幸せ案内人

彼が会計を済ませている間、隣店の土産屋を覗いてみた。△最中、△饅頭、△牛乳使用チーズケーキ。同僚に配るのに良い物はないかと物色するも、どれもこれも品名を見て思い悩む。

(……地名入ってるのは買えないよなぁ)

手にした商品を元の場所に戻そうとした時。


「今飯食うたばかりやのに、まだ足らんの?」
「!?」


背後からぬっと現れた彼に驚き、ポロっと箱を落っことす。『△牧場生キャラメル』。これも美味しそうだけど、無理。買えない。


「…違いますよ。お休み頂いた御礼に、同僚に買っていこうかなって思っただけです」
「四番隊の?律儀やなァ。俺は面倒やから買わん」


そう言いながら、「これでええんちゃう?」と平子隊長は先ほど私が目に止めた品の一つを指差した。


「それは駄目です。地名入っているから」
「何でアカンの?」
「…今日現世に来てるって、誰にも言ってないので」
「そうなん?俺はちゃんと桃に言うてきたで。現世で女の子に慰めてもろうてくるって」


だ・か・ら。あんたと同じ日に休み同じ所に来てるって誰かにバレたらまずいから、こうして悩んでいるんでしょうがっ!!大体何だ慰めって。誤解を招きかねない言い方を。じとりと横目で睨むと、隣から手が伸びてきた。


「…あ、」


被っていた帽子が頭からふわりと離れる。遮っていた光が目の前に落ちてきて、目の前が眩しい。目を細める私を可笑しそうに笑いながら、平子隊長は私から取り上げた帽子を指先でくるくると回して遊んだ。


「そんなコソコソせんでも、誰も気づかんて」
「言っときますけど、私じゃなくてそっちが目立つんですからね!?」
「しゃーないやろ。目立つんは色男の宿命や」
「……もういいです」


会話の疎通が図れず溜息をつく。顔じゃないです。目を引くのは顔の上の髪の方。その陽に透けて光る色に、変な斜めの切り口。どこでこんな風にしているんだろう。いや、それよりも私はどうしてこんな気苦労を……。

5月10日(平日)現世。

ちょっと色々あり、五番隊長殿と観光に来ている。



―― 一月前のことである。


『名前ちゃん、指切ってもうた。止血して』
『絆創膏がそこの棚にあるので。ご自由にどうぞ』
『貼ってくれへんの!?』


平子隊長がドタドタと足音を鳴らして救護詰所にやってきた。日頃から人目があるところで話しかけないでくれと言っている為、彼が仕事場に来るのは珍しいことだったが、あまりにもどうでも良い内容で呆れ果てた。

『利き手やないと上手く貼れん。貼ってや』
『……チッ』
『今、舌打ちしたやろ』
『してません。そこ座って下さい』

薬指と小指の付け根に微かに滲む血の色。こんな浅い傷、放っといてもすぐ治る。自隊の部下に貼ってもらえばいいのに。これくらいで処置に来られても全く迷惑な話である。

その時は運悪く詰所に私しか居なかったので、渋々処置を施した。渇いた血を綿で拭き取りながら、隊員が戻ってくる前に早く帰ってくれないかなーなんて思っていたら。


『俺、来月誕生日やねん。お祝いに一日空けといてな』


全くその場に関係ないことを平子隊長が言い出した。この男、正気か?耳を疑い、手を止めた。


『…空けません。私夜勤入るかもしれないし』
『1ヶ月前やし、まだ調整できるやろ』
『しません。最近負傷者が多くて人手足りてないんで。女性なら他当たってもらえます?』


あしらうと、ふーんと平子隊長が鼻を鳴らした。


『ほんなら、俺から卯の花さんに口利きしといたる』


絆創膏を貼り終えたと同時に腰を浮かす平子隊長を、慌てて捕まえる。


『…待って!?止めて!?何言う気!?』
『お気に入りの隊士が居るんやけど、一日貸してくれって』
『お願いですから、思いとどまって!?』


卯ノ花隊長にこの人との間柄を勘違いされたくない。ていうか、隊長だけじゃなく誰にも。
変わり者と名高いこの人との噂が、もし瀞霊廷内に広まったら。考えるだけでも恐ろしい。


『なら、5月10日は休むって自分でちゃんと言えんな?』
『……善処します』
『休めんかったら、卯の花さんに俺から…』
『絶対休みます!!』


両手で顔を覆い叫んだ。
要するに、私は脅されたのだ。ずるい。“卯の花隊長”のカードを出してくるのはズルい。私のような一兵卒が隊長格に抗える訳が無いのだ。

絆創膏を付けた手を振り帰っていく背中に降伏。耳の奥に温い余韻を残していった。


『お気に入りの――』


……よく言うわ。差し詰め、声をかければ(脅せば)余暇に付き合ってくれる手頃な女というところだろう。

全く迷惑な話である。



有給休暇を申し出た私に『たまにはゆっくりしなさい』と隊長は心良く快諾をしてくれたが。

現世にも死神は散らばっている。誰かに見られてもバレないようにと帽子で顔を隠す私の心など露知らず、平子隊長は人の多い(即ち死神の巡回も多い)観光地に私を連れ出した。

(ゆっくり、ねぇ……)

サワサワと肌を撫でる風が緑の香りを運んできた。柔らかな陽の下で新鮮な空気に触れていると、ささくれだっていた心が丸くなっていくような、そんな気になる。

最近、仕事に忙殺され詰所外に出ることすら儘ならなかった私には珍しい、健全な生活。朝が早かったけれど、まぁ来て悪くはなかったかもしれない。


「どうして今日、現世に来たんですか?」
「瀞霊廷ん中ばっかも飽きるやろ。気分転換にええかって」
「へぇ。平子隊長でも気が塞ぐことなんてあるんですね」


とてもそんな風には見えませんけどね、と通り過ぎる店を眺めながら話していると、フッと横で空気が揺れる気配がした。


「…?なにを笑ったんですか?」
「いや、さっきからキョロキョロしとんなぁて」
「…仕方ないじゃないですか。現世久しぶりなんです。色々気になるんですよ」


少しばかり浮かれているところを見られ、決まり悪そうに答える私の顔を平子隊長が覗き込んできた。


「な?休み取って良かったやろ?」
「……え?」


聞き取ったどこか優しい声音に、眼前の彼をまじまじと見つめる。悠々と穏やかな微笑をたたえた薄茶の瞳に、くらりとした。さっき引っかかった会話の切れ端が耳の縁で繰り返される。

『気分転換にええかって』

観光なんて珍しいなと思ったんだ。長いこと現世に住んでいたはずなのに。なのに。

突然、脈絡もなく誕生日だの祝いだのと引っ張り出した理由は、まさか……


「ちょっと、何を余計なっ…!!」


細長い指先で唇を摘まれ、言わんとせんことを封じられた。


「お気に入りの娘が疲れた顔ばっかしとったら、心配なるわ」


……やっぱり。疲労を見透かされていたんだ。

『お祝いに一日空けといてな』

あんな突飛なことを言われても気づかないほど苛々していた。休暇を必要としていたのはこの人じゃなくて私の方。

色々言いたいことがあるが、口を封じられて言えないので、黙って肩にかけていたバッグから包みを取り出し、彼の胸に押し付けた。


「何なんコレ?」
「プレゼントですよ!!今日の!!」
「そんなん良えのに」
「それはこっちの台詞です!おめでとうございます!!もうっ!!」
「ちゃんと覚えてくれてたんや?」
「当たり前でしょう!!」

ククッと笑う横顔に、歯の奥がムズムズと疼く。何なんだろう、本当に。
この人はいつも通りに勝手で、自己中で、気儘でフラフラ〜っとしていればいい。
それで、


「……今日くらい、自分のことだけ考えてればいいのに」


思うままに過ごして欲しいと思う。折角、今日は五の字も羽織も脱いで外へ来たのだから。

今日くらいは自由に好きなように過ごせば。


「自分のこと考えとったら、名前が浮かんできてもうたんやけど?」


いや、こんな所でそんな落ち着いたトーンで言われましても…。言葉に窮し、もごもごと言い淀む私の両手をやんわりと握る大きい手。口角を上げた表情は、気づけばいつもの揶揄う姿勢。


「心配させたお詫びは、今夜風呂一緒に入ってくれたらええよ」
「…入りませんよ。入るつもりありませんよ」
「期待しとんで」
「止めてください」


揶揄い混じりの瞳の奥に、どこか満更でもなく微笑んでいる私が映りこんでいた。


お土産は、……いいや。

今日のことは二人だけの秘密にして、そっと閉まっておこう。