「すみませんおじさん。わざわざ車出してもらって。」
「気にすんな気にすんな。桜ちゃんのためだ。」
最後の荷物を、軽トラックの荷台から下ろして、剛おじさんは二カリと豪快に笑った。
「それに、うちの馬鹿も桜ちゃんと一緒なら安心だ。よろしく頼むよ。」
「あはは……、確かにそうですね……。」
武の一人暮らし、と字面だけ見るとこんなに不安なものは無い。ある程度自炊や家事などはできるだろうが、如何せんどうにも頭が野球で出来ているあいつの事だ、何かと細やかなところが心配ではあった。
ルームシェアなら、そういうところの面倒も見れるし、おじさんの心労がひとつ減るだろう。
「じゃあ、俺は戻るからな。すまんね、最後まで手伝ってやれなくて。」
「いえ、車を出してもらっただけでもありがたいですよ。あとは自分たちでやりますから。」
おじさんにもお店があるし、むしろ朝一に車を出して、私たちの荷物をここまで運んでくれただけでもありがたいというものだ。あながち、荷物配送というのは業者に頼むと値が張る。
軽快にエンジン音をたてて去っていくおじさんを見送っていれば、手にかかっていた段ボール箱の重みがすっと消えた。
「荷物はこれだけか?」
突然の隣からの声は、ここ一、二週間ほどで随分と耳になれた低い声。その手には先程まで私が抱えていた段ボール箱が。ん?これだけって…………もっと荷台から荷物は下ろしたと思うのだが……。
まさか、荷物すべて運びきってしまったのか。武と二人がかりでまかせたとはいえ、私もいくつか運ぶつもりだったというのに。後ろを振り返れば、荷台から降ろして傍に重ねていた段ボール箱がすべて消えている。
「すみません。全部運んでいただいたみたいで。」
非常階段を登っていくその背中に声をかければ、先輩はその足取りを少し緩めて答えを返す。
「大したことは無い。」
今日は朝一のロードワークが出来なかったからな。これで代用だ。笹川先輩はそう言って笑うと、額に少し滲んだ汗を拭った。
「……ところでお前たち、荷物が少なくないか?」
部屋に戻って、リビングに荷物を置いたと思えば、先輩は室内を見渡してそう言った。
「そう、ですか?」
新居であるリビングダイニングルームには、先程荷台から下ろして運び込んできたダンボール箱たちが無造作に置かれている。これはバケツリレー方式で部屋に入れたのは武だな。間違いない。置き方がきたねぇ。
それにしたって、そんなに少ないだろうか。でもそう言う先輩だって、先輩自身の荷物は私たちよりも大分少ないような気がするが。
「まぁ、俺は野球の道具とかくらいッスから。先輩こそ、そんなに多くないっスね。」
「荷物の大半は、大学のロッカーや近くに住んでる友人の家に預けているからな。実家にまで持ち帰っている余裕がなかった。」
確かに、先輩の荷物は少しの衣類などしか入ってないようで、段ボール箱を持った感じも軽かった印象がある。
「私も、道着と薙刀と、衣類と…………位ですかね。そっちの箱は全部調理器具とかなので。」
「桜、家から持ってきたのか?」
「ん、使ってないやつ寄せ集めてきた。」
私がいなくなればあの家は父ひとりになるため、ある程度の食器や調理器具は持ち出してきた。とは言え、やはり足りないものはある。
「買い出し、行きたいですね……。」
個人個人の段ボールを仕分けながらそう言えば、散って作業していた二人も、一も二もなく頷いた。
「大きな買い物は明日にでも行くとして、細かいものは今からでも買いに行くか。」
「細かいものっつーと……洗剤とか、トイレットペーパーとか……、あ、あとバスマットとか?」
武があちこちのダンボール箱を覗きながら指折り数えている。バスマットか、失念してたな。危うく今晩の風呂で困るところだった。
「必要なもの、リストアップしないとな。」
中身を確認した段ボール箱を一つ、割り当てられた自分の部屋へと運び込みながら背中越しへ声を張り上げる。
「台所周りのものは貫薙に任せたいのだが、構わんか。」
先輩も部屋に荷物の運び込み中か、廊下の向かいの部屋から声が飛んでいる。
「はい。それは大丈夫です。」
むしろ料理などのことは幼い頃から取り仕切っていたから、今更手を離してもなんだか落ち着かなくなってしまう。二人食わせるのも、三人食わせるのもそう変わらない。それに、元々どこぞの幼なじみがよく家に転がり込んでくるからか、私は三人分の料理の配合には熟れている。
「二人共ー、買い出しの前に昼食いません?親父から弁当預かってんスよ。」
おじさんが出掛けに武に渡していた大きな包みはそれか。いや、大方の予想はしていたが。太陽は真上少し過ぎ、と言ったところか。荷物整理をしている間に、随分時間が過ぎてしまっている。動き回っているから、気付かぬうちに随分と腹も空いた。
「買い物リストは食べながら作りますか。」
「あぁ。」
空腹に負け、向かいの部屋へ声をかければ、先輩もひょっこりと顔を覗かせる。
すると武が水筒の味噌汁を器に開けたのか、良い出汁の匂いがリビングから漂ってきた。今度剛おじさんにお礼言っとかないとな。
「細かいリストはこんなもんスかね。」
「あと炊飯器欲しいんですが……」
「炊飯器は今日は無理だな。明日行こう。」
様々な家電や家具を譲ってもらったのだが、元々住んでいたのが大学生の男所帯だったこともあり、炊飯器がなかったのだ。ここへ来る前にしっかり確認しなかったのも悪いのだが、今家具のチェックをしていて気づいた。今晩は米が炊けないな。パスタかなにかを作るとしよう。
今晩の献立を考えながら、リストに食材を追加し終わったところで、全員綺麗に食べ終わり箸を置いた。
武が弁当箱を洗い、先輩が洗い終わったそれを拭き、そして私が食後の茶を入れるため、持ってきたやかんで湯を沸かしている時に、ポツリと先輩が手を止めることなく口を開いた。
「貫薙、少し話がある。」
「はい、何でしょうか?」
急須へと茶葉を入れながら応えれば、先輩は少しの間のあと、全くのいつも通りに、先ほどの口調と変わらず、言葉を続けた。
「貫薙、俺はお前が好きだ。」
普通に、いつも通りに、それこそ並に放たれたその言葉が、私の中で理解されるまでに五秒ほどの時間を要した。静寂の訪れたキッチンに武の放つ水音と、先輩のたてる食器のこすれる音が響く。
「っ?!!」
つい、手に持っていた茶葉の筒を、調理台の上に取り落としてしまった。カツンという音で我に返り、散ってしまった茶葉を急いで拾い集める。
「は?え、えっと……あの、え?先輩、今なんて?」
「む、聞こえんかったか?俺は、お前のことが好きだ。」
あまりの衝撃に先ほどのことが夢か幻聴だったんじゃないかとも思ったが、もう一度、今度はハッキリと区切って伝えてくれるものだから、これは現実なんだと認めざるを得ない。もう一度茶葉を散らすところだ。
「その好きというのは……その、」
「勿論、異性としての好きだ。」
あぁ、もう逃げられない。あの先輩のことだし、無邪気に仲間としての好きだ、とか言ってくれる可能性がわずかばかり残っていると思ったのだが、その希望すら断ち切られてしまった。
「心配するな。今返事はしなくて構わない。お前の反応を見る限り、困っておるのだろう。」
弁当箱を拭き終えたのか、水音がやんだキッチンを出た先輩は、くるりとキッチンの前に設置されているカウンターの向こうへと周り、こちらへと目線を向けている。先輩を見れば、少し眉尻を下げて穏やかに微笑んでいる目と目が合った。その優しげな視線に、私は少しの罪悪感を感じた。あれ?なんで……。
「だが、その上で今回の同居を誘わせてもらった。その意味はわかるな?」
「………………。」
一気に加えられた情報に、処理が追いつかない。先輩は、私のことが好きで、その上でルームシェアを誘った……、その意味、は…………。オーバーヒートしそうな頭を押さえたところで、隣から今まで黙っていた幼なじみの声が上がった。
てかちょっと待て、武がいるのになんで先輩はこんなこと……。
「つまり先輩は、この同居中に桜を惚れさせようとしてるってこと。」
「え?」
「っスよね?先輩?」
武が濡れた手を振り払い、にこやかな笑みを浮かべながら、カウンター正面の笹川先輩へと問いを投げれば、先輩は早々と頷く。
「あぁ。その通りだ。これは賭けだと思ってもらっても構わん。」
先輩は武へと向けた視線をまた私の方へと向き直し、真っ直ぐに私の目を見る。その目は、いつも通りの純直に輝いている。
「賭けの期間は大学寮が完成して、お前がその寮に移るまでの一年間。俺はこの一年間のうちに、貫薙、お前を俺に惚れさせてみせる。」
だめだ、やっぱり理解が追いつかない。だって先輩は、学生時代からボクシングバカで、そんな浮いた話なんて露ほども聞いたことがなくて。そんな先輩が、今目の前で、私を惚れさせると宣言している。
タチの悪い冗談かなにかかとも思ったが、そもそも先輩はそんな冗談をする人じゃないし、先輩の目はまったく後ろめたさがない。
じゃあこれは、……本気。
「あんまり桜のこと、混乱させたくないんだけどさ。」
突然当てられた熱気に、私が視線を逸らそうとした瞬間、隣りの幼馴染も、こちらを向いた気配がした。先輩の貫くような視線から逃れるように幼馴染へそれを向ければ、その先の武も、同じように真っ直ぐ私を見つめていた。
「俺、桜のこと、先輩に渡す気ねーから。」
「は?」
快活に笑う武は、一見いつも通りに見えて、その雰囲気は狩りをする獣のようだ。先輩を撃ち落とすために、ぎらついている。
「ちょ、ちょっと待て、武、意味が…………」
「そのまんまの意味。だって桜は俺が貰うんだから。」
武がぐっと腕を伸ばして、私の右手側にあるコンロの火を止める。やかんは既に中の水が沸騰したことを告げていた。そしてそれに気付けないほどに、今の私は混乱していた。
急すぎて頭が追いついてこない。笹川先輩に好きだと告げられ、武には渡さないと宣言された。
嬉しいとか、嫌だなんて感情よりも前に、私には驚愕と困惑の念が渦巻いていた。
だって二人共、中学から知っていて、私は二人のことを仲間と思って過ごしてきたし、共に死地をくぐり抜けたのだって一回や二回どころの話じゃない。
そんな二人が、好きだなんだという話を、私とするとは全く思っていなかった。特に武なんて、赤ん坊の頃から一緒にいるのだ。考えたこともなかった、と言うのが正直なところだ。
だが、二人の目は真剣そのもので、まるで射抜かれるような、仕留められるようなそんな気分だ。
「…………同居前に、動揺させるようなことを言ってすまん。だが……、腹に一物抱えたまま過ごすのはどうも収まりがつかんかった。」
「つっても、桜に同居決めさせる前に言えばよかったんだけど、ごめんな。逃がしたくなかったからさ。」
「…………。」
確かに、同居を決める以前にこれを伝えられていたら、私はこの決断にもう少し慎重になっていたかもしれない。むしろ、この二人から逃げていたかも。
「だが、そう萎縮することは無い。」
カウンターの向こうの先輩は、またいつも通りにニッカリと豪快な笑みを浮かべた。
「お前は普通に、今まで通りに俺たちに接してくれればいい。俺たちだって、そうわかりやすく直接的にお前に迫ったりはせん。」
「そーそー。俺達はお互いにそういう事しないように見張るくらいだと思ってくれればいいから。」
そのままで、過ごせるのだろうか。二人の気持ちを知って。仲間のままで。
「………………いつも通りで、良いんですか?」
ゆらゆらとやかんの先から上がる湯気を見つめながら、恐る恐る尋ねれば、二人共強く頷いた。
「あぁ。この告白の返事は一年後だ。」
「俺か、先輩か。勿論、どっちも好きになりませんでしたっていう答えもあるぜ?」
そうか、私が二人共に惚れなければ、今まで通りの関係を続けられるのか。先輩後輩として、幼馴染として、仲間としての。
私だって、二人のことは嫌いじゃない。むしろ人間性は好きだ。いい人だとも思う。だがそれが、異性として、恋人になりたいだとかいう好きなのかと問われれば、そう簡単にうなずけない。
今までそういう目線で、二人を見たことがないから。私は二人とはこの、今の関係のままでいることが理想だ。
それに……、もし私と交際すると言うならば……その後に契りを交わすというのなら、その相手には生涯、マフィアとしての枷が付きまとう。守護者として引き入れられてしまった二人はそもそもそれに片足を突っ込んでいるのだ。だが……まだ間に合うかもしれない。まだ、陽だまりに戻れるかもしれない。
私と恋仲になれば、影の道を歩まなくてはならないことは確実だ。私はこの生涯をボンゴレに捧げると誓ったのだから。
「……私は、どっちにも惚れない。絶対に。普通の関係のままだ。」
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