夢患いの診療録 | ナノ
鵺退治・後編 2/4

「もともと水散ちゃんへの期待はことさらに高かったからね」祖母は続ける。「たしか、七歳だかのころだったか、あの子が良性、、の予知夢を見るようになったのは」
 いつぞやの鬼林の件では鬼林を予知夢の夢見主だと勘違いしたものだが、猟ヶ寺は正真正銘、予知夢の夢見主だった。後天的に予知夢の才を身につけ、それを使いこなすまでに至った猟ヶ寺は、先の未来を見事に予言する。その予知夢は枕部の予言書としてこの家の蔵に保管されており、現在進行形で役立てられていた。
「そもそも、お前の継承試験の課題、いま通っている学校の四つの悪夢を祓うことってのも、水散ちゃんが用立ててくれたものだ」
 いくら悪夢祓いといえど、悪夢に憑かれている夢見主がどこに何人存在するのかまでは知りようがない。この春から僕がしていたような、地道な詮索が必要となる。それをわざわざ、この場所にこの人数の夢見主がいる、とまでお膳立てされていたのは、猟ヶ寺あってのことだ。
「茶番だよ。猟ヶ寺は夢見主が誰だかも、どんな悪夢に侵されているかも知ってるんだろ」
「どうだろう、予知夢ってのはそこまで便利な代物でもないさ。でも、伝家の宝刀の継承者として選ばれ、夢散を所持しているのは、あの子がいち早く明晰夢の使い手となり、尚且なおかつ予知夢の夢見主だったからだね」
 猟ヶ寺が祖母を手伝うために居候として越してきたというのも、結局のところは彼女を次期当主にと枕部金比良が推しているからだろう。実際に、祖母は高齢のため、猫の手も借りたいほどに窮していたし、断る道理もなかった。そうした現在、枕部家の離れ家には僕と両親が、母屋には祖母と居候の猟ヶ寺が住んでいる。居住まう場所から見ても、僕よりも猟ヶ寺のほうが、当主に近しいと言えた。
「お前が焦ったのも、もどかしかったのも、わかるよ」
 祖母の言葉に、僕は思わず唇を尖らせる。
 焦って、いたのだろうか。もどかしかったのだろうか。
 たしかに、三つ目の悪夢を自分の力で祓えなかったことには落ちこんでいたし、どう足掻いても理解しきれない心に悶えてはいた。紫香楽空寝の治療の際の僕はひどく無力だったから、もっと心を知らなければと思って、そして―――自滅してしまったのだ。
「だけど、私の言ったことをちゃんと受け止めて、応えようとしてくれたことも、私はちゃんとわかってる」祖母はまっすぐに僕を見て、微笑んだ。「私はそれがなによりも嬉しくてね……ねえ、狩月、この前の話の続きを、教えてくれないかい? お前はどんな色に、どんな温度に、どんな深さに、どんな気高さに、心を震わせたのか」
 祖母は僕に笑顔でねだった。正直、いまはそんなことを話す気力はない。このままじりじりとした暑さの中でぼんやりとしていたい。けれど、祖母の嬉しそうな目は太陽よりもきらきらしているように見えて、だから僕は、「……この前はどんな話をしてたっけ」と尋ねる。
流鏑馬やぶさめの子、鬼林くんのノートの話だったよ」
「……ああ、そうそう。あいつ、よく授業中に居眠りするんだけど、色ペンを持ちながら眠りこけちゃうんだよ。だから、ペンの先っぽがノートにくっついたまま寝ちゃうと、こう、液だまりがさ」
「うん」
「できるから、ページにいろんな色のインクがびっしりで。次の次のページぐらいまで貫通してるんだ。それを隣の席の女子に花火みたいでかわいいじゃん≠チて笑われて、いや全然汚いんだけど、でも、花火みたいってのはわかる」僕は続ける。「たぶん、あれは、楽しい色だ」
 祖母は「うん、そうだねえ」と相槌を打つ。
「今日、鬼林がテスト終わりに、日本史のテストの点数で勝負しようって言ってきて」
「そりゃあ面白い」
「自信があるんだろうなって思った。でも、聞いたら、苦手な科目だって、ただ今回はよくできたんだって言ってた」
「結局、お前は勝負を受けたのかい?」
「受けたよ。だって得意科目だし」
「おやまあ」
「そう言ったら鬼林は、もう終わったテストなのに手加減してくれ“って返してきたんだ。変なの。そんな冗談をいっぱい言ってくれるんだよ、あいつは。僕が冗談苦手だから」
「いい子だね」
「いいやつなんだ、鬼林は。鬼林には、きっと、僕より気が合って、仲のいい友達は、僕じゃなくてもたくさんいる。でも、僕といる時間も楽しんでくれる。そんなあいつといる時間が、僕も楽しい。友達になれて嬉しい。体育祭のときの借り物競争で一緒に走ったんだけど、」
「写真を見せてくれたね。クラスの子に撮ってもらったんだって?」
「うん。その写真を見ると、あの瞬間を思い出して、ドキドキするんだ。すごいよね」
「お前も鬼林くんもすごく楽しそうだったよ」
「あとは、そうだ、焼野原」
「泣き虫の子かい?」
「そう。あの内弁慶な後輩。この前、ショッピングモールのゲームエリアに行ったら、パンチングマシーンのそいつの記録が消えてたんだ」
「残念だねえ」
「たぶん、一ヶ月更新されていくから、しょうがないんだけど。それを知って、僕はなんとなく寂しくなったんだ。でも、焼野原のほうがもっと寂しくなるんだろうなって思った。あれは焼野原の記録だったけどそうじゃなくって、もう一人のあいつの痕跡だったから。だから、これはあの日のことを思い出すからか、あいつのことを思い出す焼野原を想像するからなのか、わからないんだけど……優しいのに寂しい、オレンジみたいな、色で、温度で、つらいんだ」
「そうかい」
「そういえば、紫香楽空寝が、今日も学校に来てたんだ」
「狸寝入りの子だね」
「あいつ、授業にもテストにも出ないけど、律義に学校には来てるんだよ。勉強が全然追っついてないって、テスト終わりの焼野原に勉強教わってた。二学期からの完全復帰が目標らしい。えらいなって思う」
「嫌なことと向き合おうとしてるのは、えらいねえ」
「そうなんだ。僕はいまでも紫香楽空寝の気持ちを想像できないんだけど、でも、あいつの夢の夢の中で見た記憶は、すごくしんどかった。虚無感ってあんな感じなんだな……悲しさも、悔しさも、もちろん怒りだってあるのに、届かなすぎてもうどうでもよくなるんだよ。気高い高嶺を前に、深い底なし沼に落ちていくような、途方もない感覚だった」
「うん」
「だから、僕は……僕もあいつの力になりたいと思うんだ。僕も友達を作るのは得意じゃないけど、友達を紹介することはできるし。きらきらしてるとか言って拒否られるんだけどさ」
 記録を見返さなくとも一つ一つが記憶として浮かびあがった。
 僕が心を震わせられた瞬間。
 こういうことを、祖母は僕に教えたかったんだと思う。だから、僕はそう伝えた。
「最近の僕はいつもいつも、すごく、驚くんだ」
 鈍いだけの世界が、色づき、熱を持ち、奥行きを生み、立体化していった。
 僕が目を向けていなかっただけで、きっと世界はこんなありさまをしていた。
 言葉に置き換えるとひどくつたなく聞こえるけれど、祖母は素晴らしいことだと言いたげな様子で、僕の言葉に耳を傾けてくれた。目を細めて「よかった」と囁く。
「私がお前に望んだことを、お前は見事に叶えてくれたね。心残りはないよ」
「えっ、やめてよ、もうすぐ死ぬみたいな言いかた」
「死なない死なない。私にはまだまだたくさんの夢を見ているから。たとえお前が、誰だっけね、蝶々夫人? トゥーランドット姫?」
「サロメだよ。鯱鶫先輩」
「トラツグミ?」
「なんでいきなりボケるの? 本当に死なないよね?」
「その先輩の悪夢を祓えなかったとしても、狩月はその先輩を思って行動したんだろう?」
 ひとの心というのは、一つ一つがまるで違った代物だ。疑心暗鬼に苦しむ者もいれば、夢幻をよりどころにしないと生きていけない者も、脅かされるに甘んじる者もいる。だからこそ、悪夢を祓うだけでは意味がない。夢見主の心を救わなければ、祓う意味がない。
「その先輩がきれいに笑ってたんなら、お前のやったことは間違ってないんだよ」
 祓わなくとも、心が救えたのならそれでいいのだと、祖母は僕に語った。
 僕は眉を顰めて食いしばるように呟く。
「……でも、やっぱりだめだよ、僕は試験に合格できなかったんだから」
「それはどうだろう。胡蝶の夢はまだ完治していないかもしれないよ」
「そんなわけないって。夢散で斬られたんだから。胡蝶の夢は鯱先輩から完全に退いてるよ」
 伝家の宝刀は伊達じゃない。現実世界だろうと夢の世界だろうと、悪夢を討り逃がしたりはしない。そんなのは公然の事実だし、祖母の言葉は気休めにさえならない。
「課題なんて建前だからね、私としては、お前がどう思ってどうしたかったのか……その大事なことさえ覚えてくれてるなら、もうじゅうぶんなんだけど」祖母は続ける。「お前はまだ、それを忘れちまってるのかねえ」
 僕は目を瞬かせる。そんな僕の間抜けな顔を見て、祖母はふふっと笑った。
「祓わなくとも、心を救えたのなら、それでかまわないのに。そうさねえ、立つ鳥には跡を濁さないようにはしてもらいたいものだよ」
「どういう意味?」
「おっと、持病のガンと脳梗塞とリウマチが……」
 洒落にならないことを言う祖母は夜来香を持ったまま部屋へと引っこもうとする。僕は背中に手を遣って付き添おうとしたけれど、「孫アレルギーが……」と言われたので遠慮しておいた。祖母の洒落はいつも無理矢理で支離滅裂なのだ。みけらんも祖母を追うようにして去っていった。そよそよと夜来香の残り香が鼻腔をくすぐる。縁側には僕だけが残った。
 伝う汗を拭うのも忘れて、僕は祖母の言わんとしたことの意味を考えてみる。
 しばらくして、僕は、この家の敷地内にある蔵へと、足を運ぶことにした。観音扉になっている蔵戸前を開けると、もう使われなくなった物が雑多に整理されているのが見える。古びてはいるが艶の失われていない木の床を歩き、箱階段を上って二階へと向かう。圧迫感のある棚の列が視界を覆う。並べられているのは、枕部の予言書―――猟ヶ寺の予知夢の記録だ。
 僕が毎晩その日にあったことを備忘録として日記に綴るように、猟ヶ寺は毎朝その日に夢見たことを予言書として日記に綴っている。予知夢の才が発現してから猟ヶ寺は毎日欠かさずに夢日記をつけているため、その冊数も夥しいものとなっていた。実際には、その夢日記は完全にデータ管理されており、まるで電子辞書のように、キーワードで索引すればそれにふさわしい要項がヒットするよう、枕部一門の悪夢祓いに共有されている。だから、この蔵にあるのはデータ化される前の、猟ヶ寺が直筆した、謂わば原書のようなものだった。
 ここに来れば、祖母の言葉を確かめられるかもしれないと思った。たぶん、さきほどの祖母は、僕になにかを伝えようとしていた。ただの思いすごしかもしれないけれど、僕の知っている祖母は、思わせぶりな言葉でなにかを与えてくれるひとだった。あの調子だとそれ以上を語る気はないようだし、頼れるとしたら、ここにある予言書くらいのものだ。僕の継承試験もここから出題されていると聞く。本当はデータベースにアクセスできればよかったが、悪夢祓いとしてはまだ見習いである僕に、それを利用できる権利はなかった。しかし、枕部家に住まう者として蔵を漁る権利くらいはある。なにかしらのヒントがあるかもしれない。
 僕はそのうちの一冊を手に取ってみる。キャラクターものの表紙をした、マス目の大きい学習用ノートだ。ぱらりと開いてみると、日付とその日見た夢が書かれている。しかし、そのどれもが散文的で、要領を得ない。見るからに幼いときの字なので作文力がつたなかったこともあるだろうが、そもそもが曖昧な夢だったのではないかと僕は思った。祖母も言っていたが、予知夢とはさほど便利なものでもない。夢の内容はおぼつかず、暗示的なものばかりだ。それを証拠に、たまに一文字さえない、夢の内容を全て絵で表現したであろうページが存在した。おそらく、夢のイメージを文字に落としこむことができなかったのだろう。色鉛筆やクレヨンのかす、、があちこちを汚している。僕はその冊子を閉じ、別の冊子へと手を伸ばす。
 ぺらぺらとめくっていくと、気になる夢日記を見つけた。こう書かれている。
―――ララララ?
―――ルルルル?
―――ティピピピ?
―――おそらく虫の声。
―――霧の中。別の場所に行っても晴れない。
―――私は制服を着ていた。
 散文的だが心当たりはある―――焼野原戦の邯鄲の夢のことだろう。真新しい、朱肉で押印された済≠フ文字もある。予知後に実現した夢はこのように済印を押されるのだとわかった。
 こうしてみると、予知夢とは実に断片的な情報しか与えてくれないようだ。猟ヶ寺自身も手探りに推理しながら夢解きをしているのがわかる。
 さらに別の冊子にいく。これはわかりやすかった。
―――手綱を握りきれていないロデオ。
―――男の子は弓道着を着ていた。
―――的を射ていた。
―――おそらく正夢。
―――私は制服を着ていた。
 あやふやな夢の時系列を辿るときに、おそらく、その夢の中で猟ヶ寺自身がどんな格好をしていたかが判断材料になっているのだ。その証拠に、どの夢日記も毎文末に私はランドセルを背負っていた≠竍私は制服を着て傘を差していた≠ネどの、猟ヶ寺の状態について触れられている。
 ということは、ページに済印があり、文末に高校の制服姿であることを示す文章のあるものが、継承試験の課題としての目印になるはずだ。僕は残る一問の胡蝶の夢についての記述を探すべく、目を凝らして漁っていった。
 すると、五冊ほど漁ったとき、それは見つかった。




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