無自覚な視線

ぺら、ぺら、ぺらり。
さらさら、さらさら。
紙を捲る音と筆の滑る音しか聞こえない五番隊の隊主室。
任務中の副隊長に代わって隊長の補佐をしている三席の私と、部屋の主である平子隊長の二人きり。


昼を過ぎてから一刻程が経過して、集中力が切れた。
気怠い雰囲気を醸し出しているくせに、この部屋の主の集中力は流石に隊長というべきか。
机に向かうその横顔は、何だか隊長らしく見える。


「・・・手が止まってんで。飽きたんか?」
ふいにこちらを見た平子隊長に、ドキリとする。
どう答えようかと思考を巡らせていると、平子隊長は筆を置いて大きく伸びをした。
徐に立ち上がって、隊長ご自慢のソファ(現世から持ち込んだらしい)にごろりと横になる。


『平子隊長・・・?』
「休憩や。オマエも適当に休んでええで。」
何処からかファッション誌を取り出してこれまた面倒そうにぺらりとページを捲る。
これまた隊長ご自慢の金髪が、隊長の動きに合わせてさらりと揺れた。


「・・・見過ぎや。」
ぼんやりと隊長を見つめていると、そんな言葉と共にちらりと視線が向けられる。
その視線はすぐに雑誌に戻ってしまったのだけれど、一瞬だけ交わった視線に胸がざわついた。


「オマエ、他の奴のこともそないに見てるんか?」
『え?見てるって・・・何をです?』
聞き返せば、呆れた視線を向けられる。
何に呆れられたのだろうかと首を傾げていれば、隊長の視線は再び雑誌に戻されてしまった。


『隊長?』
「・・・何でもないわ。・・・ったく、無自覚かいな・・・。」
何やら呟いた平子隊長だったが、私が首を傾げていることを解っているはずなのに、それ以上答える気はないらしい。


「・・・・・・えぇから休憩せぇや。いつまで筆持ってんねん。」
『へ?あ、はい。お言葉に甘えさせていただきます。・・・お茶を淹れますね。』
筆を置いて立ち上がれば、ゆらりと隊長の左手が持ち上げられて、こっちへ来いと手招きされる。
再び首を傾げながら近づけば、ゆったりと上体を起こした隊長にぐい、と引っ張られた。


『わ!?』
驚いて平子隊長の顔を見れば、それはすぐ目の前にあって。
辛うじて隊長の上に乗り上げることは回避したが、隊長の膝を跨ぐような格好になってしまった。


腰に回された腕の温もり。
こちらを見上げるいつもとは違った鋭い瞳。
いつもより強く感じる、隊長の香り。
そのどれもが私の思考を奪っていく。


「茶は後でええ。・・・オレ以外の男に、そないな顔見せられるかっちゅーねん。」
それだけ言った隊長は、私を抱えたままソファに横になる。
二人で転がるには狭いソファが小さく軋んだ。
殆ど隊長の体に乗り上げている自分の体を何とか動かそうとするのだが、隊長の両腕がそれを許してくれない。


『あの、平子隊長?これ、は、一体・・・。』
「休憩や、休憩。オマエが自覚するまで、オマエはオレ専用の抱き枕に決定や。」
『え、抱き枕・・・?』
「せや。大人しく抱かれとけ。オレはこれから昼寝すんねん。」


『え、ちょ、平子隊長?だ、抱き枕って、何ですか?』
混乱しながら問うのだが、目を瞑った隊長の返事はない。
『ちょっと、隊長!?起きてますよね?返事をしてください!』
じたばたと逃げ出そうとするが、抱き込まれてしまって動きを封じられた。


『隊長!平子隊長!・・・もう!細い癖にどうしてそんなに力が強いんですか!不公平です!ていうか、これ、セクハラですよ!大声出しますよ!!』
「・・・五月蠅い奴やなァ。昼寝くらい静かにさせろや。」
ゆるりと開かれた瞳が至近距離でこちらを見つめる。


『な、なんですか・・・?』
全てを見透かすような瞳は、私の中の何かを抉じ開けようとしているようで、思わず目を逸らす。


「逸らすなや。」
『いえ、あの、その・・・。』
「隊長命令や。」
『う・・・はい・・・。』


恐る恐る視線を戻せば平子隊長は真っ直ぐにこちらを見ていて。
いつもと違う瞳に胸がざわつく。
今度は目を逸らそうとしても、逸らせなかった。
見えない何かが、平子隊長から目を逸らすことを阻止しているように。


「オマエはそうやってオレのことだけ見とけばええねん。」
『それも、隊長命令、ですか・・・?』
「せや。今のところは、やけどな。」
『今のところは・・・?』


「・・・やっぱりオマエは解るまでオレ専用の抱き枕や。」
深い溜め息を吐いた平子隊長は、再び私を抱き込んだ。
『あの、平子隊長・・・?』
「黙れや。それ以上声出したら犯すで。」


・・・理不尽。
そう思いつつも、隊長の声音が冗談を言うときのそれではなかったので、静かにすることにする。
目を閉じた隊長の言葉を反芻しているうちに眠気がやって来て、何とかそれに抗おうとするのだが、瞼は重くなるばかりで、意識が眠りの中に引きずり込まれていった。


「・・・オレより先に寝てどうすんねん。」
全く、無防備な奴や。
何でオレはこんな奴が好きやねん・・・。
腕の中で眠る部下に盛大に溜息を吐いて、真子は天井を見上げる。


「・・・・・・余計な気ぃ起こす前に仕事しとこ。」
ぽつりと呟いて、眠る部下をそっとソファに寝かしつけた。
「早う気付けや、アホ。・・・やっぱ桃が居ないときは執務室で仕事するべきやな。此奴と二人やと仕事が進まへん・・・。」
そんな文句を呟きながら、真子は全ての書類を持って部屋を出ていくのだった。