背信的ファナティシズム


 僕の世界は赤と青と黄と白、そして最低の明度を有する黒で構成されている。
 その黒は二種類の黒を混ぜ合わせた泥のような黒だ。
 一つは、僕の世界にチラチラと映る悪魔のような女性の黒。
 もう一つは、それを見て濁っていく僕の精神の黒。


 それは重くジメッとした大気が気に障る六月某日のことだった。
 僕を始めとする七人の“語り部”は、狭い新聞部室に押し込められて怪談の会をすることになった。
 不本意なボランティアをさせられ、その日の僕の気分は暗かった。
 一番最後にやってきた聞き役の一年生の登場と同時に、七人目の語り部の登場を待たずして、“七不思議の集会”は幕を開けた。

「ねえ、坂上君。私を、あなたの恋人にしてくれないかしら?」

 集会も佳境に差し掛かった頃、五話目に指定された三年生の先輩が、淀みない口調でそう言った。
 僕は既に話した後だったので、後続の人たちの話には身を入れて聞けていた。それ故に、彼女の言葉はより衝撃的に思えた。
 これで彼女が容姿に優れた人物でなければ、言われた方も即座に断っていただろう。
 しかし、岩下明美と名乗ったその先輩は、十人中九人が振り向くような美貌を誇っていた。
 健全な男なら当然と言うべきなのか、坂上君は顔を真っ赤にして焦った。
「えっ…? いや、その…」
「冗談だと思わないで。真剣に答えてほしいの。どう? あなたの恋人にしてくれる?」
「えーと、あの……今はちょっと答えられないというか……すみません」
「そう……まあ、無理もないわね。それじゃあ、とりあえず私の話を聞いてちょうだい」
 岩下さんが語ったのは電話の話。ロミオとジュリエットもかくやという関係の一組の男女が、この学校の前に設置されている公衆電話に翻弄される物語だった。
 最終的に、女性の方が酸に焦がされて死亡という凄惨な結末を迎え、話は終わった。
 話よりも話し手の方が恐ろしいと思ったのはおそらく僕だけではないだろう。
『今晩、電話する。毎日、電話してあげる』
『私の事裏切らないでね。裏切ったら、遠慮なく殺しちゃうわよ』
 魔女のような目をして、岩下さんはそう言った。呪いの文言のように禍々しかった。
 

***


 特に何事もなく集会は終わりを迎えた。
 集会を行ったことによる害といえば一つ。僕の心の中に、あの美しくも狂妄な先輩の姿をクッキリと焼きつけたことだ。
 あの日から、隙を見せれば魔女の目が光った。呪いの文言がリフレインした。
 僕に向けられたものではないにも関わらず、僕は彼女を脅威に思うと同時に、ある種の興味をそそられた。
 会いたいと思っても、学年が違えば容易ではない。気軽に三年生の教室に赴けるほどの大胆さを持ち合わせていなければ、先輩たちとの会話をこなせるほどの対話力もない。
 僕は彼女と再開することもないまま、日々を漫然と過ごした。
 グラウンドと運動部員の心をしとどに濡らした梅雨はやがて終わりを迎え、学期末を告げるように颯爽と夏がやってきた。
 夏休みへのカウントダウンが始まる七月の上旬を迎える頃には、彼女への思いは崇拝に近しいものとなっていた。
 魔女信仰だとか、悪魔信仰とでも言うのだろうか。殺人さえ何とも思わないような彼女の物言いに態度に、渇望と憧憬を覚えている。
 ――彼女が容赦なく人を殺す所を見てみたい。残酷に、無慈悲に振る舞うのをこの目にしたい。
 ギラギラする夏の太陽のような、もしくは正反対のギラギラした黒い太陽が僕の心に根付き、やがて黒い太陽は月食の形を成した。
 それとほぼ同時だった。
 “魔女”に似つかわしくない、見たくない所を見てしまったのは。

『岩下サン、僕、ヤッパリ岩下サンノ事ガ好キデス。』
『本当ニ? 私ト付キ合ッテクレルノ?』
『ハイ。オ願イシマス。』
『嬉シイ。坂上君、大好キ』

 人気のない放課後の中庭の片隅。夕暮れを過ぎ影が落ちる校舎の裏で、睦言が囁かれていた。
 相手は間違いない、坂上君だ。
 ――あれじゃあ、まるで、恋人同士じゃないか。
 僕は食い入るようにその様子を観察した。
 喜色満面といった彼女の顔は、僕の描く理想の岩下さんとはひどくかけ離れたものだった。
(あんなの、違う。)
『ネエ、明日デートニ行キマショウ。イイカシラ?』
『ハイ、モチロン。ドコニ行キマスカ?』
『ドコデモイイワ。アナタガ喜ブ場所ナラ、ドコデモ。』
(違う、違う、違う!)
 あんな表情、彼女には似つかわしくない。僕の岩下さんは、あんな顔はしない。
 恋愛? そんな精神病、彼女に最も遠い存在だ。
『ジャア、映画デモ見ニ行キマショウカ。』
『エエ、ソウシマショウ。明日ノ十時頃ハドウカシラ――』
 刹那、世界は赤に満ちた。
 黒の中に飛び散った赤が、僕を支配した。

「殺してやる!」

 ――魔女。憤怒の魔女。……僕の憧れた姿。
 黒髪を振り乱し、僕を組み敷き、若干の熱が残る地面に押し倒す。
 寒波のように冷たい視線が僕を射抜く。冷酷で、残酷で、暴君のような岩下明美。
(ああ、やっぱりこの人にはこの顔がいい。)
 右手に握った血まみれのカッターなどで止められるわけもなく、僕の首には彼女の刃が当たっていた。
「正直に言いなさい。全部よ。どうして坂上君を」
「あなたには似つかわしくないからですよ。いえ、全く似合っていない」
「……何が言いたいの」
「彼自身が、ではなく、彼と一緒にいるあなたが、ですよ。仕様もない恋愛なんかにかまけている岩下さんなんて、見たくないんです」
 自分でも驚くほど、僕は堂々としていた。それだけに留まらず、うっすらと笑みを浮かべていた。
 彼女はというと、対照的なまでの殺意を込めた顔で僕を見下している。
「あんたは馬鹿よ。よりによって私の目の前で坂上君を殺すなんて。そんなに早く殺されたいの?」
「そうですね、ええ、こんな風に怒りを露わにするあなたが見たかった」
「まさか私を好きだなんて言うんじゃないでしょうね」
「まさか。恋愛は精神病ですよ。僕がそんな感情を抱くように見えますか?」
「私が精神を病んでいると言いたいのね、あんた」
「僕はね、あなたに憧れているんです。人を人とも思わない、平気で人を殺せるあなたに」
「そうよ。私は人を殺すわ。今、手を動かすだけで、私はあんたを殺せるのよ」
「素敵だ。あなたはそうでなくちゃいけない」
「だったら見せてあげるわ。最期に見たいものを見れるなんて、幸せ者ね」
 ああ、確かに僕は幸せだ。
 坂上君、僕はあなたよりも先に、本当の彼女を目にすることができたんですよ。恋愛なんかにかまけた君よりも先に!
 ほら、カッターが迫ってくる。スローモーションで僕の頸動脈を掻き切ろうとしている。
 今この瞬間に時が止まったなら、僕は永遠の幸福を手に入れられることだろう。
 万歳!


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