人は何かから常に逃げているものだと俺は思う。誰かはそれを恥じるべき行為だと言い、誰かはそれを正当化できる行為だと言った。人によってこんなに意見が分かれるんだから、まあ、そのあたりの区別は曖昧なんだろうね。次いで言わせて貰うなら、俺は《逃げ》を推奨しないタイプの人間だ。逃げるのは良くない。
何も変わらない。
何も換わらない。
何も替わらない。
何も代わらない。
等しく無意味に、等しく無益。
どうにもならない行為だと、思っている。
まあ、そんなこと。


「現在進行形で逃げてる俺に、言えた言葉じゃないんだけどね」
「え? なあに? 聞こえない」
「何でもないよ」
「あらそう」


隣の座席で鏡と睨めっこしながら化粧をするスケベ女は呟いた。車が揺れるせいか、その手つきは妙にたどたどしい。そんなに顔面を着飾らなくても十分綺麗な顔してんのに、なんて、絶対言ってやんない。

スケベ女。
花瓶硝子。
驚天動地のノーティスコレクタ。
揺蕩う黒髪に艶めく黒目。はじめて見たときは人形なんじゃないかと目を疑った、そんな際立つ美しさ。今思えばそんな俺を馬鹿みたいに思うよ。顔がいいだけのスケベ女なのに。
こいつを見たら老若男女が誰もが振り向き、二度見し、目を疑い目を眩ませ目を醒まし目を見開く。
ちなみにこれは比喩じゃない、ムカつく話だけどさ。


「あんたさ」
「あたし?」
「そう。あんた。なんで化粧なんかするわけ? 要らないでしょ」
「ふふ、身嗜みを良くするのはいけないこと? あたしはただ、綺麗になりたいだけよ」
「ワケわかんないな、女って」
「わかりたいお年頃かしら? ならあたしが手取り足取り、女ってものを教えてあげましょう」
「はあ? 世界で二番目くらいにいらないよ」
「ちなみに一番は?」
「あんた自身」


あら酷い、と。スケベ女は妖しげに微笑んだ。吐き気がした。


「お二人さん、やべーよコリャ」


チキチキバンバンモドキを運転している萵苣が低く唸った。ハンドルに指は小刻みに触れ、片手で頭をグシャッと掻き回している。


「ガソリンがもう無ぇわ。どっかにガソリンスタンドかオイルタンカー探さなきゃな」
「こんな砂埃ばっかの壮大な更地にそんな場所無さそうだけど?」
「だよなあ。何だよ。玩具みてーに真っ青な空に、干ばつしかけのだだっ広い更地。道路はこの一本しか見当たらねえ、視界はこんなに開けてるのにだぜ? ふざけてやがる」
「あんたの頭ほどふざけたものは無いけどね」
「んだとゴルァ」


運転席で俺を睨みつける萵苣。

ツナギ男。
緑川萵苣。
ポストポッツのエセ天才発明家。
野菜系の長めな緑の髪に、野菜的な緑の目。つまり、全体的にヘルシーな容姿をしているやつだ。名前までヘルシーなんだからある程度の想像は出来るだろうね。
今俺たちが乗ってる、このチキチキバンバンモドキ本名レタス号三世を作ったのはこいつ。
空を飛び、海を渡る。全知全能、万知万能の車。そこだけ切り抜いて聞けば、目の前の軽薄そうな男はかなりの大物に聞こえるだろうけど、違うから、その逆だから。
ポッツ博士を夢見た偉大な発明には抱腹絶倒のオチが付いていた。

ぺぺぺぺぺっ、ちゃかぽっく。
ぺぺぺぺぺぺぺぺぺ。
ぺぺぺぺぺっ、ちゃかぽっく。

車内にいるというのに、まるで濁り無く聞こえる走行音。てゆうかこれを走行音だってわかる人はいるのかな? 一万歩譲って、まだ“ぺぺぺぺぺ”は、ギリギリのギリギリ、不能の紙一重で理解出来るよ。
でも“ちゃかぽっく”って何?
ネタなの?
ツッコミ待ち?
わざと?
わざとでも凄いよコレは。


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