「緋暮城苺味。あんたってさぁ、一体何がしたかったのぉ?」


外ではごうごうと水の暴れる音が聞こえる。ここももう長くはもたないだろうと、紫雲母茄子は頭の隅で思った。
目の前では真っ赤な少女が、抜け殻のような体勢でうずくまっている。少女は何も返さない、ただ、じっと紫雲母茄子を見つめているだけだ。


「何がしたかったの?」
「……………」
「何でこんなことを?」
「……………」
「ううん、違う」


視界の端の“白いもの”を、忌み嫌うように一瞥して。


「いつから“こう”だったの?」
「――――ふふふ」


そのとき初めて。真っ赤な少女が口を開いた。まるで壊れた玩具のように、計り知れない狂気を孕んで、投げやりそうな眼差しで、彼女に返した。


「細かいことを気にするでないよ茄子ちゃん。ボナパルトのような猛々しい英雄なら、そんなどうでもいいことを一々詮索したりなどしないはずだよ」
「ぎにゅひふぁ……ナポレオンのことをファミリーネームで呼ぶ人間を僕は初めて見たよぉ……」
「そう。本当に、どうでもいいことなんだ」


一拍置いて。


「もう終わったことなんだから」


機嫌を悪くした風に。紫雲母茄子は「あっそ」と呟いた。赤い彼女から外した視線の先。紫雲母茄子は希望を見出だしたような目で、《それ》を追い掛ける。


「…………誰かさんは、終わりにしたりしないかもねぇ」
「は?」


にやりん、と。
悪戯っぽく唇を舐めて。


「大洪水なんかで全てを終わらせたりしないって、そう言ったんだよぉ」



*****



車が空を飛んでいる――――なんて、聞いただけじゃ夢物語と勘違うかもしれないが、これは夢物語なんかじゃないれっきとした事実だ。飛行機やヘリコプター、スペースシャトル。鉄の塊がニュートンに逆らうこの時代に、車がそれを出来なくてどうするんだ。そんな大義を背負うような威厳で、レタス号三世は飛行していた。


「ひいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃゃっはぁぁぁあああああああッ!!」


助手席で愛のお嬢さんが両拳を空に掲げるのを見た。浮かれきったのかずっと歓声をあげている。
俺は苦笑したままアクセルを踏んで、更に高度をあげる。
後部座席では揺れに耐えられなかった魚と硝子がバランスを崩していた。


「な、ほ、ほんとに、ほんとに飛べたのね、レタス号三世って」
「あたぼーよ。言っただろ? チキチキバンバンがモチーフになってるってよ」
「でも」


窓から顔を出して。


「まさか、ほんとに……」


風が流れるように吹き抜けて硝子の髪を揺らした。持続する浮遊感に目を見開いたまま、心臓が高鳴るのを聞いた。さっきまでいた地点はすっかり水に飲み込まれて、最早、遺跡の眠る海底も同然だった。ゆら、と車は揺れながら、ぺぺぺぺぺぺっと空中を移動する。もう今や、地上よりも天井の方が近い位置にまで到達していた。ドームの半分以上を飲み込む水にも負けないくらい、この車は高く高く飛んでいる。
《バベル》の塔に接近すると、その離れの、今にも沈んでしまいそうな屋根の上、三つの人影を捉えた。


「あ、れは……っ」


俺はハンドルを切って近づく。車体は長く線を画くように斜めに曲がり、ギュンッと下降した。
歪なエンジン音を鳴らしながら、俺はその“塊”に近づく。


「……………っは」
「えっと、これは、どういう?」
「さあな」


屋根の上。
今にも沈んでしまいそうな、終いそうなその状況下。
死にかけたようにぐったりとしていて、しかし、果てしない充足感に満ちた顔をした――――ビター・ジャッグレスとフルボトル姉妹が、お互い抱き合うような形で眠っていた。
すやすやと、場違いなくらい穏やかに。まるで家族のように。兄妹の理想像のように。幸せそうに眠っていた。


「この男、まさか黒男?」
「えっ、噂の!? キレーな顔してる、女の子みたいじゃなん!」
「それ、こいつに言ったら多分ショック受けるぞ」


俺は魚に言う。


「悪い、三人を車に乗せてくれ」
「フルボトル姉妹はともかく、黒男まで?」
「ああ」


苦笑しながら。


「こいつ、すっげー優しいやつなんだよ」


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