屍の君
何のために人を殺すのか。頻繁に僕はそう問われるので、適当に答えをでっち上げる。
『不愉快な存在を消したいから』
『日頃のストレスを解消するため』
人が人を殺す理由などそんなものだ。自分の利益のためなら、人は何だってできる。
それを知っているくせに、自分が死ぬ番になると途端に往生際が悪くなる。納得などしないくせに、「自分を殺す理由」を探ろうとする。
―――思い上がりも甚だしい。
お前が殺される理由なんてない。ただ僕の気に障ったから、それだけだ。
「…ねえ、早く殺してくれない?」
痛々しく残る傷跡から、片時も止まることなく滴るペンキのような血。
血だまりの中で捨て猫のような視線を飛ばしているのは、僕らの網にかかった哀れな獲物である。
「放っておけば死にますよ」
止めを刺すまでもなく、出血多量でいつか絶命するだろう。ついさっきまで血の気があった肌も、今はすっかり蒼白を帯びている。
「私のこと、殺したいんじゃないの?」
「殺したいですよ。だからこうして、痛みに苦しんだ末に死ぬのを待っているんです」
彼女は動こうとしなかった。失血のせいで起き上がるのも辛いのだろうか。
この隙を突いて心臓を一突きしてもいいのだが、その案を却下し、彼女が死ぬまでの様子を観察してみることにした。
彼女は2年B組、つまり僕のクラスメイトである。
いつも他のクラスメイトとは一歩引いた位置におり、決して社交的という訳ではなかった。
しかし性格に問題があるかというとそうでもなく、むしろ親しみやすい人物であると思う。
成績もかなりよく、普段の会話から鑑みるに大なり小なりの薀蓄も持ち合わせているらしかった。
そんな彼女がなぜ殺人クラブのターゲットとなったのか?
部長、日野貞夫の鶴の一声である。
そこに私怨があったのか、僕らメンバーは深く追求しなかった。知りたがりにろくなことがないというのは分かっていたし、何より殺せれば誰でもよかったからだ。
従って、僕に彼女を殺す理由など存在しない。
「どうして私を殺すのか、教えてほしいな」
「『なぜ私が殺されなきゃいけないの』…ですか。……どうして誰も彼も、そんなつまらない質問をするんですかね」
「……殺人者の心理を知りたいから」
「え?」
「法に背いてまで、人を殺す理由はなんなのか。小さい頃から気になってたの」
―――この態度。
死にそうになっているというのに、こんな飄々としたことを言う。教室で見る、どことなく超然とした彼女そのままだ。
今まで手にかけてきたどんな女生徒より潔くて、凛としていて、そして―――
「…教えてあげますよ」
「ホントに?嬉しい」
「人を殺すのに、理由なんてありませんよ。強いてあげるなら―――あなたの死ぬところが見たいから、ですかね」
皮膚の切創に触れ、指先で押し広げる。
固まっていた血が溶けて流れ出ていく。
「…痛いよ」
「前から面白い人だと思っていました……死ぬ時はどんな顔をするんだろうか、なんて気になっていたんですよ。
期待通りでした。うるさく喚くこともなく、みっともなく命乞いすることもない……実に素敵な人です」
「……期待通り…ね。私は…期待外れだったよ」
「なんですか、それ」
「私だって、前から荒井くんに興味あったよ。他人に距離を置いてるところが私とそっくりだから。
いつか普通にお話したいなって思ってたのに……殺人鬼だったなんてね」
「…なるほど」
青ざめた彼女の顔に近づき、覗きこむ。
嘘や出まかせを言っているようには見えなかった。
「つまりあなたは、僕に好意を寄せていたということですか」
「荒井くんだってそうじゃない?」
「違う、と言えば嘘になりますね」
「じゃあ、ちゃんと言って」
血のこびり付いた顔、とろりとした視線で、彼女は言う。
潔くて、凛としていて、そして―――
「僕はあなたが好きです、田口さん」
魅力的な人。
「ありがと」
白い手が僕の頬を撫でた。
「よかった、もう思い残すことはないよ」
ぬるりと生温かい血が付着したのが分かる。
僕は、もうほとんど体温の残っていない手に自分の手を重ねた。
床に広がる血だまりはいつのまにか血の海へと姿を変えていて、僕のズボンをぐっしょり濡らしている。
「お似合いですよ、田口さん。綺麗です」
ゆっくりとくずおれていく彼女。最後に少し口角を動かし、僕の手にその体を預けて、ついに動かなくなる。
(あなたは屍の君。)
(死してなお美しい、血肉と骨でできた人形)
(僕の情を献花とし、僕の思慕を荼毘として、僕の記憶に埋葬しよう)
「さよなら。大好きでした」
僕は屍の君に、餞のキスを送った。
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