「これが、《掌の新世界》か」
「ぎにゅひふぁ。そうだよぉ。凄いでしょ? 韮の暗示効果歌曲の最終段階にして暗示効果の原点。パースエイダー……んまあ、所謂“説得力”ってやつだねぇ」


全てが終わった干ばつ寸前の大地に降り注ぐ、艶やかな歌声のシャワー。殆どが“ハー”だとか“オー”だとかで歌われていて歌詞らしい歌詞がまったくない。そのせいか今までよりもずっと神秘的に響き渡る不思議な歌だった。スローテンポなのに妙に軽やかで、でも切なげな旋律。ハープやバイオリンやピアノのように響く韮の声が、天高く耳を貫いた。


「この歌を聞いている間は、“説得力”が生まれるのさぁ。つまりこれをBGMにして話をすると」
「誰もがその話を信じる」
「イエス。才知畑――《エデン》の真実を伝えるために、一番有効な手でしょぉ?」
「真実を暗示しなきゃいけないって皮肉なもんだけどな」
「信じてくれたらそれでいいの」


“人の言うことは信じなさい”
信じる者は、救われる。


「そう、掬うのさぁ。これから僕らは自分たちの力で生きて行かなきゃいけないからねぇ。下界を知らない僕らが。だから、そういう困っている畑仲間を掬って、新しく企業を興そうって、韮や甘藍たちと話してたんだよぉ」


茄子はちらりと甘藍たちに目を遣った。
二人は今、暗示効果歌曲で逃げ出した畑仲間を“説得”していた。韮は歌い、甘藍は話す。畑仲間は訝しみながらも、二人の“説得”に耳を傾けていた。


「そういやあ教師たちは?」
「ああ…………彼らは《オーマイファザー》に雇われたに過ぎないもん。逃げ延びて、今頃新しい居場所でも探してるんじゃない?」
「……なんか、全てが適当なまま終わった気がするな」
「そうかぁい? 僕はそうは思わないな」


俺は隣にいる茄子の顔を見る。相変わらず笑わない。でも、下の水溜まりに太陽が反射して、頬をキラキラと飾り立てている。長い睫毛も愁いを帯びたように影を生み出していた。こうして見ると、案外美しい顔立ちをしているのが見てとれる。小生意気な感じの美顔だった。
彼女は俺に目を移すことなく、じんわりと続ける。


「なんていうか、全部、あの《赤い実》に仕組まれていたような、そんな気がするよ……」
「《赤い実》って……緋暮城苺味か?」
「ぎにゅひふぁ。違うよ。多分アイツは“ノった”だけ」
「そんな一時のノリみたいに…………」
「じゃあ乗らなかっただけ」
「やめろよ。俺、アレ軽くトラウマになりそうなんだかんな」
「まあ萵苣がトラになろうがウマになろうが萵苣であることに変わりはないから、そんなことはどうでもいいとして」
「そういうフォローをして欲しかったわけじゃないんだが……」
「僕が言いたいのはねぇ、赤果実林檎のほうだよぉ」


そこで俺は「ああ……」と唸るように呟いた。
神童――赤果実林檎。
四番目の《赤い実》。
華麗奔放。
花顔雪膚。
カンパニュラの花のように愛らしい、妖精さながらの顔立ちをした少女。
誰よりも赤く、紅く、そして誰よりも赤の他人だった、何も知らない少女。
俺は彼女のことを、未だ一つもわかっちゃいない。


「んんー。僕はなんとなくわかるけどねぇ……いや、わかるっていうか、あくまで予想にしかならないけど。頭の良い人間が考えることなんて、わかりっこないんだ。だからここで一つ予想させてもらうとするなら」
「するなら……?」
「彼女は、萵苣が、好きだった」
「………………」
「好きだったんだよ、君がねぇ」


赤果実林檎は。
幸せそうな、やつだった。
出会った数時間でもわかるくらいに、恵まれ、幸せなやつだった。
赤い髪と目。
踊るような身のこなし。
歌うような、甘いソプラノ。
楽しそうで、幸せそうで、胸に溢れてくるような明るい調べ。
“私のこと、食べてみない?”
俺は、食べた。
彼女を食べた。
それはもう醜いくらいの感情を持って、彼女を食べた。甘い蜜を堪能し、果肉を貪った。
知らなきゃよかった。
気づかなきゃよかった。
教えられなきゃよかった。
もしそうだとして。
こんな気持ちになるくらいなら、後悔が先立つくらいなら。
悟らなきゃよかったんだ。
ずっとあのまま、このままでよかったのに。
こんな罪悪感に似た気持ちを抱いて、これから生きていかなきゃいけないなんて。


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