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冷たい世界で、



冷たい世界で、君だけは笑っていて欲しいんだ。涙さえ失った僕の代わりに

長編小説『星夜見桜』の番外編です。


お題サイト、
夢見月*
より頂きました。

longのフリーお題から頂きました。
『冷たい世界で、君だけは笑っていて欲しいんだ。涙さえ失った僕の代わりに』


****************


「……。」

鼻にこびりつく、異臭。いや、もう私にとってこの臭いは、異臭でもなんでもなくなってしまったか。
鉄臭い血液の臭い、焦げ臭い銃弾の臭い。そして、人間の焼ける臭い。腐臭とでも、死臭とでも表すべきなのか、その臭いたちは鬱陶しくも私の身体にベッタリとまとわりついてくる。
もう動くものは、私を除いて誰もいない。たった一人の、敵アジトの中。

珍しく、割れることなく綺麗に残った窓ガラスに、私の姿が映り込んでいる。
黒だから分かりづらくはなってくれているが、このスーツはもう他人の血液を吸いすぎてしまって、凄く重い。もうきっと、このスーツは使い物にならない。捨てるしかないだろう。アジトに戻ったらテーラーを呼んで、新しいものを仕立て直さなくては。
重たくてかなわないそのスーツを脱ぎ捨てれば、下のブラウスすらも赤く染まっている気がした。黒のブラウスを着てきておいて良かった。いつも通りの白だったなら、目も当てられないことになっていただろう。
頬に付着していた血液を拭い、薙刀の血を振り払ってから、私は一つ大きく舌打ちを打った。
あぁ、気色悪い。何度経験しても、なれることは無い、な。
薙刀を袋へと戻しながら、体温を失った手を握り合わせる。いつからだったか、任務中に寒いと感じるようになったのは。何度擦り合わせても、息を吹きかけても、その体温は戻って来ない。

私は星の守護者。ボンゴレに、ボスに、ファミリーたちに仇なすものは、その根源から断つのが仕事というものだ。
こうやって、人でなしと揶揄されても、反論の一つすら出てこないような所業を行う任務を回されるのも、守護者の中では私が圧倒的に多い。

…………いや、私が頼んでいるのだ。ボスの家庭教師に。
他の守護者たちには、こんな任務は回さないでほしいと。そのしわ寄せはすべて私が引き受けるからと。
ボスが、こんな悲惨で凄惨なことを望んでいないことはわかっている。でもそれでも、マフィアの世界はこんな事とは切っても切れない関係を根深く持っているのだ。幼い頃から、一族ぐるみでこの世界に身を置くものとして、それは痛いほどに感じている。そしてこの任務が、いともたやすく人間の良心といったものを破壊していくものなのだということも。

「それは、テメーのエゴでしかねーぞ。」

この事を談判しに言った時、家庭教師に言われた言葉が、胸に深く突き刺さった。
わかってはいる。彼らがそんなに弱い人間でないことは。でもそれでも、確かに彼らの陽だまりのような暖かな人情というものを、多からず少なからず、影を差して歪めてしまうのだ。血に手を染めるという行為は。
彼も、それをわかっているのだろう。それ以降、もう私に何かを言ってくることは無くなった。

「…取り敢えず……風呂、か。」

処理班の方へ、任務完了報告のメールを送信しながら、車のハンドルを握った。
今日は一層、身体に死臭が染み付いている。数が多かったからだろうか。後で念入りに風呂に入っておかなければ。何分、そういう事に鼻が利くうるさい奴がいるからな。




こちらの処理も終了しました。報告書は明晩までに纏めてお渡しします。

腕利きの部下からの報告メールを確認しながら、私はバスタオルで頭を捏ねた。
だがしかし、ほんの少しの違和感を感じた。すんすんと、自身の体の匂いを嗅いでみると、なんだか嫌な臭いが残っている気がする。気のせいかもしれないが、敏感にそういう事を感じとるやつが身近にいるものだから、念には念を入れておいても、損は無いだろう。そいつのことを考えてついついため息が漏れる。

こういう時のために、家庭教師に勧められた香水を買っておいてよかった。なんとなく買ってから部屋の戸棚にしまってそのままになっていたのだが、ふとした時に助かるものだ、としみじみと考えながら、女物、という割にはシンプルな瓶を取り出す。

ふむ、嫌いな匂いではないが、まぁ慣れない匂いだな。少し甘くはあるが柑橘系のような爽快感が残る匂いだ。あの家庭教師の勧めの割には、随分と若い匂いがする。いや、私のためにわざわざ選んでくれたのだろう。
他人には自分の好み云々ではなく、似合うものを送る人間だからな彼は。むしろ、私がこんな状況に陥ることを見越してこれを勧めてくれたのかもしれない。

カチカチと、時計の針の音だけが私の耳を静かに覆っていく。

今日だけで、私は一体何人殺したのだろう。
女もいた、子供も。もちろん、父と同じ年の頃の男性もいた。
皆一様に、私に対しての怒りや恐怖を、その表情に浮かべていた。そしてそんな顔の人間を、何人と惨殺してきたにも関わらず、私の感情は一切波立たず、そして私の体には傷一つとしてついていなかった。
その事実だけが、私の心をいやに冷えさせる。
同じように、冷えた指先の温もりは未だ戻ってくることを知らない。

あぁ、今日は随分と、思考が落ち込んでいるものだ。こんな任務をこなすのは、もう数えるのも煩わしいほどだと言うのに。
新しいシャツに腕を通しながら、そんなことを考えていると、コンコンと、軽いノック音が部屋に響いた。

今の時刻は、午前三時。普段ならアジトはとっくの昔に寝静まっている時間だ。
部下達ならば、報告はメールで済ませているし、しばらく私の部屋に誰かがやってくる予定はないはずなのだが。

「桜……、いるか?」

扉の向こうから、囁くように尋ねてくるのは、この香水をつけることになった原因の人物であった。







「どうした、こんな時間に。」

取り敢えず扉を開けてやって、冷蔵庫からコイツのためだけにいつもストックしてある牛乳パックを取り出してやる。暗にそれを飲んだら帰れという意味も込めて。
武はにっと嬉しそうに笑った後、差し出した牛乳を端に置き、私の手をそのままぎゅっと握りしめてくる。

「桜こそ、なんでこんな時間にスーツ着てんだ?」

目を細めて、何かを含むように微笑む武は、私が答えなくともその全てを見透かしているかのようで。
お前、いつの間にそんな顔できるようになったんだ。

「……お前には、関係ない……。」

今だけは、内心をつくようなことは聞かないで欲しい。今は誤魔化してやれるほど心に余裕が無いんだ。この落ち込んだ心では、作り笑いを浮かべることすらできない。

私のその返答に、武は眉一つ動かすこともなく、私の手を握り合わせる。自分の体温を移していくかのように。

「香水……か?」

犬のように鼻を上に向けて、部屋の空気を嗅いでいる武。頼むから、そのまま隠しきれない死臭まで嗅ぎ分けてくれるなよ。
そう願いながらも、私は武からの問いに何も答えることもなく、ぼんやりと、擦り合わせられている両の手を見つめる。
まだその手に体温は戻らない。

「珍しいな。この匂い、嫌いじゃねーけど……、やっぱ俺は桜のいつもの匂いが好きだなー。」

くい、と。決して強制する訳では無い、しかし振り払いやすいという訳でもない力加減で、私をソファへと引っぱる。
武は握りしめた手そのままに、その長駆を躊躇いなくソファに投げ出した。私はそれに合わせて数歩ソファへと引き寄せられ、だがその身は依然として立ち尽くしたままで、じっと武に握りこまれている手を見つめていた。

「なぁ、桜。」

そんな私の瞳を、掬い見つめるように武の茶の瞳が見上げてくる。
その目は純粋に光り輝いているようで、でも、それが塗りつぶされるほどの哀しみを湛えていた。

「俺、桜が思ってるより、弱くないぜ。」

微笑んで放たれるその言葉に、少し意識を持っていかれたその時。
武が握りこんでいた私の両手を、さらに自らの胸元へ引き寄せた。ぼうっとしていた私の身体も、もちろんそれに巻き込まれる形でしなだれる。手だけじゃない。全身が包み込まれるように暖かい。
気付けば私は、ソファに腰掛ける武の膝の上へとダイブしていた。

「…………離せ。」

「やだ。」

軽い抵抗を示すが、奴はぐいと私の背に手を回し、逃れられないようにする。
やめてくれ、お前に死臭が移ってしまう。
少しキツめに、その胸板を押し返すのだが、武は頑として離す気は無いようだ。背に回された手に更に力がこもったのが伝わる。

「今、桜ほっといたら、ダメな気がする。身体、すっげー冷たいし。」

トントンと一定のリズムで、赤子をあやす様に背を叩かれて、不覚にも安心してしまう。
私がどれだけ頑張っても、こいつは離してくれる気は無いようだ。

「…………。」

体温が落ちているのは、私の中の話だけではなかったのか。こうして、誰かに勘づかれるほどに、私は冷えていたのか。そう思えば、感じる武の暖かな体温が、いつもより熱い気がして。
火傷……しそうだ。なんて。




「……俺さ。桜と一緒なら、どこでも行けるぜ。」

沈黙の長い間を置いて、幼馴染から告げられたその言葉に、私は予想外な心弛びを感じていた。もう、この十年で、こいつと私がだいぶと変わっていることには気付いているのだ。今のこの言葉も、十年前の私たちであればもっと純粋な意味だっただろう。
だが、今私に向けて放たれた言葉が、もうそんな綺麗なものではないことは、重々承知している。
そしてそんな言葉に、存外にも喜びを感じている自分がいることも、また然り。

「…………あぁ。」

でもこれだけは、これだけは譲れないのだ。
彼の美しい夢を諦めさせて、薄汚れた道を歩ませたというのにも関わらず、私は、未だ彼は日向の人間だとそう思っている節がある。
まだ彼は、間に合うのではないかと。

だから、自分はどうなっても構わない。彼が美しく居れるのであるならば。そう思って、どんな汚い仕事も、危険な仕事も乗り越えてこられた。

……そんなもの、彼の好意を受け入れ、自分の気持ちを殺しきれなかった時点で、ただの夢物語だ。エゴイズムだ。独りよがりだ。

それでも私は……、こいつの手を汚してやりたくない。神様も大笑いのひどい矛盾だ。ただただ、己の首をゆっくりと締め上げていっている。

「……お前まで冷たくなったら……、誰が私を温めてくれるんだ。」

もうとっくに諦めていた抵抗の手を下ろし、武の背にそれを回す。十年前とさほど変わらない、だが太陽や夏の土の匂いがしなくなった肩口に、その額を埋めた。
あぁ、こいつも、変わっていっているのだ。二人でなら、私もこの冷たさを感じることは無くなっていくのだろうか。

じわりと戻ってきた、しかしまだまだ冷たい指先が、彼の背の熱を静かに奪っていた。


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