戦争谷騒禍の患っている病は、不治の病であり、不慈の病だ。
砂場砂地のおかげで今はかなり安定しているが、病気の完治は不可能だろうと言われている。

砂場砂地の腕が悪いわけではない。彼はあんなひょうきんな態度を取る軽薄な人間ではあるが、その医療の腕は確かに確かだった。
そんな彼ですら完治を困難とするほどの病。それは戦争谷騒禍を脅かす、病の名を持つ地獄だった。

鈴蘭の儚さと隠れた毒――それはいつか彼が戦争谷騒禍の生態を、性格を評価した言葉だ。彼女は軽やかに残酷でまっすぐに純粋だ。嘘をつかない彼女は信頼には値しないが、おそらく世界中の誰よりも信用できる。
彼女が砂場砂地のことを無能だの詐欺師だのと宣わないことから鑑みるに、彼の腕を最も強く認めるのは彼女であるに違いない。

そんな彼の腕ですら、不可能めいているのだ。
誰も治せない。
誰も直せない。
きっと、もう、どうにもできない。
戦争谷騒禍の抱える悪夢は果てしない永久性を秘めていた。


「あんまり酔わないようにね」
「まだ一杯目の三口目だよ」


《錯乱カジノ》場の一角。
ワイン、カクテル、少量のスイーツにキューブビックチーズ。葉巻の匂いが立ちこめるそのスペースで、戦争谷騒禍は寛いでいた。
彼女だけではない、砂場砂地、誘誘やキューテンキューなどの《カンパニー》ご一行、戦争谷騒禍の用心棒である三日月三月も同じように上等のソファーに腰掛けていた。
ここまで一緒に来た平和丘寧穏だけはすぐさまその場を去り――おそらくどこかで知り合ったのだろう――久しぶりに再会する人々と手を取り合っていた。彼はどこかしこにも友達を作る癖があるのだ。賭博場に足を踏み入れた途端“やあ、久しぶりじゃないか!”と声をかけられすぐに人だかりを作ったのはついさっきのことだった。


「でも騒禍ちゃんが自分からお酒を飲もうとするなんて珍しいね。どうしたんだい?」
「そうかな。気まぐれだよ」
「どうせ自棄酒だろ。あいつがかまってくれねえのがそんなに寂しいのか」
「あははっ、先生なに言ってんの」


テーブルの下で砂場砂地の足を蹴る戦争谷騒禍。そんな彼女に溜息をつきながら、砂場砂地はチーズを口に入れる。


「お前な、そんな簡単に脚ぶつけてんじゃねえよ。折れたらどうすんだ」
「また先生が治してくれんでしょ?」


そう言って、にぃっと笑う戦争谷騒禍を、砂場砂地は睥睨する。


「そういう問題でもねーだろ。痛いのはお前なんだから」
「脚なんて何回も折ってるから大丈夫だよー」
「自慢できるもんでもねーな」


戦争谷騒禍は隣に控えて眠そうにしていた三日月三月の服の裾を引っぱった。こくんと眠気眼で見下ろしてきた彼に、フォークで突き刺していたケーキを押しこむ。もぐむぐっと目をひんむいて頬張った。彼らしくない反応に噴きだした戦争谷騒禍を「いじめてやるなよ」とキューテンキューが呟いた。そんな様子を誘誘が楽しそうに眺めている。


「にしても、まさか砂場先生までこのカジノに招かれてるなんてなあ」
「ちょっとしたコネがあったんだよ。っていうか、ここにコネのないやつなんていないだろ」
「逆だよね」戦争谷騒禍はくいっとグラスを傾ける。「このカジノがどこにでもコネを作ってるんだよね」


賭博場《錯乱カジノ》はセンチメンタルシティの財政の大半を担っているレベルの規模で、そのカジノは代々フェルドスパー家という名門家が継いでいる。
フェルドスパー家。
名家中の名家。
その名は千里の彼方まで轟き、その響きの上に成り立つ人脈は蜘蛛の巣よりも壮大であるというのは、自明の理であり当然の事実だった。


「それに、《錯乱カジノ》は、この国の官民パートナーシップの先駆者でもある。一種の公共サービスとしてこのカジノを使用したりもするし、カジノ側だって、事業拡大の足がかりにもなったはずだよ。元々の人脈に、政府との係わりが加われば、そりゃあ、こんな規模にもなるでしょう」
「そういやあ、誘の《カンパニー》とも繋がりがあるんだっけか?」
「はい」誘誘の代わりにキューテンキューが応答する。「我が社は手広い“人材派遣”を売りにしておりますので。もしくは、こちらのカジノで不祥事を起こした人間などが、《カンパニー》へと売りに出されることもしばしば」
「エグイ話だな」
「へへ、でも、カジノ産の人間は優秀な人材ばかりで、こちらとしてもいい話なんだ」誘誘は続ける。「むかーし、四面楚歌って調理師がいたんだけど、彼女はとても優秀だったよ。おかげでとても高値で買い取られていった。他にも、元ドアマンの*+α戦奴は粒ぞろいだし、√&∫のナナテンゼロはここの元ディーラーだよ」


誘誘の先代の先代から、《錯乱カジノ》との繋がりはあった。紙面に残っているのがそのころから、という話だけで、案外遡れば、どこまでも遥か彼方まで、遡ることは可能なのかもしれない。


「才知畑の資金援助もしてたって話だよ」
「マジで?」
「マジで」
「そんなふうに、《錯乱カジノ》はあらゆる関係図に当たり前のように入ってくる。今回のパーティーでは、その関係図のほぼすべての人間が、集まってくるんじゃないかな」


どんな規模だよ、と三日月三月は心中で呟いた。


「辺境の地に住んでたあたしの両親とすら、ちょっとした面識があるってんだから、いっそ不気味。知り合いの多さならへーくんとどっこいってとこでしょ?」
「あのどこでも友達作るマンと同レベルって時点で驚きだよな」
「僕は彼単体が大財閥の一個体と同レベルにカウントされてることが驚きなんだけどね」
「仕方ないよ。へーくんだもん」


おかしそうに戦争谷騒禍は笑う。
それを、誘誘はどこか気に食わなさそうに、こっそりと眉を顰めた。


「へーくんの人脈はネットワークに近いからね。まさしく、蜘蛛の巣。この世界中、へーくんの知り合いでない人間のほうが、いっそ少ないくらいだ。すごいよね」


偏屈な性格をしていると思われがちな戦争谷騒禍だが、実際の彼女は、他人の美徳はよく褒めるほうだ。他人のよいと思ったところを頻繁に口にし、そしてそれを信頼で示す。
たとえば、それは、回遊魚の強さであったり、砂場砂地の腕であったりする――それが本人たちにとってよいことなのかは別問題だが。



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