キャトルミューティレーション


 白く清潔な病室。
 窓から差し込む柔らかな日の光が、ベッドの上の彼女を照らしている。
 彼女は僕の姿を目にするやいなや、ぱっと花が咲いたような笑顔で出迎えてくれた。
「やあ、気分はどう?」
「おかげさまで、とっても快調」
 僕は、持ってきた花束を真由美に差し出した。
「綺麗だね。何の花?」
「こっちがサンピタリア、これがユリオプスデージー。花言葉はそれぞれ、『切なる喜び』、『円満な関係』」
「ふうん。あんまり聞かない名前の花だね」
「花屋さんに教えてもらったんだよ」
 本当は、珍しい名前だから選んだってだけなんだけど。
「真由美、匂いはきつくないかい?」
「全然。ありがとうね、望くん」
 ―――無邪気な笑顔。
 とても病気に侵されているとは思えないぐらい、朗らかな声。
 今、真由美は痛みを感じたりしていないだろうか?本当は体調が優れないのに、無理して平気なふりをしていたりはしないだろうか?
「…どうしたの?」
「あ、ああ…何でもないよ。花瓶の水、変えてくる」
 少し痛んだ胸を抑えつつ、僕は花瓶を抱えて水道の方に向かった。

 田口真由美とは、中三の時からの付き合いである。
 最初はただの友達だったけど、いつのまにか高校も一緒になっていて、気付いたら腐れ縁と呼ばれる関係にあった。
 僕がたくさんのガールフレンドを作っても、真由美は文句を言わなかった。恋人ヅラもしなかった。
 怒らないのと聞いても、平然とした笑顔で、『私と望くんは友達だもん』
 と言い放つ始末。
 いつしか真由美は、僕の中で特別な存在になっていた。

 今年の夏、真由美が入院した。
 彼女はもともと体が強くなく、抵抗力も人と比べて低い。
 だから、ちょっとした病気で体調が悪くなるのはいつものことらしかった。
 しかし、今回の病状は深刻で、運が悪ければ最悪の事態になるかもしれない、ということだった。
 僕はそれを知らされた日から、学校が終わるとすぐ病院に駆け付けた。
 一日も多く真由美に会いたかった。
 毎日のように顔を合わせてきた腐れ縁の仲だというのに、一日一回でも顔を合わせたくてしょうがなかった。

「真由美、退屈だろ。お話をしてあげよう」
「あらら、そんな悠長なことしてて大丈夫?」
「何が?」
「女の子たちが首をながーくして待ってるんじゃないの?」「おいおい、君は病人なんだぞ。余計なことを気にしなくていいの。僕が話してやるって言ってんだから聞きなよ」
「はーい、分かりました」
 まったく、僕がいつも女子の尻ばっかり追いかけてると思ってるんじゃないだろうね。
僕だって物事の分別くらいつくというのに。
「いいかい? 真由美、君だけに秘密を教えてあげる」
 ベッドに体を預ける真由美の目は、ヒーローショーを見る子供のように、あるいはそれを見守る母親のように、優しくきらきらしていた。
「僕は人間じゃないんだ。僕はね、宇宙人なんだよ」
「…ぷ」
 あはははっ、なんて軽やかな笑い声。
 まあそのくらい予想していたけど。
「宇宙人っ…て」
「そ、宇宙人。遠く離れたスンバラリア星からやってきた、スンバラリア星人さ」
「すっ……何それっ、望くんって変なの」
「言っとくけど嘘じゃないよ。真っ白なホントさ」
 一しきり真由美は笑い転げると、『はぁーあ』なんて間の抜けた声を出した。
「小学生でもそんなこと言わないよ」
「だって本当のことだからさ。ごまかしも脚色もしようがない」「…スンバラリア星………どれくらい離れているの?」
「んー……ざっと二十億光年ほどかな」
「谷川俊太郎みたいな距離だね。それにしても、光の速さで二十億年かあ……そんな所からここまで来れるなんて、すごい技術を持った星なんだね」
「まあね。どうだい、参ったか」
「はいはい参った参った。それで、どうしてこんな辺鄙なところまで来たの?」
「そうだね……君に会うために」
 ベッドの縁に手をかけ、真由美の顔を覗きこむ。
 宇宙のように深い黒の瞳に僕の影が差し込んだ。
「遥か二十億光年の彼方から、君に会うためにやって来た」
「…素敵だね」
 真由美の手が僕の手と重なる。僕よりずっと体温の低い、冷たい指…。
「私ね、いつまで望くんと会っていられるのか、すごく不安になることがあるの」
「……うん」
「望くんがいない間に死んじゃうんじゃないかって………」
 うつむいて話す真由美の体は、普段よりずっと小さかった。
「…そんな……そんなことあるわけないよ」
「……望くん、私一度でいいから宇宙に行ってみたかったの」
「宇宙?」「そしてたくさんの星を見るの。まんまるな地球を見て、地球は青かったって言うの」
「ああ……」
「スンバラリア星もひょっとしたら見えるかもしれない」
「見えるさ。きっと見える」
「よかった、望くんがそう言ってくれて」
 この上なく嬉しそうに、彼女は笑った。
 僕も笑った。泣きそうになるのを我慢しながら。
「真由美、今から僕の言うことを信じてくれるかい?」
「やあね、私と望くんの仲じゃない。信じないなんて野暮だわ」
 ベッドに横たわった細い体。
 ぼうっとしてたら今すぐにでも、呼吸が止まってしまいそう。
 僕は真由美を抱き締める。心臓の鼓動が、骨と皮を経由して伝わってくる。
「好きだ。真由美、君のことを愛してる」
「…プレイボーイに言われても、実感湧かない」
「僕は本気だよ。君をからかうためだけにこんなことを言うと思うかい?」
「スンバラリア星人さん。私が死んだら、骨を拾ってくれる?」
「骨と言わず全部拾ってあげるよ」
 そして宇宙の星々を見せてあげる。君が見たがった青い地球の前で、ガガーリンの真似をしよう。光の速さで宇宙中を飛び回って、ベガとアルタイルやアンドロメダ銀河を眺めよう。
「だからさ、……死ぬなんて言わないでくれよ」
「…望くん」
「宇宙に行きたいんだろ?だったらまず、ここを出なくちゃいけない」
「…もし出られそうになかったら、私をUFOに乗せて連れ去って」

 オレンジ色に染まっていく病室で、僕は愛する人にキスをした。
 今までしたどんなキスより長い時間、万感の思いを込めて。
「もちろんさ。嫌だって言っても連れて行く」

(きっと星たちは僕らを祝福してくれるよ。)
...
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