樹齢110年と少し

「おじさんの行動ですよ、それ」

時間は夜の12時前。もうすぐ日付も変わらんとする頃。例によって例のごとく、ほろ酔いのふわふわした隊長が執務室を訪った。私は仕事をしていた。当たり前だ、ここは執務室だから。山と積まれた書類を少しでも減らしてから明日の休暇を楽しもうと、こんな時間まで残っていたわけだが、そんな一人で黙々と業務に励む私を嘲笑うかのような陽気さで執務室の戸を突然開け放し、「ただいまぁ!」とやって来たのは我らが隊長様だった。ただいまぁ!じゃない、ここは家ではない。
そして先にも述べた通り彼が千鳥足で執務室にやってくるのはそう珍しいことでもない。手ぶらで来ることもあれば、酔いの勢いのままに寄ったどこかの店で食べきれないくらいの甘味や飲み物を買ってくることもある。そう、典型的な酔っ払いを描けと言われて半数以上の人が描くであろう、酔っ払いのサラリーマンが頭にネクタイ巻いて寿司屋の包みを片手にぶら下げて帰る姿のように、お土産を片手にして。しかしながら今の彼はなんだか得体の知れない鉢植えを抱えていた。

「お土産!」

ヘラヘラ笑ってその鉢をずずいとこちらに向けてくる。まだ幼い葉がさわさわと揺れた。あんまり無遠慮に揺らすから鉢から土が溢れそうになって、私は慌てて席を立ち上がった。

「隊長、なんですかこれは」
「せやからお土産」

ほろ酔い隊長がお土産に選定するのは大抵食べられるものであったはずだ。しかしこれは、どうも食べられるものに見えない。

「……お土産?」

近寄ってよくよく見ても植木だ。幹も枝もなんとなく細くって、葉っぱも細いものがワサワサついてて、どこもなく頼りない感じの。
私が近寄ると隊長は「名前にやるわ」と鉢ごと私へ押しつけてきた。

「やるわって、言われても」

羽のような形の、細い葉がたくさん揺れている。あまり見かけない植木のような気がしたがそもそも樹木を注視することがないので分からない。

「これ、どうしたんですか?」
「飲み屋で一緒になったおっちゃんがくれた」

どうやったら知り合いでもないおっちゃんから鉢植えを貰うのか、その経緯が全くもって不透明だった。平子隊長だから、しょうがないか。経緯を詳しく聞いても素面の私は戸惑うだけだろう。

「これ、なんの鉢植えなんです?」
「知らん」
「知らなくてもらってきたんですか」

まだ花のついていない鉢植えは、葉や枝ぶりだけでは何なのか特定できない。そもそも私も隊長も樹木に造詣が深いわけではないなら、桜や梅などの分かりやすい花でないと判別しようがなかった。

「何でもかんでも拾ってきちゃダメですよ。小さい頃お母さんに教わりませんでしたか?」
「さあ、小さい頃とかなかったんとちゃう?」

確かに、生まれた時から隊長は隊長のまま生まれたような気がする。子どもが拾ってきたものは結局親が面倒を見なければならない。よくあることだ。それが、今日の私と隊長にとって犬や猫ではなく、鉢植えだった。



「名前の木、結構育ったなあ」

あの日平子隊長が持って帰った鉢植えは、ギンヨウアカシアという名の西洋出身の木だった。通称ミモザの方が馴染みがある。なかなかに繊細な木のようで、気温差などの条件が悪いとすぐに枯れてしまう。しかも日本の気候はあまり適さないらしい。教えてくれた別の隊の後輩は「五番隊が育てるんですか……?」とかなり心配な顔をされてしまった。失礼な、隊長がいい加減なだけで、私はそうでもない、はずだ。
わりと大きく育つと彼女が教えてくれたので、頃合いを見てそーっと隊舎の前の中庭のようなスペースに植え替えた。植え替えてから暫くは、急に土を移されて枯れてしまうんじゃないかと恐々としたが、心配は無用だった。ソウルソサエティは日本ではないということなのかもしれない。心配をよそにすくすく育ったそれは、その年小さな蕾をいくつもつけている。

「名前の木じゃなくてミモザって名前がちゃんとあります」
「前にも聞いたわそれ」

ミモザにそっと水を撒いている私に、眠たそうに欠伸をしながらやって来た隊長がミモザの葉に触れる。鉢植えで持ってこられた時は私の膝くらいの高さだったが、今や腰より少し高いくらいまで成長していた。
何回言ってもいつも「名前の木」としか呼んでくれない隊長の為に何度も言ってるのだが。

「何回言っても聞いてくれないからですよ」
「ミモザは覚えとる」

隊長はアホだけど馬鹿じゃないのでそりゃあ記憶しているだろう。最早定番のボケと化している。

「そのボケ、お気に入りなんですか?」
「気に入ってんねん、この名前」
「……はあ」
「そのなーんも分かってへん反応!」
「……はあ?」

こちらを馬鹿にするような大きな呆れ声に眉がキュッと吊り上がる。いつものボケを気に入ってると言われても、はあ、としか返しようがないだろう。

「いいですよ、じゃあ私も隊長の木って呼びますよ? いいんですか」
「ええよ、もう。そやったらもう、いいわ何でも」
「……はあ」

何を納得しているのかさっぱり分からない。それも隊長は投げやりになっているのではなく、妙に満足げなのだ。意味がわからない。
私と隊長に見下ろされたミモザの木だけが訳知り顔でサワサワと梢を揺らしていた。




それからしばらくして、ミモザ――隊長の木は黄色いふわふわした花を咲かせた。以来、毎年毎年きちんと花を咲かせる。小さな、綿毛のようなたくさんの花。私は自分の席が変わっても、隊が変わっても世話を続けている。いつの間にか樹齢110年を超えたその樹は、今や「五番隊舎のミモザ」と言えば結構な人数が知っている。

「名字さんおはようございます」
「おはよう」

出勤してきた五番隊の子が廊下から、庭の私に挨拶をかけてくれる。私の視線の先をたどって、ミモザの枝を明るい黄色が彩っているのに目を留めて、微笑む。

「今年も綺麗に咲きましたね」
「うん、良かった、無事に咲いてくれて」

かつて鉢植えで抱えられてやってきた頃の頼りない小さな木ではなくなっていた。隊舎の屋根に届くくらいの大きな樹。生い茂る葉も青々としていて、中庭に気持ちのいい影を作ってくれる。それでも、毎年ちゃんと咲いてくれるとホッとする。

「そういえば、この木って名字さんが植えたってホントですか?」
「本当だよ」
「じゃあ名字さんの樹ですね」
「“隊長の樹”だよ」
「え?」

笑って訂正すると、その子はきょとんとした顔で首を傾げた。私はそのきょとんとした顔が可笑しくって、ますます笑ってしまう。私の樹だと呼ぶ人は一人しかいない。
大あくびをかましながら、廊下をゆっくりゆっくり歩いてきたひょろりとした人影が、その子の近くで足を止める。

「いや、名前の樹やろ」
「まだそのボケ気に入ってるんですね」

眩しそうに樹を見上げるその人は私の言葉ににぃっと口元を笑わせて言う。

「気に入ってんのはボケちゃうわ」