首切少女と僕


 部屋を蛍光灯の灯りが照らしている。
 その真下にあるのは、髪の毛一本たりとも動かさない男子生徒。
 正確に言うと、動かさないのではなく動かない。髪の毛どころか細胞の一つも、じきに動かなくなるだろう。つまるところ目の前で倒れている男子生徒は死体である。
 凡庸だった彼をこんな惨憺たる有り様に変えたのは、涼やかな面持ちでカッターナイフをチキチキと言わせている女生徒。
「どうしたのかしら」
「……いえ、何でも」
 カッターは持ち手の部分まで真っ赤に塗れていた。
 彼女が振るったカッターで彼の首が掻き切れ、スプリンクラーのように血が噴き出した光景は、実に鮮明に覚えている。
 彼は断末魔すら許されず、凡庸な生涯を終えた。その凡庸さには身の丈が合わない末路を伴って。
「……凄惨ですね」
「いつものことじゃない」
 そう、いつものことだ。彼女の逆鱗に触れた者は誰でもこうなる。逆鱗が少々特異な位置にあるのと、触れたと見なされる範囲が常人には理解しがたい事を覗けば、単純な因果関係であった。
 “裏切る”。たったそれだけの行為で、彼女はただの少女から恐ろしき殺人鬼と変貌するのだ。
「岩下さん、もし僕があなたを裏切ったら、あなたは僕を殺しますか」
 自分でも愚問だと思った。彼女にとって僕などとるに足らない存在、呼吸をするように一刀のもとに切り捨ててしまうだろう。
 そんな僕の予想を、それこそ裏切ったような意外な答えが返ってきた。
「私に殺される人間は二種類に分けられるの。一つは私を裏切った人間、もう一つは私が愛した人間。荒井くん、あなたはどっちに分類されるのかしらね」


 人間は二種類に分けられる。異常な人間と、異常でない人間の二種類。ざっくりした分け方だろうが概ねこんなものだろう。
 異常な人間は奇怪な行動をし、異常でない人間はそれを恐れながらも惹かれる。大多数の人はこのどちらかに属するはずである。
 話は変わるが、僕『荒井昭二』と、彼女『岩下明美』は、奇妙な関係にある。
 友人ではなく、もちろん恋人でもない。例えるなら演者と観客に近い。
 躊躇いなく人を殺す――その異常性を、異常性を持たない僕は観察させてもらっているのだ。異常を持たないからこそ、僕は彼女の異常に惹かれ、凄惨な光景を毎日のように脳に焼き付かせる。
「私は、あなたも狂気の持ち主だと思っているわ」
「え?」
「人は誰でも狂気を持っているものだけどね……こんな光景を進んで見たがる辺り、普通の人間とは違う」
 床に広がる血だまりを意に介さず、彼女は座り込んだ。そして、死んだ男子生徒の体を起こし、膝の上に乗せて、その顔をゆっくりと撫でた。
 その行為は非常に艶めかしく僕の目に映る。
「何故、彼を殺したんです?」
「珍しいわね。どうしてそんな事を聞くの」
「気になったんです。それだけですよ」
「……こいつはね、嘘をついたの。これ以上の理由があって?」
 言いながら、カッターで胸の上をなぞる。
「ねえ、荒井くん。こいつの腹の中、見てみる?」
「――何を」
「見たくない、なんて言わないわよね。顔を見れば分かるわよ」
 どくん、心臓が鳴動した。
 やはり彼女に嘘はつけない。露呈すれば最後、僕は彼のように血だまりに溺れる事になるだろう。
 頷くと、彼女は満足げに笑みを浮かべた。
「いい子ね。やっぱりあなたは人と違ってる」
 白い指がボタンを外していく。障害物を取り払うかのように、容易く。
 露わになった胸部の上にカッターの刃が軽く突き立って、後は見事なものだった。
 あっという間に一本の線が引かれ、遅れて黒ずんだ血がのそりと顔を出す。
 皮膚が切り裂かれたのを確認すると、臆しない手が侵入して、傷口を広げた。

「ね、汚いでしょう」

 執刀中の事はよく覚えていない。
 気が付くと彼の体は蹂躙され尽くしていて、真っ赤な彼女がそこにいた。
(夢でも見ているんじゃないだろうか)
 僕は言葉を発さずぼうっとした。彼女はくすくす笑った。
「どうかしら?」
 そんな事を言われても。
 死後数分経っているので出血はそれほどでもない。しかし引きずり出された内臓はまだ新鮮さがあるようで、蛍光灯の光を受けてぬらぬらと輝いている。
 いささか刺激が強すぎる光景だろうが、僕は目を背けたり嘔吐したりする事なく、体の奥までさらけ出した彼を見ていた。
「生物の実験ですか」
「カエルやネズミの体内なんか知ってもしょうがないでしょう。どうせ知るなら……ね」
「あなた、どうかしてますね」
「心外だわ」
 白いセーラー服は黒ずんだ血で汚れてしまっている。いくら夜中とはいえ、人目についたら只事では済まないだろう。
 彼女はそんな些事など気にしていないという風に振る舞っていた。
「私にも聞く権利はあるわよね。どうして殺人の様子なんて見たがるの?」
「……こんなもの、目にする機会なんてありませんから」
「わざわざ私の所に来なくたって、自分でやればいいのに」
「リスクを背負いたくありません」
「傍観者でいたいのね。いつまでそう言い張れるかしら」
「いつまでだなんて、そんな」
「荒井くん、私を誰に紹介してもらったのか、覚えてる?」
 ――誰、だって?
 そうだ、僕は直接彼女と知り合ったわけではない。誰かを介して、岩下明美と接触した。
 あれは――
「……日野さんです」
 いつのまにか、僕は壁を背にしていた。
「ちゃんと覚えていたのね」
 目の前には黒い瞳。
「考えてもごらんなさい。私がこんなに人を殺して、どうしてばれないのか」
 しつこいぐらいに脳裏にフラッシュバックするのは、あの先輩の顔。人のいい笑顔に、理知的な眼鏡に、朗らかな態度。
 日野さんが――何か仕組んでいたというのだろうか。
「どうやって交渉したかは知らないけど、うまくやったみたいね。だけど日野君はタダであなたの望みを叶えてあげたわけじゃないわ。あなたを見込んだのよ、彼は」
「……どういうことです」
「あなたは認められたの。殺人クラブの部員としてね」
 殺人クラブ。
 風の噂で耳にした。秘密裏に人を葬り去る人物がいると。無慈悲に、身勝手に、理不尽に、この学校のヒエラルキーの頂点に立つ人物がいると。彼らは、さながら独裁者のように気に食わない人間を抹殺することで、快適な生活を送ろうとしているのだと。
 僕の目の前で笑っている彼女がその一員なのだとしても、何ら不思議な事ではない。
 彼女に殺された人間は一体何人いた? なぜ彼らの死体と彼女の所業は発覚しないのか?
「あなた、人を殺したいって思っているんじゃない? 私知ってるわ。私が人を殺してるのを見てるあなたの目、日に日に淀んでいってるのを」
「そんな……」
「だって本当の事だもの。嘘じゃないでしょう? 」
 白魚の指が首に絡みついて、顎を撫でる。僕の体は鉛のように固まって、動かない。
「あなたってホントに運のいい人。だってあなたがつまらない人間だったら、とっくに死んでいたのよ。分かる? 私、あなたを気に入ってるの」
 指先が唇に触れる。ひどく官能的に、あたかも言葉を禁じるような仕草で。
「どうかしら。私といれば、あなたの好奇心を満たす事ができるわ。あなたの望んだ行為で、人の命の尽きる瞬間を見る事ができるの。ねえ、一緒に人を殺しましょう?」
「もし――僕がいいえと言ったら、僕を殺すでしょう?」
 言うか言わないかの所で、カッターナイフが視界に入り、首にひやりとした感触をもたらした。
「口封じ、もあるけど……裏切ったから、と言った方がいいわね。……選びなさいな、私に殺されるか、私と殺すか」
「……死にたくありません」
「だったら、あなたの言うべき言葉は一つしかないわ」
 そして、僕は口にした。
 好奇心と精神の充足と引き換えに、一生背負うべき咎を手に入れた。
 もしかしたら僕は、この時、もしくはもっと前から、彼女に魅了されていたのかもしれない。
「改めて、ようこそ、殺人クラブへ」
 首切少女は宣告した。後戻りは許さないと。
「これでずっと一緒にいられるわね、荒井くん?」
「どうせ離れられないなら、僕だって離しませんよ。僕も裏切りは嫌いですから」
「なら誓いましょう。お互いの事を裏切らないって」
 彼女の指が僕の唇を指す。
 何を意味するのかは言われずとも分かり、すぐさまそれを実行した。
 ――時間が甘ったるく流れていく。
 秒針が進む音と、蛍光灯の瞬く音が、静かな部屋をハエのように飛び回っていた。

Only two

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