其の欠けたるは欺くこと。
人に反した仮のもの。
自ら心が息をする。
我が食えても餓えるだけ。
人の意は億よりありし。

……いい? 萵苣。
忘れないで。
誰にだって心はある。
言えないような弱音がある。
僕の言葉を忘れないで。

《彼女》にも《彼女》にも。
色々あったんだよ。



*****



心から打ち震えた。
耳ではなく心臓を鷲掴むような歌声の波。まるで天井の楽園から聞こえて来るような調べだった。
陽から放たれたシャワーのように降り注ぎ、風と漂って、雪融けるように耳まで届く。
なんて綺麗なんだ。
俺の全身に鳥肌が立った。

碧伊屋韮。
音楽、声楽、民族学、心理学、言語学という、数多くの才を身につけるスピードスター。

その歌声は、女神よりもたおやかだった。


「何も俺達は、畑仲間を無下にしたいわけじゃない。だから、全員を、韮っちの暗示効果歌曲で、この《エデン》の外へと移動させるってわけだ。みんなで失楽園ってな。傑作だろ?」


これだけ離れているのに、韮の歌声は響いて来る。なによりもパワフルで繊細で、そして切なげな旋律だった。
なんて声量だ、ぞっとする。
よく見れば、群集が同窓ホールからぞろぞろと出てくる。不気味なくらいに整った足取りだ。多分、《エデン》の出口を目指しているんだろう。

暗示効果歌曲。
それは、俺が才知畑を追われる前に、韮が発表しようとしていた代物だった。
確か三部編成で、沈静作用で眠らせる――『白昼夢』、他人の本心を喋らせてしまう――『晴天』、だがこれはその二つには当て嵌まらない動き。
ならば最後の一つ。
この悲しい調べは。
特定の場所へと誘わせる――。


「――――『黄昏』か!」


また、歌声の波が爆発した。麻酔のような飛沫をあげて、脳みそにぶつかり砕け散る。


「っと、聴き過ぎるなよ? 適度に耳を塞ぐなりしろ。お前らまで暗示にかかる。まあ別にあの集団に紛れ出ててもいいんだが、これから奇抜双子と韮っち達を迎えに行かなきゃいけないもんでな」
「特に戦闘要員が抜けるわけにはいかないな……魚」
「大丈夫、別のこと考えとく…………とりあえず一人しりとり」
「誰かとしろよ寂しすぎるだろ」


そこで俺は、ある一つのことに気付いた。
暗示効果歌曲にまつわる、あのストーリーを。


「なあ、甘藍」
「んー?」
「お前、暗示効果歌曲、『晴天』を聴いたのか?」
「……………」


――――『晴天』、聴いた人間の本心を語らせる歌。
そして。
韮は言っていた。
“私は甘藍に恥ずかしい本心を喋らせるでしょう、もし完成したならば”


「お前さっき言ったよな。俺にも味わせてやりたいって」
「……………」
「ぷっ……お前、まさか……うっかり恥ずかしい本心を」


魚と硝子と愛のお嬢ちゃんは、わけがわからないというふうな態度だった。三人は当事者じゃないんだから仕方ない。
だがあれを聞いていた俺としてはこれは爆笑ものだった。
甘藍はわなわなと怒りに震え、頭をがしがしと掻きむしった。


「ああああッ今でも悪夢に見る! あのときのみんなの顔と言ったら! なんて恐ろしい歌なんだ! 暫くの間、俺のあだ名が“ミスター・ヒポポタマス”になったことは言うまでもない!」
「いや、流石にその終末感満載のダサいあだ名は言ってくれなきゃわかんねーよ」
「うぉおぉぉお許せねー……今度は俺のほうが韮っちに恥ずかしいことをしてやる……!」
「やめてやれよ」


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