祭りの盛り


 盛夏の折、日野さんから知らせが届いた。
 『近所の神社で夏祭りがあるので、集会で集まった皆と一緒に行こうかと思うんだが、どうか』。
 この暑い時期に外に出かけるのは億劫だったけれど、祭りの妖しげな雰囲気は嫌いではなかったし、夏の夜の空気を楽しむのも悪くはないと思ったので、誘いに乗った。
 家に浴衣があることは知っていたのでそれを着ていこうかとも思ったが、着付けができないので諦めた。


***


「よお。来てくれてありがとうな」
「いえ……」
 明朗な笑みの、浴衣を着た日野さんが出迎えてくれた。日野さんだけでなく坂上君や細田君も、風間さんまで浴衣を着ている。
「日野さん、浴衣の着付け、できたんですか」
「ああ。細田は家から着てきたみたいだが、風間と坂上は俺が手伝ったよ。……お前、着れないのなら言えばよかったのに」
「……まあ、いいですよ」
 幸い、新堂さんはゆるめのTシャツを着ている。一人だけ普段着という少し恥ずかしい事態は避けることができただけでもよしとしよう。
「荒井さん、お久しぶりです」
 僕の存在に気づいたらしく、坂上君がこっちに歩いてきた。
「あの時はどうも、ありがとうございました」
「いえ、お礼を言われるほどのことはしていませんよ」
「荒井さんの話、けっこう評判でしたよ。顧問の先生も怖いって言ってました」
「そうですか、お役に立てたようで何よりです」
「おや坂上君、僕には言ってくれないの? 挨拶」
 いつのまにか、右手に焼き鳥の串を持った風間さんがそばに立っていた。
「僕の話はどうだったんだよ。怖すぎて寝られなくなったとか、そういう然るべき感想があったんじゃないかい?」
「あー……あはは」
「君、笑ってごまかしてるだろ? まあいいよ、その代わり何かおごってくれないかな」
 変わらない人だ。見ていて気持ちのいいものではないし、僕までタカリに巻き込まれたら困るので、女性陣に目を向けてみた。
「きゃははっ! 岩下さんてば、冗談はやめて下さいよぉ」
「あら、私は冗談なんて言わないわよ」
 岩下さんと福沢さんが談笑していた。
 福沢さんは、快活な笑顔を浮かべてケラケラ笑っている。大きく金魚が描かれた浴衣が似合っていた。自分で選んだのか、それとも誰かに選んでもらったのか、どちらにせよセンスのいいコーディネートだ。
「ねえ岩下さん、彼氏っているんですかあ?」
「ええ、いるわよ」
「えー! 誰なんですか、教えてくださいよお」
「秘密」
 岩下さんはというと、濃紺の地に白百合が描かれた浴衣を着ている。長い黒髪は大きく結われており、いつもは見えないうなじが惜しげもなく晒されていた。
 浴衣の色によって引き立てられ、その肌の白さは夜闇の中でも眩しい存在感を放っている。
「荒井先輩!」
 福沢さんが手を振りながらこちらに歩み寄った。
「浴衣着て来なかったんですか?」
「着付けができなかったんですよ」
「えー、じゃあ私と一緒に岩下さんの家まで行って、着付け手伝ってもらったらよかったのにぃ」
「えっ……」
 この人は恥じらいというものがないのだろうか? いや、男女で部屋を分けて、その上で手伝ってもらうということかもしれないけど…。
「やだなー、冗談に決まってるじゃないですか! きゃはは…」
「福沢さん、人を騙すのは良くないわ」
 ……心臓に悪い人たちだ。
「おーいお前ら、そろそろ行くか」
 日野さんが朗らかに言った。皆が歩き出した彼の後に続く。
 風間さんだけが何か食べているけれど、もはやそんなことは誰も気にしていないようだった。
 ――熱気と喧噪が僕らを取り巻く。
 見知らぬ人のガヤ騒ぎや、屋台の売り込みを聞き流しつつ、僕は祭りの場を徘徊していた。
 他のメンバーもそれは同じようで、やれあの縁日は面白そうだの、やれそこの屋台は美味しそうだの、あちこちを行ったり来たりしている。
 日野さんは坂上君や福沢さんに何かおごっていて、風間さんは新堂さんに何かおごらせていた(どうやら、新堂さんはジャンケンで負けたらしい)。
「お、あそこのクジ屋はなかなかいい景品が揃ってるじゃないか。ちょっと遊んで行こう、新堂」
「お前な、遊ばせてるのは俺だってことを忘れてんじゃねえのか?」
 細田君は日野さんたちに着いて回りながら、目に入った食べ物屋に片っ端から近づいては何か買っている。
 どうやら全ての屋台で買い物をするつもりらしい。なんと、その費用は全て自分の財布から出している。日野さんがおごると言っても丁寧に断っていた。
「細田さん、それ焼きそばですか」
「うん、大盛りにしてもらったんだ。次はどこの食べようかなあ。坂上君は何食べるの?」
「そうですね、僕は……うーん、何か飲もうかな」
「あ、いいね、それ。僕も喉が渇いてきたんだよね」
 みんな、思い思いに祭りを楽しんでいるようだ。身にまとっている雰囲気が僕のそれとは違い、まるで子供のよう。
 僕はとりあえず、本殿近くの石段に腰を下ろした。
「荒井くん」
 浴衣姿の岩下さんが、目の前に立っていた。
 僕の隣に座って、持っていた姫りんご飴に口をつける。
「何か食べないの?」
「ええ、まだ決めていなくて」
「じゃあ、これをあげる」
 すっと差し出された岩下さんの右手に、アルミカップに入ったいちご飴が乗っていた。
 シロップにまみれた飴は、提灯の明かりを受けて奇妙な輝きを放っている。
「…僕のために?」
「そうよ。おいしかったから、あなたにあげようと思って」
 岩下さんはそう言いながら、すました顔をしてりんご飴をぺろぺろと舐めた。
「ありがとうございます。いただきます」
「どうぞ」
 嬉しそうに、こちらに笑みを向ける岩下さん。彼女のこんな表情が見れるなんて、祭りも捨てたもんじゃない。
「ねえ、荒井くん」
「はい?」
「どこかへ移らない? ここは少し騒がしいわ」
 赤く灯る提灯や、書き入れ時を迎えた夜店に群がる人々。
 確かに、二人一緒の時間を過ごすのにはふさわしくないかもしれない。
「そうですね。どこにしましょうか」
「ついて来て」
 すっと立ち上がり踵を返した岩下さんの後を追って、いちご飴を口に放り込みつつ僕も歩き出す。
 その足は、神社の奥へと向かっていた。
「いいでしょう? 私たち二人だけの場所よ」
 本殿のさらに向こう、いわゆる鎮守の森が広がる場所だ。
 幸いにも、日野さんたちは僕らの所在に気づいていないらしい。おまけに人気もなく、ここ一帯は静寂に包まれている。
「なかなか、いい雰囲気ですね」
「お化けでも出そう?」
「それぐらい静かな場所が好きですよ、僕は」
「あら、そうなの。それは良い事だわ」
 薄暗がりで見る彼女の顔は、幻想的で冷艶とした美しさをかもし出している。
 今、この美しさは、僕のためだけにある。そう考えると、無性に嬉しくなってしまう。
「……岩下さん」
 こちらを振り向いた彼女の顔に笑みを向けて、思いつくままに言葉を並べてみた。
「浴衣、似合っていますよ。すごく綺麗です」
「率直ね。荒井くんらしくもないわ」
「そうですか」
「けなしたんじゃないのよ」
 岩下さんは僕の横に腰かけると、つぶやくように言った。
「ありがとう。あなたにそう言われるのが、一番嬉しい」
「……あ」
「うふふふ……。顔、真っ赤っかよ」
 皮膚がかあっと熱くなっているのを初めて感じ、慌てて顔を背けた。
 ……まったく、この人はこんなにも僕の調子を狂わせてくれる。どうしようもなく予想外で、突拍子がなくて、底なしで。
「荒井くん」
 僕の腕の中の彼女は、わずかに頬を赤くしていた。
 口の中の飴はもう溶けてしまっていた。濃厚な甘い香りが唾と混じって喉に落ちていく。
「飴、ごちそうさまでした。おいしかったです」
 彼女の白い手が、姫りんご飴に刺さった割り箸を握った。
「どういたしまして」
 ―――夏の夜。
 明るさを増す赤提灯。
 騒ぐ人、人、人。
 僕らの祭り。僕らだけが見ている、祭り。
 夜はまだ、これからだ。

Summer night

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