「ひゃはっ! プリンセス、今夜は散々だったでござんすなあ?」


目を覚ましたとき最初に見たその小憎らしい姿に、羞月閉花はこれでもかと言うほど顔をしかめた。眉なんかは互いがくっつくのではというくらいに皺を寄せあっているし、唇はきつく歪んでいる。オーロラの髪を気だるげにかきあげてあたりを見回す。
従業員控え室だった。
自分が寝ていたのはその控え室のベンチだ。枕代わりに誰かのジャケットが敷かれている。少し皺になってしまったようで、申し訳ない気持ちが顔を覗かせる。羞月閉花が起き上がるように足を地に着かせると、寝起き特有の熱が身体中から放たれた。水が飲みたい――ぼんやりした頭でほのかに思った。
羞月閉花は目の前で佇むバニーガール・花鳥風月を睨む。


「……仕事サボってなにやってはるんや?」
「クックッ……もう担当時間外でござんしょう? 何時間も眠りこけてサボってた人間は、自分を棚に上げるのがお上手でござんすなあ」


言い返したいことは山ほどあったが“営業時間外”という単語を聞いてハッとする。壁にかけられた時計を探した。針は美しい鋭角を刻んでいる――もう夜の一時過ぎだ。シフトの時間は、終わっている。《錯乱カジノ》自体は二十四時間営業、木曜日のみ夜六時から朝の九時まで、運営は続いているとはいえ、二人の出る幕は過ぎていたのだ。


「……うちとしたことが」
「ハッ、コンドラチェフが聞いて呆れる……聞いたでござんすよドアマンさん、また金木犀の匂いにあてられたんでござんしょう?」


その馬鹿にしたような言葉に羞月閉花は反論出来なかった。
事実彼女が倒れたのは金木犀の匂いが原因だ。昔からあの強い芳香にはめっぽう弱く、よく失神してしまっていた。あの匂いが嫌いだとか、苦手だとか、そういう感情よりも、多分――あの香りが怖いのだ。理由はわからない。けれど彼女は昔から、金木犀の香りには恐怖心を覚えていた。引きずりこまれるような、捕まえられるような感覚――暗闇よりも悍ましいものに付き纏われる感覚がする。高が匂い如きに大袈裟な、と思うかもしれないが誰が他人の恐怖を推し量ることが出来るだろうか。なにより彼女にとって“匂い”とは普通の人間よりも強く存在感を放ってくる厄介な彼奴なのだ。鼻が利くというのは便利ではあるが、そういう“いきすぎた”が故のハンディが生まれてくる。こうやって倒れてしまうことだってあるくらいなのだから。


「今年に入って何回目でござんしょうかねぇ? そのうちコンドラチェフからクズネッツに降格になるんじゃございやせん?」
「あらあらぁ、うちの記憶違いやあらへんかったら……あんたも仕事中に大事起こしてた気がしますけどなあ?」


今まで苦虫を噛み潰したような顔をしていた羞月閉花がここにきて食ってかかるように嘲笑った。虹色の煌めきを放つ髪をはらって花鳥風月を見据える。


「その掲げてらはるプラカード、お客さんの頭に引っ掛けて怪我させはった素敵な方は、一体どこのどいつでっしゃろなあ?」
「…………さっきまで気絶してた奴がきゃんきゃんと、そんなにまた気を失いたいんでござんすか? このマゾヒストが」


花鳥風月は担いでいた堅そうなプラカードを構える。
羞月閉花は強靭な脚を引いて臨戦体勢を取った。
二人の間に苛烈な火花が散る。


「そういえば、もう約束の時間でござんすね……」
「お互い今まで我慢してきはったんや、ここいらで永遠の決着をつけたるわ」
「泣いて謝っても許してやらないでござんすよ、プリンセス」
「三回まわってワンじゃ済まさせへんで、畜生バニーガール」


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