天衣無縫アウトサイダース


 カーテンの隙間から目にした時計は、一時十五分を指していた。
「……あー」
 そういえば、昼ごはんも食べてない。三時間目の休み時間からずっと寝ちゃってるもんなあ…。
 まあいいか。先生もいないし、下校時刻まで寝ちゃおう。
「あー頭いたーい。食欲もなーい」
 と、つい呟いてしまった。
 いきなりカーテンが勢いよく開き、私の頭まで覆い被さっていた布団が跳ね除けられる。
 温まっていた体が外気に触れ、急速に冷えていくのを感じて思わず身震いした。
「なーにが『あたまいたーい、しょくよくもなーい』だ」
「ど、どうも……新堂さん」
 ひくつきながら彼の名を呼ぶ。
「なんだよ気色悪い。仮病使っても無駄だぞ」
 大股でベッドから遠ざかる彼を見つめる。
 私の他に誰もいないことを確認し、時計を見つつ「何だ、もうこんな時間か」とぼやいていた。
「新堂こそ、なんで保健室に来たの。サボり?」
「んなワケあるか。サボってんのはお前だろ?」
「えへへー……めんどくさくってさぁ」
「お前なあ、三年だろ。泣く事になっても知らねえぞ」
「ハイハイ、あんたは授業に出ないと泣くことになるもんねー。私はまだ大丈夫だもん」
「……田口。ちょっと来い」
「へ?」
「いいから。こんなトコでじっとしてても気が滅入るぜ。ほら」
 ひょい、っと私の腕を引き、ベッドから起こす。
 そのまま流れるような動作で私を追い立て、カーテンを閉めてズカズカと保健室を後にした。


「ほれ、これでも飲め」
 ぽいっと放り投げるように渡されたのは、紙パックのフルーツ牛乳だった。
 まだ冷たさが残っているそれにストローを刺し、中身をすする。
「おいし。ありがとー」
「俺のおごりだ。感謝しな」
 新堂はそう言いながらバナナ牛乳の紙パックを取り出し、飲み始めた。
 この人、こんな見た目のくせに甘い物も好きなんだよね。
「それにしても」
 ここ屋上には、時間のせいだろうか誰もいない。
 眼下に広がる景色を見下ろし、風で乱れる髪を直しつつ、呟く。
「なんか世の中ってめんどくさいなあ」
「お前、いっつもそれだな。スポーツでもしたらどうなんだ?」
「新堂こそそればっかだよねー…」
「どうしたんだよ、おい。今日はやけにセンチじゃねえか」
「んー。ちょっと憂鬱なだけだよ。あのさあ」
 柵の向こうは死の世界。
 目も眩むほど高い所にいるせいなのか、私はとんでもなく恐ろしく馬鹿げたことを口にしてしまった。
「私ってさ、ここから落ちたら、死ぬよね」
「あん?」
「なんかさあ、生きてるって実感がないの。ここから落ちても、ふわーっと着地しちゃうだけで死なないんじゃないかなって」
「…アホか。んな事あるわけねーだろ」
「試してみよっか?」
 ストローを思い切りすすり、フルーツ牛乳を流し込む。
 冷たい刺激が歯にかすかな痛みをもたらしつつ喉から落ちていった。
 そう、このフルーツ牛乳みたいに、流れるようにサアッと―――落ちてみようか。
「お前何言って、」
「冗談だってば」
 新堂の顔色がいつもより悪くなった気がして、私はとっさに口走った。
 これ以上あんなこと言ったら、とんでもないことになる。
 なんとなく、そう思ったのだ。
「うそうそ。自殺願望なんてないよ。私が自殺なんてするわけないでしょ」
 取り繕うようにケラケラ笑ってみると、新堂は呆れたように溜息をついて、くしゃくしゃと頭を掻いた。
「ったく…、急に変な事言い出すなよな。肝が冷えるだろ」
「えっ、ひょっとして私を心配してくれたの? 死んでほしくないって思った?」
「ばーか。死なれちゃ迷惑なんだよ」
「素直になりなよー」
「うっせ」
 コツン、と頭を小突かれる。
 そのじゃれ合いが私を、「生きててよかったなあ」と思わせる。
 この世で唯一、私を生者たらしめてくれる人。
 それがスポーツ大好きな兄貴肌こと、新堂誠だ。
「新堂はさあ」
「なんだよ」
「私のこと、どう思ってんの?」
「…はあ?」
「友達? それとも…」
「俺からロマンチックな台詞を引き出そうたって、そうはいかねえぞ」
 …そっぽを向かれてしまった。
 まあ、彼にこういうシチュエーションが向いてないってのは分かってたけど。
 だけど、でも。
 その態度は、私の気分を再び著しく憂鬱にしてしまった。
「はいはい、私にゃ女っ気もなければ可愛げもありませんよーだ。
んもう、ちょっとは気のきいたこと言ってくれてもいいじゃん? 
 私がその程度の奴だってことは、重々承知してるけどさ」
 ぷいっ、とそっぽを向き返す。
 いくらストローを吸っても甘い味がしてこないので、フルーツ牛乳はもうないのだと悟り、また憂鬱になった。
 空になったフルーツ牛乳の容器を捨てに行こうとしたその時、
 見計らったように、私の体はゴミ箱とは反対方向に引き寄せられた。
「田口」
「…な、なに?」
「俺はロマンチックな事は苦手なんだよ。何か言ってやりたくても、恥ずかしくって何にも言えない。それがまた悔しくってよ。分かってくれるか、田口」
「……うん。分かるよ、分かる」
「だから、お前が欲しい言葉は言えない。ごめんな」
 不器用で、ごめん。
「…なんで謝るの。新堂が謝るようなことじゃないじゃん」
「田口、今からロマンチックな事を言ってやるぜ。一度しか言わねえ、よく聞いとけよ」
 新堂はそう言いながら、私の耳元に顔を近づけ、私にしか聞こえないような声でしっかりと呟いた。
 視界の端に見えた新堂の耳は、これ以上ないってぐらいに真っ赤に染まっていた。

「少なくとも俺は、お前がもしここから飛び降りたら迷わず後を追うぐらいに、お前の事、好きだぜ」

 それだけ言った。
 私は何も言い返さなかった。
 ただ新堂の腕をぎゅっと掴みながら、もう片方の腕で頭を撫でてやっただけだった。
 ―――チャイムが鳴った。
 私たちを置いてけぼりにして、ルーチンワークが始まる。

(ねえ、このままサボっちゃおうか)
(おいおい、大丈夫かよ)
(大丈夫だよ。だって私たち、アウトサイダーだもん)
(何だそれ。ジュースの名前か?)
(違うよ。そんなことより新堂)
(よかったらまた、ジュースおごってね)
...
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