『任務。』
組織やその一員として与えられ、責任をもって果たさなければならない行為。
ツナ君、……私が仕える主である沢田綱吉は、まだ、ボンゴレという巨大組織のボスではない。
九代目は、ツナ君が十代目としてボンゴレを継ぐ決意を固めた時点で、もう継承に移るつもりだった。確かに、九代目も高齢であるわけだし、次代を早めに固めておきたいという考えは理解できる。
しかしながら、未だ私たちがこの状況であるのは、私が、リボーンさんや九代目に頼み込んだからだ。彼らにもう少し、猶予が欲しいと。彼らが普通でいられる期間を。
「なるほど。君の言いたいことはよくわかった。」
九代目は優しげに微笑んだかと思えば、紅茶に口をつけ、自らの後ろに佇む私の祖母、貫薙梅を一瞥した。
「桜ちゃんは、いつかの君に比べて随分と聡明な子だ。」
「やかましい。余計なお世話だよティモ。」
梅さんは、痛いところを突かれたとでも言うように渋く眉間にシワを寄せた。あの梅さんと言えども、やっぱり九代目には適わないようだ。相も変わらず、この人はすごい人だな。
「…………それはテメーのエゴだろ。桜。」
九代目が醸し出す柔らかい空気をかき消すように、部屋の隅から冷たい声が投げかけられた。やっぱり、あなたは怒るだろうと思ってました。
「そう厳しいことを言ってやるな、リボーン。」
九代目が諌めるように、その声の主に苦笑いを向けるが、彼から発される難色的なオーラは収まらない。
リボーンさんの言う通りだ。これは私の私情。ただただ、彼らが影に踏み込むまでの時間を稼ぎたいと言うだけの。
私は未だ心の中で、彼らは陽だまりに戻れるんじゃないかと希望を抱いている節がある。ツナ君が、ボンゴレを継ぐと決めた時点で、もうそんなことは淡い幻想になったというのに。それでもまだ私は、彼らの手を汚したくないのだ。
「……はい。これは、我儘です。エゴです。私のただの、自分勝手です。」
継承を引き伸ばすということは、ボンゴレの行う通常業務を、まだしばらくの間は九代目方々に執り行って頂かなくてはならないということ。
たくさんの方に迷惑をかけるやもしれん。でもそれでも、私は彼らが酷なことに手を出すのを遅らせたい。
九代目はゆっくりとした動作でカップをソーサーへと戻し、一本その節くれだった指を立てる。
「桜ちゃんの望みは二つ。一つはつっくん達への継承を、彼らが大学を卒業するまで、つまり五年後まで待ってほしいということ。」
リボーンさんは未だ不服そうな佇まいだが、九代目の言葉に口を挟む気は無いらしい。それは勿論、同席している私の祖母も同じで。ただ静かにそこに留まっている。
「そしてもう一つは、五年後彼らにボンゴレを継承した時、活動支部を日本へ置かせてほしいということ。」
緩慢と、しかし鋭く立てられた、九代目のその指は、まるで私へ突きつけられた枷を自覚させるようで。少し、ほんの少しだけ、私は畏敬の念を感じた。
しかし、それを飲みこみ嚥下して、私は強く頷いた。決めたのだから、私が彼らを守ると。
「君の願いも最もだ。私たちと違って、彼らは今まであくまでごく普通の一般人だったのだから。」
九代目はその鋭く立てた指を仕舞うと、考えるように瞳を閉じた。しばらくして、ゆっくりとその瞳を開いたかと思えば、また穏やかに微笑む。
「わかった。了承しよう。」
「本気か、九代目。」
リボーンさんは務めて落ち着いたように抗弁するが、九代目へと向けるその瞳は依然として鋭いままだ。これは後で叱られそうだな。
「しかし。」
リボーンさんからの弁を抑えるように、九代目が口を開いた。ピクリ、とリボーンさんがその動きを止めた。
今までずっと、柔和な笑みを浮かべていた九代目が、すっとその纏う空気の質を変貌させたから。その変化に、私は一つ生唾を飲み込んだ。やっぱり、この人はすごい人だ。
「君の望みを承諾するにあたって、こちらからもいくつか条件を飲んでもらう。いいね?」
「…………はい、覚悟の上です。」
真っ直ぐに、笑みの消えた九代目の瞳を見つめ返せば、九代目は私の目をしばし見つめたあと、また先ほどと同じく穏和な微笑みを浮かべた。
「その意志の強さ。……本当によく似ている。」
その後、九代目から提示された条件は三つ。
一つ、継承を先延ばしにしたことで、ボンゴレから彼らに与えられるべきだった任務は私が代わりに行うこと。
二つ、守護者たちが二十歳を過ぎれば、その任務に各々携わらせ始めること。
三つ、緊急事態であれば、年齢に関係なくボンゴレを、仲間を守るために戦うこと。
この三つの条件を飲めば、本格的な継承はツナ君たちが大学を卒業するまでは待ってくれるらしい。
しかしながら、私達はあのシモンとの戦いの時、敵をおびき出すためだったとはいえ、継承式を執り行い、ツナ君の存在をマフィア界に知らせてしまった。
結局、戦いの最中で継承式は中止され、未だボスの座は九代目の手にある。しかし、ツナ君がボンゴレを正式に継いでいないとはいえ、その存在はマフィア界周知の事実となっている。そして、十代目の座を狙う者は決して少なくない。
つまりツナ君は、打倒ボンゴレ勢力に命を付け狙われているという状況なのだ。九代目から提示された条件は、そういう者達には自分たちで対処しろ、ということだろう。
「はい、貫薙桜です。……今晩一時に、…………はい。わかりました。」
ボンゴレから与えられる任務は多岐に渡り、簡単な身辺調査や情報収集に始まり、要人の護衛、敵対勢力への妨害工作、そして勿論……暗殺任務、なんてのもある。
九代目の温情か、私に与えられるものの中でも、最後の任務は特に少ない傾向にあるが。ゼロ、という訳では無い。
「電話か?誰からだ?」
電源を落とした携帯画面をぼうっと見詰めていれば、背後から聞きなれた幼なじみの声がかかった。スイッチを入れなくては。気を抜くな。今はまだ、彼らの幼なじみであり、後輩である私なのだから。
「父さんだよ。ちゃんとやってるか、だと。」
「へー、おじさんやっぱ心配なのか。」
「貫薙は一人娘だろう、当然じゃないか?」
いつも通りを心掛けて、彼らとの日常の会話をこなす。危ないところだった。次から任務の伝達はメールとかに出来ないか頼んでみよう。
「おやすみ。」
「おやすみなさーい。」
「おやすみなさい。」
運動部気質の人間たちが集まれば、消灯時間はかなり早めだ。彼らは朝早く起きてロードワークへ行くし、私もその時間くらいには起き出して、朝食や弁当作りに取り掛かる。
しかしながら今日は、私はベッドに入ることは無い。
部屋へ戻っていった同居人達の気配が静まったのを確認してから、愛刀『花鳥風月』担ぎあげ、ゆっくりと部屋を出る。息を殺し音を潜め、玄関の扉から身をすべらせれば、春だというのにほんの少々だけ冷たい風が吹き抜けた。
彼らが起き出すまでに、帰ってこなくては。
(はよー。)
(おはよう。朝ごはんできてるぞ。)
(すまんな、貫薙。)
(いえ。)
(あれ?)
(どうかしたか、山本。)
(いや…………桜、なんかあった?)
(…………なにがだ?)
(なんか、元気ないかと思って。)
(別に、何も無いさ。いつも通りだ。)
(………………んー。ならいいや。)
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