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椿を眺めていた







初めて貴女を見た時、俺は一目惚れって本当にあるんだと思った。

「初めまして。貫薙梅の娘、貫薙椿と申します。」

柔らかな陽の光の中、儚げにそしてどこか物憂げに微笑む貴女は、俺にはまるで天使のように見えた。美しい漆黒の髪、包み込むように広がる群青の瞳。太陽なんて知らないかのような、白い肌。
あぁ、貴女と添い遂げることが出来たなら、俺はなんて幸せ者なんだろう。一生、貴女を幸せにしてみせる。貴女の言うことならなんだってやってみせるし、貴女の望むものはなんだって用意してみせる。
貴女にだったら、九代目にと誓ったこの命すらも捧げられる。

そう、思っていたのに。

「娘が結婚することになった。」

梅さんは、いやに神妙そうな面持ちで俺を呼び出したかと思うと、そう言った。

「あんたの気持ちは知っていた。でも、娘が自分で決めたことだ。」

目を細めて、眉間にシワを刻む梅さんは、俺のことを確かに息子のように可愛がってくれてはいた。
しかし、梅さんの言う通りだ。彼女が、自分自身で決めたのだから。

「そんな顔、しないでくださいよ。」

俺は務めて笑って、そう言った。その顔を見て、梅さんはさらに苦々しい顔をした。

彼女が望むなら、俺は潔く身を引く。だってそうだろう?俺が駄々をこねたところで、彼女をどうこうできるわけでもない。彼女はああ見えて、案外に頑固だ。

元より、以前から彼女が俺のことをそういう対象として見ていなかったことには、薄々と気付いていたのだ。彼女にとって自分は、いい友人でしかなかったのだと。
それに勘づいて、彼女に直接的に自分の気持ちを告げなかったのは、俺が弱かったからだ。彼女に拒絶されて、今のこの良い友人の関係が壊れてしまうのが怖かったから。ただの友人でも良い、彼女が本音を話せる相手であれたなら。そう甘んじてしまった俺が悪い。そんなことを気づいた時には既に手遅れだ。彼女はもう俺の手の届かないところへと行ってしまった。

梅さんは、俺に気を使って結婚式に呼ぶことを躊躇っていたようだが、椿さん本人から俺を招待する手紙が届いた。そこからも察せられるだろう、彼女にとって、俺はただの友人の一人でしかなかったことを。仲睦まじく寄り添う二人は、確かに俺の残り少なくなった気力をくじくほどには充分お似合いで。相手の男も、まぁ文句のつけようもなくいい男であった。行き場所を見つけられないこの思いを、俺は当時、心の奥底へ沈みこませた。二度と、出てこないように。そうしてその気持ちに蓋をした時、俺は言いようもない喪失感に見舞われたものだ。

そうして、彼女を忘れたフリをして、俺だって心から愛すると誓った妻を作って、子だってこさえた。しかしそれでもまだ、貴女の面影を忘れられないと言えば、貴女は笑うだろうか、困るだろうか。

貴方は、私を一番に見ていてはくれていないのでしょう。

まだ俺の妻の腹に、赤ん坊が宿る前のことだ。彼女は悲しそうな顔でそういった。

でも、良いのです。私に愛させてくれるのならば。二番目でも、私の元に帰ってきてくれるのであれば。
生涯を共に出来るのであれば。

妻は、笑いながらも、泣きそうな顔をしていた。

あぁ、俺も、あの人が結婚すると聞いた時は、こんな顔をしていたんだろうか。
そう思うと、目の前で泣きそうな目をしている妻がどうしようもなく愛しくなってしまって、強く、抱き締めた。



「調子は、どうです?」

久し振りに日本に訪れて、一番に向かったのはやはり貴女の所だった。貴女は無機質な白い部屋の中で、以前よりも尚更薄幸そうな表情を浮かべて笑った。
もう長くはないのだと、俺でも察せられた。

「俺にも、子供が出来ましたよ。貴女の所の子と、同い年くらいです。」

「俺によく似た、可愛い子ですよ。」

「今度会いに来ます?」

貴女は以前のような、お喋りではなくなってしまった。俺が一方的に話しているというのに、何を言っても、貴女は嬉しそうに、だが少し悲しげに笑うものだから、初めて見た時のあの儚さが、一層強められた気がして。今、じっと瞬きすらせずに見ていないと、彼女はきっと空気中に溶けて霧散して、いなくなってしまうと、そんな気が沸沸とした。

だからかもしれない。あんな事を口走ってしまったのは。今にも消えてしまいそうな貴女を、少しでもこの現世に留めておきたかったのかも。

「貴女のことは俺が幸せにしたかったんですよ。」

「初めて見た時はそりゃ綺麗な人だと思いましたよ。天使が舞い降りたのかと。」

「だから、貴女が日本に帰っていってしまうと聞いて、どうやって飛行機を止めさせようか、真剣に考えたもんです。」

ずっとずっと、貴女に出会ってここ数年、俺の中に押しとどめていた気持ちが蓋をこじ開けた。それなのに、また遠まわしに言葉を重ねるだけで、俺はたった一言が言えない。日本語とは随分と、便利で、苦しいほどに優しい言葉だな。
あぁ、泣きそうだ。

「幸せ、でしたか?」

俺が紡ぐ言葉に、貴女は終始困ったように眉尻を下げて、微笑んでいたが、俺がそう聞くと、それこそ花が開くような可憐さで、椿のように頬を染めて、ゆっくりと一度頷いた。

「なら、良かった。」

俺がそばに居ることは出来なかったが、貴女が幸せなら、それで良かった。
貴女が充実していたのなら、それで良かった。そう思ってみせるが、俺は、笑ってまた一つ、どす黒い気持ちを飲み込んで、また心の奥底で蓋をした。きっと貴女が居なくなってしまったら、この気持ちは一生蓋を開けられることもないまま、俺の心の奥底に留まり続けるのだろう。あぁ、なんて重たい。でもきっとこれが、意気地のなかった俺への枷だ。
その日俺は、彼女と最後の話をした。



そうして、また数年の時を重ねた後。

「初めまして。貫薙桜と申します。」

そう言って恭しく俺の前で頭を下げるその少女は、どこか見覚えのある気がした。まだ十かそこらの年頃だろう。娘と同い年くらいだ。
あの時、彼女の葬式の時、この子は居たはずだ。その場に。それなのに、あぁ、俺はどうして覚えていないのだろう。こんなにも、この少女は貴女の面影を残しているというのに。

「君が……椿さんの子か……」

濡鴉のような艶っぽい黒い髪。夜空を切り取ったような、深い宵闇の群青をたたえた瞳。その上には、強い意志が星のように煌めいている。
そのまだまだ幼い顔立ちには、どこか彼女の面影が残っていて、じわりと俺の心が軋んだ。

「よく、似ているな。その瞳も、髪も。」

「……ガナッシュ、さんは…………母と親しかったのですか?」

「え?」

笑っていたつもりだった。笑えていたつもりだった。しかし、目の前の少女は少し驚いたように俺を見つめたあと、悲しそうに眉尻を下げて、そう聞いてくるものだから、首をかしげて見せれば、少女は自身のポケットから桜色のハンカチを取り出した。

恐る恐るではあったが、しっかりと強い意志を持って俺の頬へと触れる少女。
その彼女の、俺の頬を拭う動作でやっと気がついた。俺は、泣いていたのだ。この子はきっと、聡い子なのだろう。幼いながらに色んなことを考えて、俺に気を使ったのだ。
それに気づいた途端、俺はまた涙を落とした。喉の奥から、熱いものがとめどなくせり上がってきて止まらない。心の奥底の蓋が、重たい蓋が開いてしまったのか。
あぁ、俺は。

「……あぁ。そうだな。古い友人だったんだ。すまない、思い出してしまった。」

「……いえ。」

その幼い少女の頭を撫でながら、笑ってみせる。だが、まだ俺の涙は収まらないのだろう。その少女の手は、次々と流れ出る涙を追いかけて、優しく俺の頬を撫で続けてくれる。

「母は……とても幸せ者だったんですね。」

そう呟く彼女の手を優しく握りしめ、どうしてだい、と尋ねれば、彼女は未だ、もう片方の手に掴んだ桜色で俺の頬を撫でながら、ニッコリと笑った。

「こんなにも、強く、想ってくれる人がいたのですから。」

その笑顔は、まるでもういなくなってしまった貴女のようで。でも、貴女以上に溌剌とした生気を孕んでいる。

貴女がいなくなっても、貴女の面影はこの世に残り続ける。
俺の前に、残り続ける。

俺の愛した人よ、どうか、どうか。
貴女のその、決して長くはなかった生涯が、幸せなものでありましたように。



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