哀れなる恋患い


 恋愛なんて、若者特有の気の迷いだと思っていた。
 愛だの何だのと言ったところで、所詮は繁殖欲にすぎないのだ。そう鼻で笑っていた時期もあった。
 彼女と出会うまでは、そうだった。


「今回のターゲットはこいつだ。一年E組、坂上修一」
「へえ。こいつ、日野の後輩なんじゃなかったの?」
「ああ、後輩だよ。俺と同じ、新聞部だ」
「何だよ。それじゃあ、殺すチャンスはお前の方にあるじゃないか」
「そうだ。そう言われると思って、俺は考えておいたよ」
「何をですかぁ?」
「こいつに、鳴神新聞の取材をさせる。テーマは七不思議、そういった話に詳しい奴を集めておいたから、放課後残って取材するように……と言っておく。もちろん、新聞部にそんな取材をする予定はない。それを知らずに、坂上は俺達の罠にかかるというわけだ」
「新しいなあ。僕、もうワクワクしてきた」
「日取りは6月9日の放課後だ。それまで楽しみにしておくようにな」
 ここまでは、いつものクラブ活動だった。
 僕も日を心待ちにし、それなりにワクワクしていた――彼女が発言するまでは。
「日野君」
「どうかしたのか? 岩下」
「彼を殺すのだったら、死体を私に譲ってもらえないかしら」
 その場の全員が、驚愕の面持ちで彼女の方を見た。
「ターゲットに決まった以上、殺害の撤回はできないでしょう。だからせめて、死体だけでも残しておきたいの」
「どういう理由で?」
「決まっているじゃない。彼が好きだからよ」
 その瞬間、何かが壊れて、吹き飛んだ。
 彼女の言葉が信じられなかった。まさか彼女に思い人がいるなんて、思わなかった。そして、生まれて初めて神を呪った。
「はっ。お前みてえな奴も、そんないじらしい事を言うんだな。こいつのどこに惚れたんだ?」
 困惑する僕を、新堂さんの声が現実に引き戻す。
 彼女は嘲笑めいた笑みを浮かべる新堂さんを睨みつけると、凛として言い放った。
「彼、入学式で私を見て笑ったの。だからよ」
 暗いものが精神を侵食していくのがはっきり分かった。これが嫉妬というやつなのか、彼のことが憎くてたまらない。
 彼女にこんなに想われている彼が、妬ましくてたまらない。
 誰よりも先に殺してやりたい。だけど殺せば、彼は彼女の所有物になる。
 ――僕は、どうすればいいんだ?


***


 時間は残酷に過ぎ、とうとう6月9日がやってきた。
(このまま――彼女と一緒に死んでしまおうか)
 しかし、どうしても心中することはできず、僕は間抜けにも死刑の時を待っていた。
「はあ……」
「荒井君、ちょっといいかしら」
 真摯な表情の彼女が、僕の後ろに立っていた。
「ど、どうしたんです、岩下さん」
「協力してほしいの。坂上君を殺す時、ペアを組んでもらえるかしら」
「構いませんが……どうして?」
「彼をね、逃がしたくないの」
 ……ああ。僕は、利用されるためだけにあなたと共にいるのか。それほどまでに、彼を想って―――
「分かり……ました」
「ありがとう。期待しているわね、荒井君」
「はい……」
 軽い足取りで、彼女は去っていった。
 一人取り残された僕は、何をするでもなくパイプ椅子に腰かける。
 ぎし、と軋んだ音が、僕の心を錆びさせていくような気さえして。
「……ふふ」
 ――そうだ。彼女はわざわざ、僕に頼み事をしてくれた。何の頼りになるでもない僕を。
 僕は彼女が好きなんだ。愛も恋も繁殖欲も知ったこっちゃない。好きな人のために尽くしてやろう。



「死ぬんだよ、坂上君!」 
 死なないでほしい。でも死んでほしい。
 僕は彫刻刀を振りながら、「死ね」「死ぬな」と心で唱えていた。
 もう、今まで彼に抱いていた殺意は頭にない。ただ、「彼女の心を奪うな」という思いが、僕を突き動かしている。
 お前はどうしてここにいるんだ。どうして、この学校に来たんだ。どうして、彼女に笑いかけたりしたんだ。どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、お前は生まれてきたんだ。
 僕は悪くないんだ。生まれてきたお前が悪いんだ。
 彼女を奪った、お前が悪いんだ。
 ぐるり、と首をロープが一周した。
 間髪を入れず、力を込めた両手がぎゅうと握りしめられる。
 彼がもがく。青白く鬱血する顔。
 僕はその様子を瞬きひとつせず、じっと凝視した。今まで味わったことのない気持ちが、胸中を支配するのを感じながら。
「あなたが死んだら、死体は私がもらうことになっているの。大切にしてあげるからね、坂上君……」
 幸せそうな表情の彼女に見つめられながら、彼は動かなくなった。
「ありがとう、荒井君。あなたのおかげよ」
 甘く囁いた声が、暗い部室に淫靡に漂う。
「……岩下さんは、坂上君が本当に好きだったんですね」
 答えず、彼女は膝の上に乗った鬱血した頭を撫でた。赤ん坊でも撫でるように、愛おしげに。
 それを見た僕の心がまた暗く淀む。
 僕はどうして「坂上修一」じゃなかったんだろう。目の前の死体は、どうして僕じゃなかったんだろう。
 あの喜悦に浸った顔で、僕を絞め殺してくれていたならば。
 僕はどれだけ幸せだっただろう。
「大好きよ、坂上君」
 やめてください。彼はあなたの好意に応えてはくれない。
 だからどうか、僕を見てください。
 思慕に溺れ嫉妬に身を焦がす僕の心情を、少しでも察しているのなら。

(僕の方が、あなたを愛していますよ)
(一体、いつ気づいてくれるんですか?)


for me,

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