――何を読んでいるの?


心底興味深そうなきらきらとした眼差しを向ける《彼》に、“珪砂お坊ちゃんは詩集などはお好きかしら?”と返した。刺繍? 女の子らしいね。お母様のドレスにも綺麗なのが施してらして、男の僕にはさっぱりだったんだけど。あら、違うわ、刺繍じゃなくて詩集よ、歌のほう。そんなやり取りをするうちに、《彼》は自然な動作でわたしの隣に腰掛ける。
些か距離が近すぎる。
しかし《彼》は気にしていないようだ。


――僕、詩集を読んでいる女の子をはじめて見たよ、実在したんだね。
――あらよかったわね、図書室に来たらいつでも見れるわよ。
――本当かい?


わたしの冗談を好意と受け取ってにっこりと微笑む《彼》。
わたしが贈る言葉を、わたしが与える笑みを、好意であり親愛であると、疑いもしない《彼》。
愛されることが当然で、そして愛されることを全身全霊で求めてくる。あたしだって“愛されることが当然”だった。でもそれは義務なのであり――育ての母親から愛されることのない私が悲劇にあわないためのライフラインなのであり――《彼》の純粋な、残酷なまでの純粋なそれとは、見比べるまでもなく月とスッポンだった。


――ええ、勿論よ。
――君はいつも誰かに囲まれているからなかなか近づけなくてね……こうやって二人きりになれて話せるのは嬉しいよ。


取り繕いもしない剥き出しの好意にわたしは少し慄いた。
でもそんなのは一瞬のことだ。
余裕の微笑みは崩さない。


――悪い子ね、図書室じゃお喋りは禁止よ?
――ああいけないそうだった……すっかり忘れてたよ。


しょぼくれる《彼》にわたしは残念でしたと心中で呟く。


――詩集、好きなの?
――それなりには、絵本みたいで素敵なものよ。今読んでるものなんかはとても好み。とくにこの詩が大好きなの。
――へえ。


わたしがとある一ページを開いて差し出すと、彼はしげしげとそれを眺める。
傍から見たら幼い恋人たちのように見えるのではないかとひやひやしたものだが、辺りを見回しても誰もいなかった。幸運の女神様はわたしに微笑んでいるみたいね。

木漏れた若草色の光と影が窓から射し込んで、カーテンを揺らして風を導いてくる。《彼》の深い象牙色の髪がふわりと揺れた。僅かに煌いて、まるで絵画を見ているみたいだ。ブルーグレーの瞳は深く影を落として、詩集の字の羅列を宝石でも探るような眼差しでなぞっている。


――不思議な詩だね。


ふと、彼は柔らかい唇で言葉を紡いだ。


――これは……別れを慶ぶ歌だ。
――ええ、そうよ。
――今の環境や友達と左様ならを交わして、喪失した虚無を謳った詩だ。
――そう。
――別離は素晴らしいものだって君は思っているのかい?
――直接的な言い方をするのね。


わたしはパタンと詩集を閉じる。トルコ石のような色のカバーをした表紙を優しく撫でて、髪を耳にかける。


――わたしたち、もうすぐスクールを卒業してしまうじゃない。


《彼》の表情が少しだけ曇った。


――たしか貴方は私立のミドルへ行くのよね?
――……うん、そうなんだ。
――名門中の名門だったわよね、素晴らしい教育が受けられると母が言っていたわ。


私はにっこりと微笑む。


――良かったじゃない!


彼はぎこちなく笑みを返した。そのブルーグレーの瞳は不満げで。寂しさを期待していた羞恥と哀惜が入り乱れている。わたしは笑みを仕舞わなかった。《彼》が頷くまでじっとその顔を見つめていたし、なんにも気付かないフリをした。そして急に喋らなくなった彼に声をかけることなく、また詩集を開く。
わたしたち、離れていってしまうのよ。本当に残念だわ。次に会えるのはいつでしょうね。毎週絶対に手紙を書くわよ。
《彼》の望むような言葉は、一つだって差し出さなかった。


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