燕窩−ツバメの巣−
そして、待ちに待った放課後が来た。これほど時間が進むのを遅く感じたことはない。
意気揚々と、私は新聞部室を目指していた。
階段を駆け下り、教室を過ぎ去ると、もう目的地が見えてきた。
部室棟二階、文芸部室。ここだな。
「こんにちはー」
…あれ。誰もいないじゃん。
まだ来てないのだろうか。まったくもう、取材対象を待たせるとは何たることか。
とりあえず、そばにあったパイプ椅子に腰かけ、一息つくことにした。
机にひじをつき、ドアに背を向けて、ゆったりと。
あーあ、今日の晩ご飯なんだっけな。
カレー、炒め物、肉料理………―――
「―――お?」
あれ? ここどこだっけ。
椅子に座ってたはずなのに、床が目の前にある。
しかも動けない。どうやら、縄かなにかで縛られているようだ。
「お目覚めかい、田口真由美」
聞き覚えのない声が頭上から聞こえた。起き上がれないので、体を回転させて仰向けになると、私を見下ろす眼鏡の男が視界に入った。
「気分はどうだ? さぞかし悪いことだろうな」
人を見下ろしてニヤニヤ笑うなんて、何様のつもりだ。下手な事を言うとまずいし、とりあえず黙って見ておこう。
「おい、なんか言えよ」
「まあそう言うな。恐怖に怯えているんだ、無理もないさ」
いかにも乱暴そうな男を、眼鏡の男が制した。よくよく見ると、その二人の他にもぞろぞろと人がいる。
「……福沢さん」
「あっ、覚えてたの? すっごーい、頭殴られてたのに大丈夫だったんだー」
心配してるような素振りも、無事を喜んでいるような感じもしない。どうやら彼女もこいつらの一味だったようだ。…はめやがったな、こいつ。
「新聞部の取材……じゃないよね」
「きゃはははっ! 日野様ぁ、こいつまだ分かってないみたいですよ。説明してあげません?」
「そうだな、せっかくだから教えてやろう」
この眼鏡は日野っていうのか。よし、覚えたぞ。
ていうかこの状況にいて取材だと思うなんて、どこの間抜けだよ。…と言いたいところだけど、ここは我慢我慢。
「田口真由美。お前はこれから、この殺人クラブによって処刑されることになった。お前の犯した罪は重大だ。死刑になってもおかしくないくらいの罪を、お前は犯した。
罪状を言おう。
廊下で新堂とぶつかったのに謝らなかった。
風間がお前のことを誘ったのに無視した。
細田が近くにいたのに、太った奴のことをけなした。
屋上で荒井が休んでいたのに、いつまでも友達とだべっていた。
福沢のシャーペンを自分のものと勘違いして使った。
岩下の質問に曖昧な返事をした」
………今日知り合った福沢さん以外、知ってる人が誰一人としていない。
しかも何なんだ、そのとってつけたような罪状は。これが本当の裁判だったらブーイングものだ。
「そして、お前は殺人クラブについて知ろうとした」
ああ、やっぱり情報がもれてたか。だいぶ前のことだから忘れていた。
それが一番納得できる罪状だけど、やっぱり納得できない。そんな理由で殺されてたまるものか。
「判決を下す。死刑!」
「異議なし!」
「異議なし!」
「異議なし!」
「異議なし!」
「異議なし!」
「異議なし!」
独裁者のごとき裁判官たちが私を取り囲む。検察官もいなければ弁護士も傍聴人もいない、不平等裁判ここに極まれり。
真正面に立った日野が、蔑んだ視線を送ってきた。
「お前に執行猶予を与える。これからお前に、学校の中を逃げ回ってもらう。俺たちが追い、追いつけば殺す。簡単だろう? 外に出ようとすればそこで終了だ。ここにいる誰かが、お前を惨殺する。質問はがあるなら一つだけ聞いてやる」
「……名前を教えてくれませんか?」
「それはどういう意味だ?」
「私は、あなた達の名前を知らないんです。冥土の土産に、よかったら教えてもらえませんか?」
六人は、『何を言ってるんだ』と言いたげな顔をした。日野だけが、おかしそうに笑っている。
「ははは、どうやら結構、肝が据わっているようだな。面白い。俺は三年F組の日野貞夫だ。ほら、お前らも名乗ってやれ」
「…ったく、面倒だな。3年D組、新堂誠」
「3年H組の風間望」
「…3年A組の岩下明美」
「1年G組、福沢玲子」
「2年C組の細田友晴」
「…2年B組、荒井昭二」
「ありがとうございます。覚えときます」
「僕たちにわざわざこんな事をさせるとは、さぞかし楽しませてくれるんだろうね」
「頑張ります」
縄をほどかれ、とにかく逃げ回れと告げられた。
外はもう暗く、廊下の電灯も消えてしまっている。
「先輩。学校の外に出なければ、何をしてもいいんですよね?」
「ああ。何をしてもいいぞ」
「分かりました」
部室から出ると、蒸し暑さが体に覆い被さってきた。
「それでは、ゲーム・スタートだ」
今夜はいい夜になりそう。
少々過激な遊びだけど、暇潰しにはもってこい。
さあ、今から私は一人、誰にはばかる必要もない。
こんな楽しいことって、他にない。
私の含み笑いは、どうやら部員たちには届かなかったようだ。
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