よい子の投薬日記 前


※無理矢理系です※
※not監督生※

ナイトイレヴンカレッジという教育機関の中で、モストロラウンジは何もかもが異質そのものだ。
学生が仕切ってカフェを運営する事しかり、内装がまるで水族館のように大きな水槽の中を魚が泳いでいる事しかり。いや、魚が泳いでいる事に関してはラウンジを運営しているオクタヴィネル寮らしさの追求と言われれば納得してしまうのだが。

「で、話って何だよ」

通常の営業スペースであるラウンジの更に奥まった所にこのVIPルームはある。
多くの本棚に囲まれた小さな部屋にはローテーブルを挟んで対になるよう高そうな革張りのソファが置かれている。
なんとなく落ち着かない気分になるのは、ここにあのアズール・アーシェングロットと向かい合わせに座っているからだろう。一見真面目な優等生のように見えるこの男はナイトイレブヴカレッジでも指折りの問題児なのをナマエは知っている。

「本日貴方をお呼びしたのは他でもありません」

アズールは中指で持ち上げた眼鏡を光らせながらにこやかな笑顔を浮かべる。うさんくさい笑顔だとナマエは眉をしかめた。

「先日のお約束を果たしていただこうと思いまして」
「約束ぅ?」
「おや、まさか忘れてはいませんよね。先日のゲーム」
「……そりゃ忘れる訳ないよ」

さらに苦虫をかみつぶしたような、嫌悪に満ちた顔をしてしまうのはアズールが言う約束を忘れていない証拠だ。何せこっぴどく勝負に負けたのだ。ナマエが忘れるはずがなかった。

ゲーム部の部室を通りかかったのが今思えば運の尽きだったに違いない。
丁度アズールが一人でサイコロを持て余していたから、暇つぶしがてらサイコロゲームに付き合ったのだ。一方が出したサイコロの数値よりも大きい数字を出した方が勝ちというシンプルなゲームだ。

『ふふ、今の僕に負けはありえない』
『やけに自信満々だなぁ。そんなに言うなら一つ俺と勝負しよう』
『いいでしょう。確実に僕が勝ちますが』

この明らかに勝てるという態度を、打ち崩してみたくなったのだ。サイコロゲームなぞ所詮運が物を言うだろうし、ナマエもアズールが醸し出す妙な自信に感化されていたのかもしれない。

『おっ五だ!』
『六ですね』
『っまだ一回目だ』
『次は僕の番ですね。また六です』
『!?』
『次も、その次も僕は六を出す事ができますよ。ふふ、どうします?』

その時の勝ち誇ったような顔と言ったら腹立たしいことこの上ない。
後から聞いた話だが、一時イグニハイドのイデアにサイコロゲームで負けてから手をいためる程練習して好きな目を出せるようになったらしい。アズールは宣言通りサイコロの目を操り、六以外を出すことはなかったのだ。

「あれはほぼ詐欺師みたいなものじゃないか」

あまりにも努力の方向性がおかしい。本気で突き詰めるこいつは馬鹿だと思ったが、そう聞かされればあの態度も納得できる。

「僕の実力ですよ」

だからと言ってふふんと鼻で笑われるとやはり腹は立つ。
イカサマをされた訳ではないが、最初からほぼ勝敗が決まった勝負なんて勝負として成り立たない。むしろ騙されたと言っても過言ではない。
だがアズール・アーシェングロットという男はそういう奇特な人間で、それを推しはかりかねた自分の責任とも言えた。

「話を戻しますが、貴方はあの時たしかに負けたら何でも言う事を聞くと言いましたよね」
「あーあー。もう覚えてるよ。覚えてるから来たんだよ」

やっぱりな、とナマエは胸の内でひとりごちる。
ただの勝負なら素直に負けを認めるだけで済むが、今回ばかりは事情が違う。ナマエとアズールは「負けた方が言う事をなんでも聞く」という子どもじみた賭け事をしていたのだ。

「それはよかった。実は貴方に折り入ってお願いがあるんです」

このアズールが何の用事もなくわざわざモストロラウンジに、しかもVIPルームになど呼び出す訳がない。
この部屋は主にアズールと契約をする時に使う部屋なのだろう。ラウンジの様子は伺い知れない。

「なんだよ。もったいぶってないで話してくれ」

他ならぬアズールの“お願い”にナマエは何となく革張りのソファに腰を据え直す。
どうせこのアズールの事だ。ろくでもないお願いに決まっていた。彼と契約したものは頭にイソギンチャクを生やされモストロラウンジでこき使われているのだから、契約をしていないものの勝負に負けたナマエもまた同じものを想像していた。

「それでは単刀直入に」

ナマエの不安を知ってか知らずか、未だに微笑みを絶やさないアズールがゆっくりと口を開いた。
その瞬間、分厚い扉の向こう側からコンコンとこちらの様子を伺う軽やかなノック音が室内に響いた。「どうぞ」入室を促す一声に、重苦しい扉がゆっくりと開く。

「失礼致します。お茶とお菓子をお持ち致しました」

開いた扉からすらりとした美丈夫が銀色のトレイを片手に入ってきた。
閉鎖的な空間にほのかに紅茶の香りが漂う。香りを運んできたジェイド・リーチはこれまたアズールと揃いのうさんくさい笑顔をナマエに向ける。
日頃見かける制服ではなく、ここでの制服であろう黒いスーツにオクタヴィネルらしい薄紫のシャツをあわせ、ストールを下げている。

「ご苦労様ですジェイド」
「……どうも」

ローテーブルにソーサーとクッキーの乗った小皿を置くジェイドの手つきは慣れたもので決して話し合いの邪魔をするような目立った行動ではない。
けれどナマエの視線は自然と配膳に徹するジェイドに目がいく。あいにくと暢気に紅茶を飲む気にはなれず、かといってアズールの話をもう一度催促する気にもなれないからだ。
アズールと違い、ジェイドとはあまりこうして対面した事はない。初めて間近で見る彼はまるで出来た秘書のような働きっぷりで、アズールには勿体ないと思った。

「お二人で何のお話をされていたんです?」

さりげなく話の続きを促す所を見ると空気も読めるらしい。そう言いながら立ち上がり、トレイを小脇に抱える。

「彼にモストロラウンジのお手伝いをしていただこうかと思いまして」
「げ、やっぱり」

想像していたが、やはり実際に自分がそうなると思うとアズールを顰めた顔で見つめてしまう。
ナマエはあまりモストロラウンジに来た事はなかったがここに来るまで店内を歩いただけでも分かるほど商売繁盛しているのだ。面倒ごとは嫌いなナマエにとって、自由に使える放課後の時間がなくなると思えばげんなりもする。

「何でも一つ、言う事を聞いてもらう約束をしているんです。約束、違えませんよね?」

ジェイドに向けた言葉だが、ナマエにも言い聞かせるように言った。

「……期限は?」

考えれば身体が気怠くなってくる。ソファの肘置きで思わず頬杖をついた。
あぁもうあんな勝負しなきゃよかった、なんて思っても後のまつりだがそう考えずにはいられない。

「そうですね、どれくらいがいいでしょうか」
「ちょっと待て。俺は願い事を叶えてもらった代償じゃなくてゲームの勝敗って事を忘れるなよ」
「分かってますよ」

イソギンチャクと同じにされちゃたまらない。
しっかり釘を刺したが、アズールは口元に手をやって笑っている。目はどうしてやろうかと思案しているように見え、何より含みを持たせた言い回しがナマエを不安にさせる。
そわそわとアズールが口を開くのを待っていると、「アズール」と凛とした声が降ってくる。

「なんですかジェイド」

背筋を真っ直ぐ伸ばしたジェイドをナマエはつい見上げてしまった。
自分よりも頭一つ分は高い身長は下から見上げると、なんだか言いようもない圧のようなものが漂っている気がする。加えてきゅうと糸のように細められた目に見降ろされると口を挟む気も起きない。
もしかして、助け船を出してくれるのだろうか。
恭しく胸元に片手を当て、「一つ提案があるのですが」と申し出る言葉にナマエは人知れず期待する。

「彼を私達に譲ってくれませんか。モストロラウンジの人手は足りていますし、個人的に試したいことがあるんです」

が、それも瞬きをすれば夢となる。
何を言っているんだこいつは。
ナマエは信じられない思いでアズールとジェイドを見比べる。

「試したいこととは?」
「ほら、この前おおかた形になったアレを少々。実験体がいなくて困ってたんです」
「あぁなるほど。アレですか。まだあきらめてなかったんですか」
「えぇ。あれが完成したらまた取引に使えるでしょう」
「いいでしょう。後で成果を聞かせて下さい」
「もちろん」
「ちょっと待ってアレって何だよ!?」

二人の話があまりにもトントン拍子に進んで行くものだから口を挟む暇もなかった。ナマエが強引に割って入ってようやく存在に気付いたように二人の顔がこちらを捉える。
アレって一体なんだ、そもそも実験体なんて聞き捨てならない単語が聞こえてきた。まさかそれをさらりと流す事などできやしない。

「ここでは少々お話しにくい内容ですので、後でご説明いたします」

絵にかいたような微笑みを顔に張り付け小さな声で呟くジェイドは恐ろしく不気味だ。

「なんだか分からないものに付き合う理由はないぞ!」

ジェイドはそのままゆっくりとナマエに近づいてきた。ナマエが反射的に距離を取ろうとじりじりソファの上で後ずさりをする。あからさまな逃げる素振りすらジェイドには愉快だったようだ。くすりと笑って、「断られてしまいました」と一歩身を引いて、諦めたように肩をすくめる。
その様子を見てナマエはよかったとホッと息を突いた。訳の分からない何かの実験に付き合うくらいならモストロラウンジでコキ使われる方がまだマシだ。

「フロイド、そこで遊んでないで彼を運んで下さい。実力行使します」
「えっ」

ジェイドはナマエから一切目を逸らさずに彼の兄弟に声をかけた。けれどこの部屋にはナマエとジェイドとアズールの三人だけだ。
まさか姿を隠しているのか。
ナマエが驚いて周囲を見回すと、重苦しい扉が開いて、そこにジェイドと瓜二つの男が立っていた。

「なぁんだ、バレてた?」

ちょっとだけ背を丸めたフロイドは笑いながら頭をかいた。ジェイドがキリリと締まった顔立ちならば、フロイドは少し緩んだ甘い顔立ちをしている。
大きな歩幅であっという間にジェイドとは反対側に回り込んでナマエを挟み、ぐんと顔を近づける。
ケラケラ笑う口元から尖った白い歯が覗く。

「つーかまえた」

そしてナマエの両脇に手を差し込んで、ひょいと持ち上げた。一気に高くなった視線と宙ぶらりんの手足。いきなりの展開にさすがに頭がついていかない。ただ、軽々とフロイドの肩に担ぎ上げられるこの状況は確実にマズイという事だけは分かる。

「ちょっ、待て!実力行使って、おいコラ離せ!高い!」

ぶら下がっていた手足を闇雲にばたつかせ、文句を並べ立てるナマエをフロイドはあっさり無視した。男一人を担いでもビクともせずVIPルームの出口に向かっている。どこまでもマイペースで、今にも踊りそうな楽し気な足取りだが見えるのはフロイドの背中ばかりでどんな顔をしているのか分からなかった。

「アズール!どうにかしろ!」

この場ではもうアズールだけが説得の余地がある。どうにかフロイドの背に片手をついて身を起こし、頼みの綱に必死に訴えた。
丁度ティーカップをつまみあげて優雅に口をつけていたアズールはいつもの澄まし顔で、ナマエの声を聴いてゆっくりとカップをソーサーに戻す。

「僕は先ほど貴方の所有権を彼らに譲りましたので僕から言う事は何もありませんよ」
「冗談だろ」
「貴方から言い出した約束なんですから、きっちり守って下さいね」

そしてソファの背にもたれ、ゆっくりと脚を組む。その姿はまるでマフィアのボスだ。この強引さと悪質さを鑑みればあながち外れではないだろう。知的な顔に浮かぶ安売りどころか叩き売り状態の微笑みはナマエにとっては悪魔そのものだ。

「まぁ彼らから逃げられるとは思えませんが」

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