きっと、アイツは笑わない。
俺が才知畑にいたころ。
落ちこぼれだった俺にも友達らしき人間が何人かいた。
アイツはそのうちの一人だった。
アイツの言葉は、面白い。
言語学専だったこともあるからに違いないが、アイツの言葉は面白かった。
硝子の話し方とは違う、あんなに美しい言葉ではないが、それでもアイツの言葉は魅力的なものだったと思う。
硝子が《美麗》だとしたら。
アイツは《多彩》なんだ。
話せばわかる。
多彩で、彩度が強く、そこが面白いのだ。
いや。
素直になるべきだろうか。
素直と言うか。
率直と言うか。
とにかく、言い換えせてくれ。
俺はきっと、アイツと話すのが面白かったんだろう。
美麗だとか多彩だとか、そういう言語に出来る情感でなく、ただ単に楽しかった。
その言葉に耳を浸すのが、楽しかった。
きっと無意識だ。
無意識の娯楽に違いない。
無意識で無自覚で無作為の娯楽だった。
今も本当なら無意識なのかもしれない。あーだこーだと御託を並べているだけで、あの旨味に浸りたいのかも知れない。
――――矛盾だな。
無意識なら御託も並べられないに違いない。今のは齟齬だろうか。俺としたことが、気が動転していたようだ。
とにかく、だ。俺は、アイツと話すのが楽しかった。それは今でも思う。純粋に楽しい。その言葉の調べを咀嚼したいと感じている。
けど。
アイツは笑わない。
例え、俺が話し掛けたところで。
話すのが楽しい、と、言ったところで。
いや、そもそも。
今更、俺の姿を見たって。
きっとアイツは笑わない。
*****
「何故バイオリン奏者のことを、“バイオリナー”ではなく“バイオリニスト”と呼ぶのか考えたことはある?」
ねえよ。
硝子の突飛な問いに俺は無言を突き出した。
いなくなった魚を探しながら、硝子は世間話とも与太話ともつかないわけのわからぬことをペラペラと喋り出した。暇だから何か話してほしいと無茶振りをしたというのに、こうも律儀にこうも健気に返されてしまうと、どうにも居心地が悪い。しかし、俺の無茶振りに、したり顔で返答をする硝子の無駄な技量にもあっぱれだ。よくもまあ泡のようにぽこぽこと、無益な話を繰り出せるものだ。俺なら有益無益関わらず為せないだろう。アイツといい硝子といい、言葉というコミュニケーションツールに関心の厚い人間は、みんなこうなのだろうか。
ぼやあっとした耳で硝子の言葉をさりげなく聞いた。
「水泳競技者は“スイミスト”でなく“スイマー”、走者は“ランニスト”でなく“ランナー”…………あとは、そうね、何があるかしら?」
「“アーティスト”」
「素晴らしいサポートをありがとう」
硝子はゆとりのある微笑みを浮かべた。
「こんな風に、名詞に“ist”をつけるか“er”をつけるか、あたしの持ち合わせの技量では判別出来ないものが沢山あるわ」
「そりゃ可哀相に」
「そんなことはどうでもいいの、調べればきっと出てくるわ」
お前が言い出したんだろ。
「あたしが言いたいのはね、そんな語句の“何でそうするか”よりも、“何をどうするか”と考えた方が楽しい、そういうことよ」
「悪ィ、わけわかんなくなってきやがった」
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