With love on your birthday

 仮面の軍勢がアジトとする倉庫の一画。
 真子はソファーにだらしなく寝そべり、ヘッドホンを耳に愛用のレコードを聴きながら雑誌を流し読んでいた。特にすることがない時の、いつものスタイルでもある。
 このまま昼寝も悪くない、と開いた雑誌を顔に被せようとした時のこと。ガラガラと倉庫のシャッターが開く音がヘッドホン越しに聞こえてくる。そして、青々しい新緑の香りを乗せた風がふわりと舞い込み真子の金髪を揺らした。
 ついこの前まで満開だった桜もすっかり葉桜に変わり、今は5月を迎えたばかりの新緑の季節。
 音の方を見やれば名前が出掛けるところだった。
「名前、バイトかー?」
「うん、行ってきまーす」
「おー、すっ転ぶなやー」
 雑誌を手にしたままひらひらと手を振る真子に見送られ、名前は明るく返しながらアルバイトへと出掛けて行った。
 名前は仮面の軍勢で唯一アルバイトをして小遣い稼ぎをしている。
 当初こそメンバー達から奇特だ!真面目か!と言われていたものだが、今やそんなことを言うメンバーはいない。稼いだバイト代で(たまにではあるが)美味しい食事やお菓子をご馳走してくれるのだから当然だ。
 最近は何か欲しいものでもあるのか、以前に増してアルバイトに勤しんでいる様子の名前。

 ソファーの上で上体を起こした真子が窓に目を向けると、小走りで駆けていく名前の背中が見えた。
 その姿はすっかり現世に暮らす人間として馴染み、虚化した元死神にはまるで見えない。感心するやら呆れるやら・・・思わず真子は小さく笑みを零す。が、その笑みもすぐに消え、再びソファーに寝そべると名前が出ていったシャッターを細めた目で見つめた。そして思い返すのは、数日前のこと―――――


 それは偶然、本当に偶然だった。
 喜助への野暮用で浦原商店に立ち寄った帰り道に見てしまったのだ。真子の見知らぬ青年と名前が、CDショップからそれはそれは楽しそうに出てくるのを。
 何を話していたかは分からないが、名前などは頬を染めて喜んでいるように真子には見えた。それこそまさにデート中であるかのように・・・。
 自分の傍にいて、あんなにも楽しそうに嬉しそうにしている名前をここ最近見ただろうか―――などと考えていると、

「ハン!働き者名前とは大ッ違いやな、ぐーたらシンジ」
「ああ?十分ヒマそーに見えるオマエに言われたないわァ」
 降ってきた声に、真子がヘッドホンを首へとずり下げ見上げれば、自慢の八重歯を覗かせたひよ里がいた。
 彼女の小言やツッコミにはとうの昔から慣れている真子だ、適当に受け流しながらレコードの束から次に聴くディスクを選び始める。
「なー、ひよ里。名前のことやけど・・・」
「何や?」
「・・・・・・やっぱええわ。何でもあらへん」
「あァ!?何やねん、はっきり言わんかい!」
 ひよ里と名前は、性格こそ違えど仲が良い。何か相談でも受けてないかと真子は尋ねようとするが、からかわれるのがオチと思って途中で止めてしまう。曖昧なことを嫌うひよ里は食ってかかる。だがすぐにピンときて目を細めてニヤリと笑った。
「はっはーん、その感じやと名前と喧嘩でもしたんやろ。だったら悪いのはシンジや!さっさと謝りや」
「勝手に決めんな!!俺と名前は相変わらずラブラブや、ラブラブ。・・・」
 指で弾くようにディスクを選びつつ、真子は反論する。しかし、言葉とは裏腹に感じられた違和感をひよ里は見逃さない。喧嘩ではないにしろ、何かがある―――と。

 真子と名前が恋人同士であることは、今でこそひよ里に限らず仮面の軍勢全員が周知している。
 しかし、ひよ里はそれ以前から・・・まだ死神として尸魂界にいた百年以上前から真子が名前に想いを寄せ続けていたことを知っている。真子は軽い男に見えて案外一途なところがある。そこでひよ里はどこか浮かない真子の理由に何となく見当がついた。

「可愛いコ見るたんびに『俺の初恋の人やー』言うとるから、とうとう愛想尽かされたんとちゃうか?」
「あれは俺の口癖みたいなモンや。名前だってよー知っとる」
「気ぃつけやー?何がキカッケで百年の恋が冷めるか分からんでー?」
「余計なお世話や!俺は趣味に忙しいんや、あっち行け」
 今はひよ里のからかいを聞きたい気分ではない真子は、シッシッと追い払うように手を動かす。そしてレコードプレーヤーのディスクを入れ替え、ヘッドホンを耳にかけ直した。
 去り際のひよ里が何か呟いたような気がしたが、すぐに音量を上げたため真子ははっきり聞き取ることはできなかった。「まだ大丈夫そうやな」とも聞き取れたが、どうせそれもからかいの一つなのだろう。ちらりと横目見たひよ里は、ビタンビタンとサンダルを鳴らして離れて行った。


 趣味に忙しいとひよ里に言った真子だったが・・・
 好きなはずのジャズ音楽も、流し読む雑誌の内容もろくに頭に入ってこない。その代わりに頭から付いて離れないのが、見知らぬ青年へと向けられる名前の笑顔だ。
 誰に対しても隔たりなく笑顔を向ける、あの犬っころのような人懐こさ。そんな名前らしさに真子も心惹かれたのだ。
 死神時代、名前が五番隊配属になる以前から心惹かれていたことが真子には懐かしく思えた。だがその当時名前が想いを寄せていたのは、皮肉なことに真子が警戒していた藍染その人だった。
 一途に藍染を想い慕う彼女の姿を見てしまっては、真子は自分の想いを打ち明けることを躊躇い―――そして誰もが予想していなかったあの“悲劇”は起きた。名前の藍染への一途で純粋な想いは、最悪の形で裏切られることになってしまった。
 ここ現世へ逃亡後、身も心も無残に傷付き絶望のあまり生すら手放そうとすらした名前。しかし、そんな彼女を救ったのは同じく虚化に陥れられたメンバー達の支援と、真子がずっと秘め続けてきた名前への強い想いだった。

『ありがとう、平子隊長・・・ううん、真子。真子が傍にいてくれて私・・・本当に良かった』

 何年もかけてようやく立ち直った名前に、真子は堪えきれなくなった想いを打ち明ける。いっそ笑われてもいいと思った。だが、その告白に名前は笑いも断りもしなかった。真子が心惹かれたあの笑顔を浮かべて想いを受け入れたのだ。
 何も真子は、名前を強く励まし続けた訳ではない。時折得意の冗談を言いながら、ただただ傍にいて名前の苦痛と絶望に寄り添っただけ。それでも想いというのは伝わるもので、名前にとってそれが何よりの救いとなっていた。その感謝が愛情に変わるのに、そう時間はかからなかったようだ。
 虚化し尸魂界を追われたことは忌々しい出来事だが、唯一真子に良いことがあったとすれば―――それは名前と想い合えたことだろう。
 そうして両想いとなって百余年。時には喧嘩もするが、仲間として恋人として良好な関係は続いてきたと真子は信じていた。

(急に人間のオトコに心変わりしたんか・・・?いや、まさか名前に限ってそないなこと)
 今まで名前に他の男の影がちらついたことなど、真子が知る限り一度もなかった。そんな浮気まがいのことをするような性格でもない。
 名前は人懐こく、誰にでも愛想がいい。その延長で、あの青年にも親しくしているだけ。そう思いたい真子だが、見知らぬ男へ向けられる名前の笑顔がどうにもこうにも気になってしまうのだ。

「ん・・・?雨、か」
 悶々と過ごして暫く。ヘッドホンを外しながら伸びをする真子は倉庫の屋根を打つ雨音を聞いた。窓にも雨の雫が点々と浮かんでいる。心地良い風が吹くほど晴れていたのが嘘だったように、空はいつの間にか暗い雨空に覆われていた。雨はどうやら降り出したばかりで、雲を見る限り通り雨ではなく長雨になりそうだ。
 ふと、真子は思い出した。アルバイトへと出掛けた名前が、傘を持って行かなかったことを。
 ひとり悶々としてるのもみっともない。いっそあの男のことを聞いてしまおうか。そんなことを考えながら、真子はヘッドホンとレコードプレーヤーを片付けようやくソファーから立ち上がる。そして二本の傘を手にして、散歩がてら名前を迎えに真子も倉庫を出ていった。


 予想した通り、雨は止む気配を見せずむしろ徐々に雨足は強まりつつある。
 雨に打たれる新緑の木々がさらに青々しく香り、さっきまで悶々としていた真子の頭をスッキリとさせてくれた。
 つい名前ばかり疑ってしまったが、落ち度は自分にもあるかもしれないと真子は思う。長く続く恋人関係に甘んじて、名前が喜びそうなことを最近していないのも事実だ。だから、他所の男へと向けられる彼女の笑顔が羨ましいと感じてしまった。
 一緒にアジト倉庫へ帰りながら、名前が喜びそうなことをさりげなく会話から引き出すことにした真子。そして、通りの角を曲がった時のことだった。
「・・・!」
 また―――だ。真子は目を疑った。
 例のCDショップの店先で、名前はあの青年と一緒にいたのだ。しかも彼女は青年が差す傘の中にいて・・・いわゆる相合傘をしながら何やら話し込んでいる。
 通ってきた角へと引っ込んだ真子は少しだけ様子を窺うことにした。するとショップの自動ドアから店員と思しき別の男が現れ、名前と青年と三人で話し始めた。
 真子が耳をそばだててみると、地面や傘を打つ雨音でところどころ遮られながらも名前の声が聞こえてくる。「なんとか間に合いそう」、「気付かれるとマズイから」―――。
(これは・・・・・もう、アカンわ)
 前者の事情は知れないが、後者はおそらくあの青年との密な関係か。疑いが確信に変わってしまったことに、真子は自分の中の何かがひび割れた気がした。
 胸に湧き出す澱みを吐き出すように溜息を吐いて、真子は再び角を曲がりCDショップへと足を運ぶ。近付いてくる真子に真っ先に気付いたのは、名前だった。
「・・・あっ!真子・・・!」
「何や、見られたらマズイっちゅう顔してんで、名前」
 声をかける真子に、名前は明らかな動揺を浮かべた。
 死神だった頃から名前は嘘が苦手だ。かつて五番隊の部下として、そして密かな想い人として見てきた真子は彼女の性分をよく知っている。だから、今も自分に隠している秘め事があることは明らかだった。確信はさらに深まるばかりだ。
「別に、そういう訳じゃ・・・。もしかして、迎えに来てくれたの?」
「その様子じゃ、要らん世話だったらしいなァ。・・・んじゃ、帰るわ」
「ま、待ってよ真子!」
 去り際、冷めた目で真子は名前の傍らの青年を見る。イケメンと称するには十分な美男子ではある。だが霊力の欠片も感じない、ただの人間だ。人の好さそうな優顔が、一瞬藍染と重なって見えてしまい・・・別人と分かっていても胸糞の悪さと苛立ちを覚えた。
 さっさと踵を返す真子を、名前は青年と店員の男に慌てて別れを告げた後で追いかける。

「ねえ!ねえ、真子ってば!」
「無理してついて来んなや。あのイケメンくんと仲良うやっとったらええやろ」
 バシャバシャと足音を立てて追いかけてくる名前に、真子は背を向けて歩きながら返した。右手には名前へと持ってきた傘を握っているが、差してやるタイミングを完全に失っていた。
「っ・・・そんなんじゃないよ。あの人はただのバイト仲間ってだけで、」
「ほんなら」
 名前の言葉を遮るように、真子は溜息交じりに言う。足を止めて振り返ると、雨に濡れる名前が戸惑いの視線を向けていた。
「説明してくれるんか。俺が見たのが、ただの誤解やって」
「それは、あの・・・あ・・・相談に乗ってもらってた・・・っていうか・・・」
 途端に名前は言いよどむ。説明できないということは―――つまりそういうことだ。何せ彼女は嘘が苦手なのだから。真子は右手にある傘を名前へ投げて渡した。
「もうええ。よう分かったわ」
「・・・・・・真子・・・」
 全てが阿呆らしく思えた真子は怒る気にもなれず、再び背を向けて歩き出す。振り返り様に見た名前は、ずぶ濡れになりながら何か言いたげに両手で受け取った傘を見つめていた。それでも真子の足が止まることはなかった。

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