カンパネラ | ナノ

la Campanella



ポン、ポン…

聞き覚えのある音色が聞こえ、男は脳に描いていた五線譜と、
自室へと歩を進める足をストップさせた。


「カンパネラ、か?」
ピアノの魔術師と呼ばれた男の、「鐘」の名がついたもっとも有名な楽曲の一つ。
ヴァイオリン協奏曲の一楽章をピアノ用に編曲した作品だったか。

男…スモーク自身も時折演奏している曲だが、誰が演奏しているのか。
ポケットの煙草を取り出し、思考を巡らせる。
特徴ある音は目の前にある部屋の主であり、
激しい音を奏でるあのピアノの物のようだが
彼(と言っていいものか)ならこの最終稿ではなく、
超絶技巧と呼ばれる改訂前の稿を選ぶだろう。

次に思いあたったのは腐れ縁の白山羊。だが彼は依頼を受けて今はこの場にはいない。
それに彼はクラシックよりもジャズを好んでいるし、得手がある。

第一、彼らにしては演奏がぎこちない。
楽譜を見ながら、あるいは思いだしながら音を紡いでいるような印象だ。

兎にも角にも、今この音を紡いでいる、
あのピアノが己の体に触れる事を許している人物の正体を知りたい。
奏者の邪魔にならないよう、そっと扉に手を掛けた。



室内の光景に、スモークは手にした煙草を取り落としそうになった。


軍人にしては余りに細いが音楽家としては余りに武骨な指。
普段は銃火器を愛おしそうに操るその指が、鍵盤をなぞっている。
いつものBDUではなく、シンプルな黒のタートルを着た、スキンヘッドの男。
時折間違え、たどたどしいながらも、形にはなった演奏。
まさかこの男にこんな一面があろうとは。
いや、それ以上に驚いたのは、部屋の主がこの男に己の体を触る事を、
それどころか近づくことを許しているという事実。

と、侵入者に気付いたのか、演奏がぱたりと止まった。
奏者…ハーネマンの視線が扉の前に立つ影を捉える。
「なんだ」
口調は厳しいが、いつものキツい視線ではない。不思議そうな眼。
「…ピアノ、弾けたんだな」
声をかけられ、ハッと思いだしたかの様に口を開いた。


「弾けるといっても、少しだけだがな」
「少し、ってその曲はなかなかに技術がいる曲だぞ」
「そうなのか?」
「『パガニーニによる大練習曲 第3番 嬰ト短調』
 改訂前よりは簡単にはなってるが…それでも素人じゃ到底弾ける曲じゃあない。
 それに、アンタがその曲を知ってるとは驚いた。
音楽には興味が無いと思ってたからな」

そこまで言って、スモークは自分の饒舌さに驚きを覚えた。
久しぶりに聞いた音色に、いささか気持ちが緩んでいたのかもしれない。
普段ならとてもじゃないがこの男と会話することなどないのに。


「…バアさんが、好きだったんだ」
「バアさん?」
「ああ。リストの、特にピアノ曲が好きで。
 コイツがマゼッパを弾いてたのが懐かしくて、つい、な。」

ハーネマンも今日は随分と口が軽い。
いつものギラギラとした眼光も、今は深い海の様な碧に包まれている。
それだけ、祖母との思い出が彼の心に根付いているということだろう。
穏やかな手つきでピアノ…グランドハンマーのボディを撫でている。

「ピアノはバアさんに習ったのか?」
「いや、たまに触るだけで、あとはずっと演奏を聞いていた」

『聞いていた』
それだけであれだけ演奏ができていたというのか。
繰り返し何度もこの曲を聞いていたのではあろうが、
古い記憶の中から音を思い出し、演奏してしまう。
もしも、この男が戦いではなく音楽の道を選んでいたら…

「惜しいもんだ…」
目の前の軍人の、自覚すらしていない才能を惜しみ、小さく零した。


「どうする。まだ、弾くか?」
と、下から声がした。先程まで軍人に体を預けていた、部屋の主。
「いい、のか?」
「思ったよりもいい演奏だった。よければ最後まで弾くといい」
彼もこの軍人の意外すぎる才能に驚いているらしい。らしからぬ台詞を放った。
「ハーネマン、俺も始めから聞いてみたい。弾いてくれるか?」
スモークも手近にあった椅子に腰掛け、ハーネマンに演奏を促す。


かくして、小さな演奏会が始まった。


うちのミッヒさんは気付いてないけど絶対音感持ち。
加えて音階把握能力が高いです。

本当は演奏途中で楽譜を思い出せなくなって、
途中からスモークさんと連弾するっていうくだりもあったんですが
さかまちさんの音楽知識では途中でボロが出てしまう気がしたので削除…

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