デクノドールの笑う日


 ―――荒井くんはちっとも笑わない人だね。
「そうですか。それで、どうかしたんですか」
 ―――笑って。
「面白くもないのに笑えと言うんですか」
 ―――そうだよ。笑って。
「あなたは意地が悪い」
 ―――ふふふ。
「…散々笑えと言うくせに、僕より先に笑うとは」
 ―――だって、面白いから。
 


 田口真由美は、日陰者である僕と接点を持とうとする奇特な女性だった。
 僕は対人関係において無頓着で、必要最低限の関わりしか持たない。この学校においての友人は、趣味思想が合致する人物(この時点で女子はふるいにかけられ、男子のみ残る)しか存在しない。
 広すぎる交友関係は無駄と思っているし、僕のような偏屈者を理解する人などそうそういないのだから、この結果は当然の事として享受するべきである。
 話を戻そう。
 田口真由美は語った。
 僕は人形のように静謐で、朴訥としていて、沈着冷静で、とにかく人形のようである―――と。
 よく知りもしないで、人のことを人形人形と勝手なものだ。ずかずかと人の内部に踏み込もうとして、大変無礼である。 常日頃そう感じているというのに、不思議なことに僕は彼女を拒絶しなかった。
 来る日も来る日も、僕は前の席に陣取る彼女と適当に対話をする。それが日課として組み込まれているというのに、それを訂正しようとはしなかった。
 なぜ、と僕に瓜二つの人形が問う。
 球体関節と硝子の眼球を持つ、僕そっくりのマリオネット―――いや、もう一人の僕。
『なぜ、田口さんを追い払わないんだい』
『あなたのことが嫌いです、そう言えば、僕は今まで通りの静かな生活を送ることができるのに』
 笑わない僕が、問う。


「荒井くん、今日は何を読んでるの?」
「…空想小説ですよ」
「ああ、その本。私も読んだ事あるよ」
 田口真由美は今日も饒舌だった。
 前の席に陣取り、読書にふける僕を朝顔の観察でもしているかのような目でじっと見ている。
 しばらく活字の海に溺れていると、彼女の視線も海に没しているのに気づいた。
 ひょいと本を持ち上げてやると、田口さんは声を上げた。
「私も読んでたのに」
「僕の本です。読みたいのなら借りてくるなり何なり、すればいいでしょう」「だって読んだ事あるもん。読んだうえで、改めて軽く内容を確認してるんだよ。
えーと、今読んでいたの、“不気味の谷”辺りだよね?」
「そうですが」
「機械工学か何かで“不気味の谷”って用語があるらしいんだけど、知ってる?」
 僕は鼻で笑った。その程度の言葉、ちょっと博識な中学生にでも聞けばすぐに教えてもらえるだろう。
 …不気味の谷、その意味とは。
 
『ねえ、僕』
 人の形をしたものが、
『僕は田口さんをどう思っているの?』
 人間に似れば似るほど――――――
『そろそろはっきりするべきだと、僕は思う』
 彼女の背後に、僕がいた。
 顔は見えない。うつむいた僕に、そいつの顔は見えない。
 けれど体は見える。球体関節を持つ、冷たそうな木製の裸体が。
(…内面が出しゃばるなよ)
『僕は僕と一緒だよ。この姿は他ならぬ僕、荒井昭二の姿だ』
 僕は頭を抱えた。内面が現実を侵食するなんて。
 これじゃあ僕が、人形にとり憑かれているみたいだ。

「…荒井くん?」
 通常よりも若干心配そうな声色で、そう聞こえた。
「なんか気分悪そうだけど、大丈夫?」
「……大丈夫ですよ。心配ありません。ちょっと考え事をしていただけです。
不気味の谷…でしたよね?」
「そうそう。頭のいい荒井さんなら知ってると思って」
「人の形をしたもの、例えばロボットの動作や表情が、人間のそれと似れば似るほどに、不気味に感じられることですね」
「さすが!」
 人形の姿はなかった。僕は安心して溜息をつき、改めて活字の海に溺れた。
「そうやって黙ってると、本当に人形みたい」
「また人形ですか」
「無表情なとことか、本当にそっくりだよ。荒井昭二くん改め、デクノドールくん」
「なんですか、それは」
「あだ名。でくのぼうとDollを足して、デクノドール」
「安直ですね」
「そう? 自信作だと思ったんだけどなあ」
 
 結局、今日も何も言う事ができないまま、この一日は終わった。

***

 僕は田口さんをどう思っているんだろうか。ここ最近一番懸念している事項だった。
 何分、交友関係以上に恋愛事情には無頓着かつ、奥手である。もし僕が田口さんに恋慕しているとして、何ができるというのか。
 …ただ、彼女と過ごす時間を少なからず楽しんでいるのは事実だ。二年B組において語らいの相手と呼べる者は彼女くらいのもので、受動的ではあるが話す相手もまた彼女くらいのものだ。彼女との時間が増えれば楽しみもまた増えるだろう。
 それはつまり恋愛感情だ。笑わぬ僕がそう言った。
 そんなことがあるか、と返すと、事実だろう、と言い返す。
『僕もまたささやかな恋愛に憧れているんだ。巷の汚れきった恋人たちとは違う、清廉なお付き合いを望んでいるだろう?』
 ―――できるものなら。
『田口さんとならそれが実現できるかもしれない。僕が一歩歩み寄る事で』
 ―――しかし、それをして何になる。
『今更拒絶されるのを恐れていてはだめだ。僕が人に拒絶された事なんて、何度もあったじゃないか』
 ―――今の関係を失うのは怖い。
 僕は今の状態を保つことにして、眠りに落ちた。
 

***

「ねえ、荒井くん、一緒に帰らない?」

 僕は田口さんと肩を並べて、陽が落ちる道を歩いていた。
 それもこれも、彼女が突然言い出した事だ。僕に彼女の頼みを無下に断ることはできなかった。
「今日は空が綺麗だねえ」
「…そうですね」
 このまま大人しく家に帰るのは簡単にできる。しかしそれでいいのか?
 何か行動を起こした方がいいのではないか。僕はともかく、彼女の方が何か望んでいるかもしれない。
 悶々とする僕をよそに、田口さんは語り出した。
「荒井くん、私に何か言いたいことがあるんじゃない?」
「え?」
「私、ひょっとしたら荒井くんの気に障ることをしてるかもしれないからさ」
「…急に、どうしたんですか」
「私と話してる時、なんだか複雑そうな顔だったから…。迷惑かなって思って」
「そんな事は、」
『本当にないのかい?』
 足がすくんだ。オレンジ色に霞む道、数メートル向こうに、笑わぬ僕がいた。
『今こそ答える時だ。僕の望む答えを言えばいい』
(…僕は……)
『恐れないで。僕はもう少しで笑える』

『僕が笑う日が来たんだよ、僕』

「迷惑じゃありません」
「え?」
「迷惑じゃありませんよ」
「…ホント?」
「そうじゃなかったら、僕は今ここにいません」
 人形が赤光に照らされている。
 朱色の逆光でほとんど見えないその顔は、気のせいだろうか、以前とは違うように見えた。
「よかった。荒井くんに嫌われたら、私…」
 彼女の声が震えている。泣いているのかと一瞬勘違いしたが、田口さんはいつも通り微笑んでいた。
 ただ、いつもとは少し違う笑顔で。
「明日からも、話しかけていい?」
「どうぞ」
「読書の邪魔してもいい?」
「構いません」
「好きでいてもいい?」
 僕はその問いの後に一瞬の間を置き、田口さんの顔を見てはっきりと言った。
 笑わぬ僕との決別だ。
「こちらこそ」

 
 ―――やっぱり荒井くんは笑った方がいいよ。
「そうですか」
 ―――人間だもんね。
「僕は人形じゃなかったんですか」
 ―――前の荒井くんはね、笑わないから人形。でも今の荒井くんは人間だよ。笑ってるもん。それに…。
 「それに?」
 ―――人間にそっくりな人形って、気味悪いもんね。
「…それは同感です」
...
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