関係ない事はすぐ忘れるのである。
覚えているとしたらよっぽど細かい事まで気が回る奴か、良からぬことを考えている奴か。
この男に関しては間違いなく後者だ。

「なぁにボーっとしてるんですか。今別の事考えていたでしょう」

ぱちりと瞬きをしたその先には、いつも宇佐美がいる。
気のせいではなくきっと故意なのだろう。
薄暗い室内でも覆いかぶさる影がかすかに唇をとがらせているのが見える。
また何か気に入らない事をしたらしい。

「ッ」

まるで呆けていた事を罰するようにむき出しの胸の飾りを強くつままれた。
途端、腰に響く痺れに声が漏れそうになる。
ナマエはぐっと唇を噛んで、退かない天井を睨みつけた。
火照った自分の身体が素直に反応する羞恥に、睨む目もどこか鋭さが欠けていた。

「ふふ、すっかりここも敏感になりましたね」

打って変わって見るからにご機嫌と言えるほど満足気な表情で、宇佐美はちろりと唇をなめる。
そんな仕草は女の前でしてやればいいのに。
矛先が自分なのだから深いため息を吐きたくなる。
結局ナマエは今日もまた申し訳程度の薄っぺらい布団の上に転がされていた。
逃げ出す事も、殴って止める事もできるんじゃないだろうか。今からも遅くはない。そう思うのに、できないでいるのは心と身体が乖離しているからに他ならない。
信じたくないけれど、無遠慮な掌に腹の上をゆっくり撫でられるとぞわぞわ鳥肌がたつと同時にむずがゆさに似た快感が腰の奥から疼いてくる。
じれったくて、もっととねだりたくなってしまうそれをナマエは振り切るように身をよじった。

「もういいだろ、勘弁してくれ……」

喉がかすれて後半は最早霞のようだった。
身体に力が入らない。投げ出した手足にじっとりと纏わりつく汗が気持ち悪かった。
夜はとっくのとうに更けている。
宇佐美の背後には天井に設けられた窓が見えていたが、差し込む帯状の月明りもずいぶん薄くなってしまっていた。
おまけに室内に籠ったむっとする熱気に汗と淫らな匂いが混じって、頭もくらくらする。
これは夢だ。
乱れた夜の帳の中に自分がいる事も、宇佐美の事も何もかも。
生憎と瞼を開いたまま夢を見られるほど器用でないから、これが現実だという事は嫌とい程分かるのだけど。
疲労による眠気は夢と現実の堺を曖昧にしてしまうのだ。
大人しく夢の中に入れないのは、未だに頭上に大口を開けた獣がいるせいに他ならない。

「ねぇもう一回だけ、」

そう言いながら、無慈悲な手が腹筋を撫でつつ足の間へと降りていく。
既にとろけきった身体は最早抵抗する力さえ残っていなかった。
宇佐美が力の抜けた足を押しのけ、解けた窄まりに宇佐美の男根が添えられる。

「んぅうっ……!」

ぬるりと沈み込むように押し寄せてくる熱塊に、息が止まった。強烈な快感が細胞の一つ一つを震わせるみたいに、じいんと全身に響き渡る。
さらに貪欲な内壁が勝手に宇佐美に絡みついて締め付けてしまった。

「……先輩も実は期待してたんですか?すごい締め付け」
「ちが、ぁう……ん、んぁ……ッ」

これはただの反射なのだ。
何度も高みに上らされた今はどんな刺激でも敏感に反応してしまうだけ。
言い訳を言う余裕すら、快感の前ではかき消されてしまう。

「ぅう」

ずずず、と遠慮なく奥まで入ってくると注ぎ込まれていた白濁が溢れ出すのが分かった。
たまらなく卑猥な感覚に身体がより一層熱を帯びて、ナマエは視線をうろと彷徨わせる。
恥じらった顔のまま宇佐美と向き合うなど追い打ちをかけるようなものだ。

「さぁ、もっと奥まで入らせてくださいよ……っと」

それでも、宇佐美の手が膝裏に触れるとさすがにぎょっとして直視せざるを得なかった。

「あ、ぅんっ…、なに……?」

何かろくでもない事をしようとしている。
そう分かっていても、宇佐美の前ではこの身体は無力だ。
無造作に膝裏に両手をかけられ、大きく両足を開かれると自分を余すところなく暴かれたような気分になる。それこそ身体の内側まで。

「やめっ……あ、ぁあ、むり、……ぃッ!」

あらぬ所にまで宇佐美がぐぐぐと強引に押し入ってくる。
固い楔を根本まで受け入れるのは、やはり何度体験したとて慣れるものではない。重たい質量がナマエの体内を圧迫する。
だが皮肉な事に身体の力の抜き方はもう知っていた。
止まりかけた呼吸を繰り返して意図的に弛緩させていく。
宇佐美のためではない、自分の為だ。
辛い、引き攣れたような内壁がほんのわずか緩んだ気がする。
やがて下肢同士がぱちゅんと音を立てながらぶつかると、宇佐美も息をつめていたらしい。

「僕の事を食いちぎろうとしてる癖に何言ってるんですか……っ」

宇佐美はゆっくりと入口の淵ぎりぎりまで引き抜き、また元の鞘に戻ろうと深く深く潜り込んでくる。
いくら後孔が綻んでいるとはいえ、中をみっちりと圧迫する固い楔が動くと必ず弱い部分が擦り上げられた。つい甘ったるい声が口から洩れる。

「んぅッ!」

ずっぷりと突き立てられる度に快感が突き抜けて、内壁が小刻みに痙攣を繰り返す。
宇佐美の自分勝手な振る舞いが、ナマエの身体を容赦なく貪り始めた。
言ってしまえば無理やり抱かれている状況だ。だというのに不思議と焚きつけられた身体は一向に冷めなかった。
むしろ重ねる度に鋭敏になる自分が恐ろしくて、ナマエは腹の底からカッと羞恥心がこみ上げてくる。
こんなのは自分じゃない。自分であるはずがない。
認めたくなくてかぶりを振って否定する。

「も、やだ……ぁあ……んんっ」
「嫌じゃないでしょう?先輩は、気持ちいいことが好きですもんね?好きだから、ここがこんなに溢れてる」

宇佐美はひどく熱っぽい口調で言った後、一度腰を落ち着けた。
そして両膝を下ろすと、そのままマジメの屹立を確認するように指先ですーっと表皮をなぞる。
中の刺激だけですっかり勃ち上がるようになってしまったそれは、今も白い蜜をだらしなく溢しながら上向いている。
その垂れ落ちる白い密を指の腹で掬うのが、ナマエからは嫌でもよく見えてしまう。
宇佐美は白濡れになった指先を繁々と眺めて、まるで見せつけるように口に含んでねぶった。

「あ、」

ちゅぽん、と指を放して赤い舌で唇を舐める。
それがひどく煽情的に見えて、背筋がぞくぞく震えてしまった。

「濃くてすごくいやらしい味がする」

そんな味がする訳ないだろう、と言いたかった。
だが必死に自制心を働かせた所で、機能しないどころか声は勝手に歓喜の色に変わってしまう。これではただの生殺しだ。
いっそ宇佐美に縋れたら楽だろうに、砕けた自尊心をまたかき集めてしまうのがナマエの性分だった。

「は、……はぁ……んぅ……」

ぴたりと嵌ったままの宇佐美は勿体つけるようにゆるく腰で円を描く。
さざ波のような心地よさが、じれったくてしょうがない。

(そうじゃない。もっと強く穿って、もっと強い快感が欲しい)

まるで天の声のような囁きをナマエは誰のものとも認識できなかった。
ただ身体だけは散々鳴かされた秘め事を思い出して、後孔が素直に反応する。

「期待には、ちゃあんと応えてあげますからね」

妙に張り切ったような、明るい声色にナマエはぐっと歯を食いしばった。
再び宇佐美が力強く両足を抱え上げながら組み敷いてきて、宙に持ち上がった足の指が反る。股を開かれるなど堪えがたい羞恥だ。
ナマエがひどい抵抗感を覚える前に、宇佐美の腰が弾むように動き出す。それにあわせて足の指先もふらふらと揺れた。
少しずつ強くなる甘い刺激に蹂躙されて、ナマエの口内に唾液がたまる。

「ふぅ……、あっ、あ……」

頭が馬鹿になるほど与えられる悦楽は深く、癖になってしまう。
これはまるで依存症を引き起こす甘い毒だ。
こんなのはおかしい、間違っているのだと頭では思っている。
その背徳や罪悪すら最早興奮の材料になってしまうのだから、もう取り返しのつかない所まできてしまっているのだろう。
愉悦が、それを生み出す宇佐美の存在そのものがナマエを惑わせ、狂わせる。

「いッ……やぁ……ぁあぅっ、……んッ!」

うわごとのようにナマエの口から嬌声混じりの否定が漏れる。
その度に宇佐美はナマエの足を抱え直して、弱い場所をひっきりなしに責め立ててきた。解けた身体を串刺しにされるとたまらなく気持ちいい。
ぎゅうぎゅうと狭まる内壁を強く穿たれると、ついに唾液が口端からこぼれた。
上も下も壊れた蛇口みたいに溢れて止まらない。
快楽とわずかな苦しさが混ざり合って、ナマエは一層快感へと傾いた。

「っひぅ、ぅぁん……ァ!」
「ほらほら、もういきそうなんでしょう」

喜びともつらいとも見える歪んだ顔を背けながら、ナマエは嗚咽めいた声を漏らす。
宇佐美の逞しいものが根本まで突き刺さる様がはっきり分かる程、内壁を締め上げて自ら貪欲に愉悦を拾う。一方通行の歓喜に頭の螺子が吹き飛んでいた。
衰えを全く感じさせない宇佐美に、体中余す所なく侵されていく。細胞の一つ一つにまで、この喜悦が行渡るように抱きつぶされてどうにかなってしまいそうだ。

「はぁ、ぁッ……あ、あぁ!」

びくびくと身体が戦慄く感覚が少しずつ短くなってきた。
見えてきた絶頂に、たまらずナマエの腰が揺れる。
これは浅ましい行為だと叱責する自念さえ、頭の片隅からすっぽ抜けた。

「ふふ、僕に抱かれて呆気なくいっちゃうんだ」

柔らかな壁を切っ先が擦っていく。精神的にも肉体的にも文字通り責め立てられて、かろうじて留まっていた我慢の鍵が緩む。
下肢同士がぶつかる度に太ももまでもが痙攣した。
そしてその抵抗を嘲笑うように、宇佐美がずうんと奥を突き上げた。

「くっ……ぁ、あぁああッ……!」

目の前で閃光がはじけ飛ぶ。
恐ろしいまでの歓喜があっという間に体中に駆け巡って、ナマエは布団の上で身悶えした。
だがそれを看過せず、なおも出入りを繰り返す宇佐美が上半身を倒して覆いかぶさってくる。
全身でその場に縫い留められてしまい、逃しようのなくなった喜悦に薄っすらと涙が出た。
涎と涙をこぼして喘ぐなんてひどく情けなくてみっともない。どうしようもない姿だ。

「本当、そそる顔しますよねぇ」

それなのに目と鼻の先にある宇佐美の笑みは一層深くなる。
まるで大好きな玩具がボロボロになっても構わず遊びつくす子どもみたいに、ある種純粋な興奮に満ちた顔。

(あぁこいつから抜け出すのはどんな事よりも難しい)

ナマエはその時察した。
すっかり覚えさせられてしまったこの快感からも、宇佐美からも逃れる術を知らない。
顔を覗き込まれたまま、小刻みに突き上げられてナマエはまたも続く刺激に蚊の鳴くような声をあげる。
二人の間に挟まれた陰茎からは押し出されるように白濁が吐き出され、べったりと肌を汚していた。

「し、つ……こいなぁ……っぁん」

立て続けにもたらされる緩やかな極みに、ナマエは一瞬苦悶の表情を浮かべて真上を睨む。
精一杯の見得も、腰を一突きされるとあっという間に崩れ去った。

「言ったでしょう。しつこいって言われるともっとしてやろうって思う人間なんですよ、僕は」
「ッん!んぁ、あぁ!」

感じる所を執拗に抉られ、ナマエはびくびくと腰を跳ねさせる。
また目の前の喜悦に何もかもが消えてしまう。

「先輩って本当ッどうしようもない程馬鹿ですねぇ。だから楠本先輩なんかに唾つけられそうになるんですよ……って言っても聞こえてないですね、ふふ」

何度も立ち上がる自制心も、こうして簡単に手折られる。
そして代わりに何度でも教え込まれる深い快感に、ナマエはいつか飲み込まれてしまいそうな予感がした。
宇佐美の瞳に反射する自分が、自分でない顔をしていたから。


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