夏の宵の熱冷まし

池クロの無配だった小説家月島×幽霊六臂の怪談です。




「はぁぁぁぁぁぁ…………」
「どうしたの?随分深いねぇ……」
 月島は深い溜息と共に、そのままめり込むのではないかという程の勢いで目の前の書き物机へと突っ伏した。
「担当さんに……怪談を書け、と、言われたんです……」
「おや」
「夏だから納涼だそうです」
 どちらが死人か分からないくらい生気の無い頬を六臂が透けた手で撫でる。
「今回は楽そうじゃない?体験談を書けば良いのだから」
「む、む、む、無理ですよっ!僕、お化けとか苦手なんです!!怪談とか、そういうのって『呼ぶ』っていうじゃありませんか!ただでさえ深夜まで起きているのに……」
「月島。君は俺の事をなんだと思っているんだい?まさか天使だとでも思っている訳ではないだろう?」
「そんな凶悪な天使様がいたら神様が泣いてしまいますよ」
「恋人に酷い言い様だね。俺は優しいから月島に一つネタをあげようと思ったのに」
「怪談のですか!?……ッ」
 ネタと言われて勢いよく飛び起きた月島は、机の上に放置してあったペーパーナイフで指先を軽く切ってしまった。人差し指の先に赤い筋が浮かび、プクリと血が玉になる。
「ドジだなぁ」
「すみません」
 六臂が手近にあった塵紙を渡すと、月島は申し訳なさそうに受け取りながら傷口を押さえた。
「最近、傷の治りが早いんです」
「へぇ……健康な証拠じゃない?」
「それにしても異常ですよ……これくらいの傷ならたぶん、夜には治っています」
 月島はまるで奇怪なものを見るかのように、自分の指先を凝視する。
「体質じゃない?月島は良く怪我をするでしょ?」
「それが?」
「人間の体って、置かれた状況に順応するから。きっと、たくさん怪我をする月島の血小板と肉芽組織は進化したんだよ」
「そういうものですか……」
「あ。そんな月島にピッタリの話かも」
 腑に落ちない月島の横で、六臂が妖艶な笑みを浮かべる。
「さっき言ってた怪談。人魚の肉を喰らった愚か者の話さ」
「いわゆる八百比丘尼ですか?」
「そうだね。でも子供をあやす昔話とは違うよ」
 六臂は正座をして太股を叩き、月島に膝枕を促す。
「むかしむかしあるところに、それは町でも評判の、とても美しい男が住んでおりました」
 寝ころんだ月島の髪を梳きながら、六臂がゆっくりと語り出した。





 男はその辺りの女よりも美しく、常に人に囲まれて生きておりました。男の出自は農民でしたが、何事もそつなくこなせる事と、その外見で、街でも有数の商家にまで成り上がりました。そんな、全てを手に入れた男にも、一つだけ恐れている事がありました。
 それは老いです。男は死ぬことも、金を失う事も恐れてはいませんでした。ただ、老いる事だけを恐れていたのです。体が衰え、醜く朽ちていくならば、美しいままで死ぬ方がましだと思うほどに。言っても死ぬというのは最終手段であり、男は老いに抗うあらゆる方法を試みました。
最初は普通の美容法から始まりましたが、探求心は常軌を逸し、彼の人としての正常な感覚を奪いました。時に胎児を食し、時に生娘の生き血を飲み……そんな倫理観を失った男は、とうとう人魚の伝説に辿り着いたのです。人魚の血肉を食せばその肉体は老いから逃れられると聞き、男は東奔西走しました。そしてある庄屋の好色な翁が囲っているという噂を聞きつけ、男はありったけの財を持って向かったのです。
 ところが翁はどんな金銀財宝を見せても、けして首を縦に振る事はありませんでした。しかし、男が絶望し、その美しい双眼から涙を零した時、厭らしく笑ったのです。
「お前のその美しい躰を差し出すというなら、考えてやろう」
 その提案は予想外でした。男は自分の美しさは自分のみの物だと思っていたからです。まして男に男色の気はありません。自分の躰を差し出し、あまつさえ女の真似事をさせられるなどと想像した事も無かったのです。
 男は悩んだものの不老の誘惑に抗えず、次の晩に翁の褥へ向かいました。三日三晩、男は翁の慰み者になりました。抵抗すれば容赦のない暴力を受け、何度も気を遣り、手酷く犯された男は四日目の朝、指の一本も動かせない状態で地下の座敷牢へと放り込まれました。
「大丈夫?」
 誰もいないと思っていた座敷牢で声を掛けられ、男の躰が強ばります。
「怖がらないで」
 声の主は優しく男の腕に触れました。小さな蝋燭に映し出された姿は透き通る程に白しい肌をした青年で、まるでアルビノの蛇を連想させます。
「この体には治癒を促す効果がある」
 そう言って色素の薄い青年は男の腕を舐めました。すると、たちまちに傷が癒え、まっさらな肌へと戻ったのです。驚く男を余所に、青年は身体中の傷を舐めて癒しました。礼を言うと青年は微笑んで、また奥へと隠れてしまいました。
 男が不思議に思って蝋燭を手に隅へ向かうと、そこには水の張られた樽に入った青年がいたのです。青年の下半身は魚であり、彼こそが翁に飼われていた人魚でした。
「美しいだろう?それがお前の求めていた人魚だ。こやつの肉を喰らえば、お前も不老不死が手に入る。そうしたら儂が永遠にお前を可愛がってやるよ」
 突如聞こえた声に男と人魚は硬直しました。特に人魚の怯え方は異常で、男の服を掴んだ手は小刻みに震えていました。翁の使いが牢に入って人魚を桶から出すと、すうっと鱗が消えて人間の足が生えたのです。人魚はそのまま引き摺られていき、二晩経って戻ってきた時には、男とは比べものにならないほど凄惨なありさまでした。
 人魚は傷の治りが早い分、拷問のような陵辱を受けていました。酷いときは顔が潰れ、手足をもがれ、ただの肉の塊にしか見えない程です。男はそんな人魚に水をかけ、少しでも早く治るようにと祈りました。念願だった人魚を前にしてもそれを食べたいなどという欲求は消えていました。それどころか自分の美しさへの執着もです。己よりも美しく、気高い人魚に心を奪われました。
 そして次の満月の晩、とうとう人魚へ想いを伝えたのです。人魚は涙を流し、それは真珠となって床に落ちました。男は傷付けたかと謝りましたが、人魚は嬉し涙だと言いました。
―――ここから出て二人で暮らそう
 そう語ると人魚はにっこりと笑って男に口付けました。
「せめてお前だけでも自由に……」
 一瞬の出来事でした。
 唐突な口付けで驚いている男の前で、人魚は穏やかな笑顔のまま自らの胸に刃を突き刺したのです。





「男はその人魚の肉を喰らい、不老不死の肉体を手に入れましたとさ。めでたしめでたし」
「どこがめでたしなんですか……まぁ、後味の悪さは怪談向きですね」
「そうだろう?人間はとても強欲だから。必ずしもハッピーエンドとはいかないよ」
「八百比丘尼はその後、どうなったんです?」
「気になるかい?」
「ええ。座敷牢から出れたのですか?」
 六臂が矢継ぎ早に問うてくる月島に苦笑する。
「出たよ。再び翁が陵辱に来たとき、人魚の懐刀を使って使用人共々、皆殺しにしたのさ」
「今度こそめでたしめでたし、と?」
「より悪いかな。男は不老不死を手に入れたが、彼の周りの人間は違う。彼を置いて一人、また一人と死んでしまった。それに、牢を出た時点で男は不老への興味を無くしていたからね。そして気付いた。最も恐ろしいものが孤独だということを」
 語りつつ妖しく笑う六臂の顔は酷く煽状的で、月島は生唾を飲んだ。
「だから八百比丘尼は死んだのさ。あの日と同じような満月の晩、人魚の懐刀で自分の首を掻き切った」
「で、でも八百比丘尼は不老不死なんでしょう!?」
「そうだよ。どこぞの不死の酒とは違って、老いて死ぬことは無い。永遠の若さを保てるさ」
「それなのに何故?」
「言ったろう、老いて死なぬと。老化しないという事は、細胞が活性化しているという事だ。自然治癒力も異常な程に早い。大抵の傷は即座に治るし、命に関わる致命傷であっても安静にしていれば問題ないよ。けれど、本人が死ぬ気で自殺すれば話は別だ。しかも男は人魚の肉を完全に喰わなかったからな」
「え……?」
「人魚に惚れてしまったから、喰らう事が出来なかったのさ。どうしても、人の躰をしている上半身には手を出せなかった」
 六臂は悲しそうに眉を寄せ、月島の頬を撫でる。
「だから人魚は生きていたんだ。そして男を探しに街へ出て、偶然自殺する瞬間を見てしまった。散々悩んだ挙げ句、人魚は己のエゴを優先させた。死を願う男に生き血を飲ませて海へ帰った。もし再び出会えたら、その時は永遠を誓おうと決めてね」
 月島は体を起こし、自分に触れていた細い指を掴んだ。
「六臂さんは……首に傷がありますよね」
「うん」
 六臂は体温など疾うに忘れたと思っていたが、月島に握られた指先は燃えるように熱く目眩を覚える。目には涙が溜まり、気を抜けば零れてしまいそうだった。
「俺に傷はいっぱいあるよ。首にも、胸にも」
 六臂は熱っぽい視線と共に首を傾げて白い肌を晒した。真っ赤なファーから覗いた傷へ、月島が震える指先で触れる。
「時に月島」
「はい」
「お前は天涯孤独だったな……」
 六臂は内側から沸き上がる耐え難い程の興奮を必死に隠し、月島のマフラーへと手を掛けた。
「親が死んだのはいつの話だ?」
 赤い紅い朱い唇が三日月に歪んで、同じ色の瞳が細く狭められる。
「えっ……」
 唐突な問いに固まる月島を余所に、六臂は幾重にも巻かれた長いマフラーを解く。スルスルと解かれて軽くなる首元に、月島は言いようのない焦燥に駆られた。
 そしてとうとうマフラーの無くなった青白い首が白熱電球に晒される。六臂はどこから取り出したのか、小さな手鏡を正面に掲げ、月島は見てはいけないと思いつつ、目を逸らすことが出来なかった。

「人魚の肉を喰らった男は、それはそれは美しい金髪だったそうだよ」





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