「なあなあ、そこのお兄ちゃん、花瓶硝子っちゅう人、知ってはるやろ?」


ハスキーなのに響きは甘く空気に溶けていく、そんな声をした女だった。
いきなりのことに、ウラオモテランドの守衛、風招小栄は目を瞬かせる。風が吹くことのない晴天の夜のことだった。
目の前、ウラオモテランドの入国手続き場にいるその女は、多分彼と同世代かあるいはそれ以下。まだ若いという部類に入るであろうほどの歳の身なりをしている。顔立ちは妖しくも清らかな雰囲気があり、今こうして微笑んでいる分には十分美しいと言えるだろう。目を引くのは彼女の髪だ。腰まで伸びた長髪。色素が薄いのかと思いきやそれは違う。自らが淡く発光しているのだ。照り映えるようにオーロラを閃かせ、虹色に輝いている。今まで見たこともない不思議な髪色だった。双眸の色もまたとなく不思議で、光の加減で色を変える闇色をしている。
そんな不思議な彼女に顔色も変えず、風招小栄は微苦笑を返した。


「…………はて、誰ですかね、それは」
「ふふっ、とぼけても無駄や。あんたから嘘ついてるニオイがしてはるえ? 男前が台なしやわぁ。正直もんには福があるっちゅう言葉知りまへんか?」


彼女はまた、くすり、と笑った。


「それにあの女のニオイかてするわ……相変わらず気に食わんニオイやけどなぁ」
「すみませんね。国民の情報は外部に漏らさない決まりになっております。信用に関わりますので。どうかお引き取り下さい」
「ふぅん。やっぱここにおったんかあの女。……まあ、それがわかっただけでも収穫アリっちゅう感じやろかねぇ…………いや、やっぱ中も探って、どこに行ったかとか、何かしらの手掛かりを……」


ぶつぶつと独り言のように呟く彼女に、彼は微笑んだままだ。しかしその場にただじっと留まるでもなく、彼女の前に降り立つ。


「だから、国民のプライバシーのために、それは許されないんですよね」


手には、大きな扇。かの有名なウラオモテランドの風神・水倒火転が用いる、《疾風怒涛》に違いなかった。
不穏な風が空気に溶け込む中、女は指をわざとらしく振って「チッチッチ」と舌で音を出す。


「ちゃうやろ? 風招小栄はん。privacy」
「……………」


発音を正してきた。
彼は少し口元を引き攣らせる。
しかし。
それより。
何故教えてもいない名前を彼女が知っているのか――。


「あきまへんなぁ、発音はしっかりせな……せやろ? 八代目《風招小栄》はん?」
「…………………貴女は」
「ん? うちか? せやなあ、うちは……まあ、ただの、《ドアマン》とだけ言うとこか」
「ドアマン……?」
「門番として、あんたとうち、どっちが格上かいざ尋常に、ちゅう感じやなあ」


またにっこりと微笑む彼女に、彼は眉を潜める。扇の柄を握りしめて扇ぐために振りかぶる。
しかし。
目の前から女は消える。突然のことだ。まるで電光石火――あの虹色の髪をした女の姿が見えなくなる。見えな――――――。


「あんじょう御気張りやす」


――――いのではない、一瞬で間合いを詰め寄らせたのだ。扇が起こす風の範囲ではない、自分のテリトリーに、侵入を許す。
彼は息を呑む。
もう遅かった。
煌々たる髪を振り乱しながら、彼女は拳を振り抜く。


「ほな、さいならッ!」


爆発したような音が、ウラオモテランドで響いた。



*****



酷い寒気で目が覚めてしまった。
これは悪い予感? それともただの風邪? そのどちらでもないことを切に祈りながら、あたしは瞼を眉の方へ押しやり視界に朝の風景を取り込んだ。まだ陽も登り切らない静寂な早朝といった具合。大した感想も抱けない薄鼠色の天蓋を目視するだけ。今回は廃墟で一夜を過ごしたわけだけど、このサバイバルな生活には中々慣れないのが本音。上手く寝付けない、と言うより居心地が悪い。そりゃそうね。人間が住むことを放棄した状態だからこその“廃墟”、廃墟が廃墟たる由縁だもの。ものもの。


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