真面目先輩と宇佐美6


朝が訪れることをこんなに恨めしく思った事もない。
目を覚ませ、と言わんばかりに窓から差し込んできた陽ざしを睨むと素直に眩しくて腕を顔の上に乗せて遮った。

「……一睡もできなかった」

昨日、今日。どちらの表現をすればいいか分からないが数時間前にあったあんな事のせいで職員官舎に戻ってきても寝るに寝れなかった。貴重な睡眠時間だというのに。頭はぼうっとしてるし、体は痛いし。いつの間にやら朝になっているし。

仕事の時間だからと身体に鞭を打って来たけれどやはり不調だ。

「体調悪い?」
「いえ、そんな事は……」
「腹痛いならいつでも厠行けよ。無理するな」
「すいません」

今日は朝から中央見張り台に座って監視の仕事である。
数ある仕事の中では比較的マシと言えばマシな仕事なのでどうにかなると思っていたが、やはり座ると尻やら腰が痛い。……実際は座らずとも一挙手一投足、動く度に痛んでして仕方がないのだ。

歩き方もいつもと違ってしまって、一緒に勤務にあたる門倉部長に不審がられてしまった。

自分で言うのもなんだが、俺といえばいつもピシッと背筋を伸ばして、唇もいつも無駄口をたたかないから一文字。なのに今日は少し猫背で、はぁとあからさまなため息をつくのだから気にもかけられてしまう。

ひどく苦々しい顔の俺に、門倉部長も苦笑しながら何の変哲もない舎房の監視を続ける。

「なぁミョウジ。あの新人はどうだ」
「宇佐美の事ですか」
「そう、宇佐美くん」

しかしやっぱりただ見ているのも退屈というもので。門倉部長がぽつぽつしゃべりだすのを無視することもできず、適当な返事を返す。同期なら無駄口を叩くなとでも言いたくなるが、部長であるし今は正直それどころではないのだ。

……そういえば宇佐美のことを門倉部長にちゃんと聞かれたのは初めてかもしれない。

何せ宇佐美の担当になってから四六時中といっていいほど宇佐美が後ろをついて回っているのだ。(今日は用事があるとかで休みを使って町に降りているから久々に一人だ)

「新人の調子はどうだ?」と聞かれても宇佐美のいる手前あんなことやそんなことをされているなんて口が裂けても言えるはずがないし、かと言って不真面目だと言えば自分の監督不行き届きになってしまう。

つまりどっちにしろ俺には逃げ道がなかったのだが、長いこと一緒に働いている門倉部長には素直に全てをぶちまけてしまいたかった。そしてあわよくば宇佐美の担当から外してほしい。

「どう?真面目にやってる?ってミョウジの下にいるんだからそりゃそうだよなぁ」
「ははは……」

なんて口が裂けても言えるはずもなかった。

呑気に笑う部長に気づかれないようにまた腹を撫でると鈍い痛みが走って深いため息が勝手に出てしまう。それはここにはいない男を考えて……の事だったのだが部下思いの部長は「本当に体調悪いなら休めよ。最低限人数がいれば大丈夫だ」と言ってくれるのだから優しくて泣きそうになってしまう。もう好感度が天と地ほど違う。

門倉部長は典獄にたぬきだ無能だと言われているが、看守たちには慕われている男なのだ。俺だって例外じゃない。

「か、門倉部長……俺、あなたのこと尊敬してます……」
「褒め言葉は元気な時に言ってくれ。ほら帰って休め。後は誤魔化しといてやるから」
「すいません……。すぐ体調を整えて戻ってまいります!」
「おー、ゆっくりでいいぞー」

ひらりと手を振る部長の優しさが身に染みる。これは何がなんでも早く体調を整えねば。そもそも体調管理だって仕事の一貫なのだ。宇佐美のせいとはいえ、いや確実に宇佐美のせいなのだが……。

無事門倉部長の許可も得、迷惑をかけるであろう同期達にも一言声をかけたら「ミョウジが体調不良なんて珍しい!」と本気で驚いた顔をされた。一時的とは言え休んでしまうが故に内心いっぱいだった罪悪感がまた悲鳴をあげたのは内緒だ。


ふらふらした足取りで中央見張り台を抜けて、緩やかな下り坂を降りる。舎房と職員官舎はそれなりに離れており、一歩一歩歩くのが苦しい今、急がずゆっくりゆっくり歩いていく。

歩きながら考えることと言えばやっぱりどうしたってこの身体の痛みの原因だ。あれもこれも全て宇佐美のせいだと思うとイライラしてしまう。それと同時に昨日の事まで鮮明に思い出してしまって、身体はじんわり熱に犯されていくのだから困ったものだ。

というか本当に熱があるんじゃないのか、これ。妙に熱いし。

なんであんな事になったのか、って夜通し考えていたせいだろうか。知恵熱かもしれない。試しに額にぴたりと手を当ててみたがまぁこんなもので分かるわけがない。

ひとまず職員宿舎に戻ってさっさと寝るべきだ。幸いにも宇佐美はいないしゆっくり眠れるだろう。

「せんぱーい」

宇佐美はいないし、

「おーいミョウジせんぱ〜〜い」
「うわっもう帰ってきたのかよ!」
「うわってひどくないですかぁ?」

幻聴まで聞こえてきた、と思ったらどうやら幻ではなかったらしい。なんということだ。

俺の歩く二倍、三倍速の駆け足で裏門からやってきたのはどこからどう見ても宇佐美だ。いつもの看守服ではなく外行き用の袴を着ており、いつもの幼顔に拍車をかけている。しかし俺にとってはもうこいつがどんな格好をしていようが渋い顔をするには間違いないのだ。

「先輩お仕事は?今日中央見張り台でしたよね?」
「あ?体調不良で一時的に休みもらったんだよ……そうだ、俺体調悪いから寝に行くんだった」

宇佐美と話していると宇佐美にばっかり意識が集中していろんなことを忘れてしまう。けれど思い出したらまた腰が痛くなってきた。なんならもう下半身が重い。さっさと戻ってごろ寝がしたい。せっかくの門倉部長の善意を一秒たりとも無駄にはしたくない。

止めた足を動かしてまたのろのろ歩き出すと、袴の裾をぱたぱた揺らした宇佐美が後ろからついて来る。今の俺に走って逃げるなんて選択肢はないので、渋々放置だ。

「じゃあ僕と一緒に帰りましょう!僕も着替えたいですし」
「というかお前町に行った癖に帰ってくるの早すぎるだろ……もっとゆっくりして来いよ」
「用事はすぐに済んだので。あ、先輩にお土産ありますよ。ほらお菓子」

早足で横に並んだ宇佐美はずいと手に可愛らしい袋をのせている。……豆菓子だろうか、久しく菓子など見ておらず一瞬何か分からなかった。

「子どもじゃねぇんだぞ」
「えー!だって先輩タバコもお酒もやらないから」
「だからって菓子になるか……いや、まぁいい。気持ちだけ受け取っておくからお前が食べろ」

たかが豆菓子、されど豆菓子。豆菓子には罪はないが、こいつにもらうというのがどうにも引っかかる。何か怪しい物じゃないかと疑ってしまうのだ。これは俺が疑り深い、というよりかは宇佐美の常日頃の行いが悪いせいだと思う。

菓子の乗った手を軽く押し返すと、案外素直にスッと宇佐美の手が下がる。なんだ、妙に聞き分けがいい。てっきり駄々でもこねるかと思っていたのに。なんて考えていた俺の予想はある意味当たっていた。

「えいっ」
「うわっ」

突然腰に鋭い痛みが走って、一瞬何が起きているのか事態が飲みこめなかった。

「……ってぇ何すんだ!」
「ポケットにお菓子入れただけですよ」

よくよく見れば宇佐美の手が俺の軍袴に容赦なく突っ込まれている。そして何やらガサゴソと音がして、先ほど見ていた豆菓子も姿を消しているのだから嘘ではないのだろう。それにしたってもっと丁寧に入れる、いや入れるなという話だ。

だが腰が痛いなどという事は見た目からは分かりやしないのだから、宇佐美にも悪気があったわけじゃないのだろう。

「あぁでも先輩、昨日のアレでやっぱり辛いんですね。お身体……」
「はぁ?おま、わざとかよ!」
「気丈にふるまってらしたので、様子見がてら」

前言撤回。けろりとした表情でこういう事を言ってくるのだ、宇佐美という男は。そして俺は何度も学習しないのだから大概頭が悪いのかもしれない……。

腰に走る痺れのような何かに、悔しさも混じって歯をくいしばる俺を至極楽しそうに、後ろに手を組んで下から覗き込んでくるコイツはやっぱりどんな見た目であっても中身は同じだ。

「先輩の身体、僕が治してあげましょうか?」
「治すも何も、お前が原因じゃねぇか!」
「そうでした、ふふふ」

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