pie in the sky

「帰ってこない」

隊長に就任してから、家に帰ってくることがめっきり少なくなった。冷めた夕飯、柱時計の振り子がゆらゆら揺れて針はじわじわと時を刻む。

「帰ったで」

「遅い」

「遅いてお前なァ。わざわざ五番隊舎から流魂街まで帰ってくる俺の身なれや」

「だから私も死神になるって言ってるじゃん。霊術院は卒業してんのに、護延隊に入らないなんて聞いたことないよ」

「オマエが鈍臭いから入隊試験に通らんかっただけやろ」

「五番隊長のコネでなんとかならない?」

「ならんわ、アホ」

流魂街、数字の若い地区。霊術院始まって以来、初めての『入隊試験に不合格をくらった女』などという不名誉な称号を持つ私は、行くあてもなく此処に居を構えた。真子は霊術院のときの同級生。腐れ縁てやつで、男女の関係はない、全くない。悲しいくらいない。

でも、こうやって時々、ご飯を食べに帰ってくる。

「ねぇ、可愛い子いる?五番隊」

「そらおるで。なんや、オレ変質者扱いされとるんやけど、男前過ぎて逆にヤバいオーラ出とるんやろ」

「いや、そのモップみたいな髪の毛のせいじゃない?」

「誰がモップじゃ、しばくぞ」

「真子、モテないんだ。よかった」

「よかったってなんやねん。しかもモテへんとは一言も言うてへんやろ」

…ほんと、よかったってなんだろ。これじゃ私が真子を好きみたい。…私が、真子を、好き…。

「オエッ」

「オマエ…なんやしらんけど、めっちゃ腹立つ」

だって、もう一緒にいることが当然過ぎて、好きとか嫌いとか超越してる気がして。


そう、私はバカみたいに信じていた。いつだって真子は絶対、ここに帰ってくるって。



「50回目。真子の好きなお饅頭もあるし、高いお酒も買ったし、…プレゼントはなんと、たぬきの信楽焼です!」

そんなモン誰がいるねん!…って声が聞こえてきそう。50年、座る人が居なくなった椅子だけが、私の視界に映る。今も柱時計の振り子は揺れるのに、この場所は時が止まったみたい。

「…バカ、誕生日プレゼント50個も溜まったじゃん」

ずらり、棚に並んだ、開けられてもいない化粧箱。今年の分もそこに置いた。5月10日、私の一番大好きな日。私の一番、大嫌いな日。

真子が尸魂界から居なくなって、50年。噂ではもう死んでいるとか、とてつもない力を手に入れて現世へ逃亡したとか。死神のなり損ないの私では、真実は分からない。真子と家族でも恋仲でもない私には、彼からの伝言も何もない。

「…真子」

あるのは、思い出だけだ。蠱惑的な香り、シニカルな笑顔、長い髪。綺麗な顔、でも口は悪い。ああ。もう、忘れそうだよ。

忘れるなら、声からだろうか、それとも、顔から?

せめて、この千切れそうな胸の痛みから忘れられたなら。



「ねえ、真子。私の入隊試験の結果通知なんだけど」

「は?なんやねん、結果通知て。入隊式の案内ちゃうんかい」

「不合格だって」

「は?」

「不合格、見てほら」

「…まあ、なんや…そない気落としなや」

「落とすよ!ドン底だよ!未来が見えない!死神になれない未来だけがくっきり見えてる!」

「安心せぇ、オレがさっさと出世してオマエの食い扶持ぐらいなんとかしたるわィ」

「ほんと?じゃ、早く隊長になって贅沢させてね」

「任せとけや、あっちゅー間に隊長なったるわ」

ほんとは、真子において行かれるのが嫌だった。死神になれないことより、そっちの方が辛くて、蓋をした。私は真子を好きじゃないって、そう思うようにしてた。だけど、真子はどんどん前に進んでいく。隊長になって、帰ってくることが減って、このまま私は忘れられてしまうんじゃないかって、何度も思った。

めぐる季節も、気が遠くなるほどに繰り返しやってくる誕生日も、ずっと一緒に過ごしていたいって思っていたのに。何も伝えられないまま、こんな風に突然、二人で迎える明日が来なくなるなんて思ってなかった。

寂しい。そうだよ、私、真子がすきだよ。どうしようもなく。



一人で5月10日を祝わなくなってまた50年。並んだプレゼントの包装紙はすっかり色褪せてしまった。真子が居なくなって、もう100回目の誕生日。

何枚か置いたまんまのレコードも、蓄音機も埃が積もってる。触ると思い出すから、掃除もできない。捨てることもできない。持ち主はもう。

「帰ってこない」

扉は開かない。何度も何度もこの家を出ようと思った。それでも、いつかこの扉が開いて真子が帰ってくるような、そんな儚い望みを抱いて今も此処に居る。

それからまた幾年も過ぎて、戦禍を免れた我が家で少しずつ復興していく瀞霊延を眺めながら、少し残酷なことを考える。

振り子が逆に揺れて、真子が居たあの頃に戻ればいい、と。

戻って、そう、もう一度会えたら、どれだけ時間が経っても変わらないこの想いを伝えたい。

「帰ったで、名前」

弾かれたように振り向くと、扉が開いていて、そこには妙な前髪の、でも、何にも変わらない笑顔で真子が立っている。

今日この時まで待ち侘びた瞬間なのに、身体が硬直して、瞬きすらできない。やっとのことで、声を絞り出すと、視界がじわりと滲んだ。

「…遅いよ…」

「泣くなや」

「真子」

また、夢かもしれない、手を伸ばせば消えてしまうまぼろし。それでも、と伸ばした手をぎゅっと掴まれて引き寄せられる。

「プレゼント、見たところ足らんみたいやけど?」

「50個しかない」

ぐ、と背中に回された腕に、力がこもる。全身が心臓になったみたいに、鼓動が響き渡る。きっと真子にも聞こえているだろう。

「ほな、あと70個分の代わりに、オマエを貰うで」

微かに震える真子の手が、頬に触れて、私はただ瞳を閉じる。返事なんて言わずもがな。

重なる唇に、また涙が溢れた。

「真子、好き」

涙で揺れる世界に、真子の笑顔。

「そんなモン、オマエが母ちゃんの子宮ン中おったときから知っとるわィ」

「…ばか」



「でもさ、よく私が待ってるって思えたよね。他の人と結婚してるかもしれなかったのに」

「他のヤツとうまいこといっとったら、いつまでもこないなトコにおらんやろ」

「それもそうだ」

復隊した後も、此処にはよう来ぇへんかった。オマエが待っとる保証もないし、その現実を知るんもなんとなし避けとった。しゃアけど、あの戦いが終わって、オマエが生きとるかどうかだけでも知りたなってな。

此処に来たら、なんも変わってへん家が見えて、早よ帰らなアカン思た。

俺かて、オマエが此処で待っとったらエエて、儚い望みずっと抱えて生きとったんやし。

ま、言うたらへんけどな。

「真子、誕生日おめでとう」

「おおきに」

これからはイヤっちゅーほど、側におるで。