夢患いの診療録 | ナノ
泣き虫はもういない 2/6

 僕は現状を把握するため、あたりを見回す。
 すっかり日は落ちて、空が夜の青を帯びてきた頃合い。電灯は点いていたし、月もくっきりと浮かびあがっている。赤詰草畑が見えることから、ここは通学路だと察する。どうして僕はこんなところで寝ている。まさか、意識を飛ばしたのか? だとしたら、最悪だ、おそらくだけど、まだ記録していない、、、、、、、、、
「思い出せる? 枕部くん」
 視線をこちらに遣ることなく、猟ヶ寺は尋ねてきた。僕が素直に「全然」と答えると、持っていた携帯スマホの画面を僕に見せつける。
 それは、動画だった。まだ日の出ている時間帯の動画だ。画面上に映るのは、僕と、鬼林と、女子生徒が二人。音は遠くてほとんど聞こえなかったが、ただならぬ様子であることは理解できる。一人の女子生徒は逃げ去り、もう一人は、獰猛な獅子や女傑のように、拳を振るう。僕は一連の様子を眺めて、徐々に思い出していく。その光景に脳が晴れていった。まるでデジャビュ。いいや、むしろジャメビュのほうが近いかもしれない。そうだ、たしか、焼野原戦だ。このあと、彼女は僕に回し蹴りを浴びせるのだ。さっきまで気づかなかった蟀谷こめかみの痛みを指でなぞった。
「……ていうか、猟ヶ寺、これどこで撮ってた」
「そこのフォリーの陰から。くだんの彼女がキャットファイトを始めたところも、鬼林くんがそれを颯爽と止めたところも、貴方はただただそれを眺めていただけでなにもしなかったところも、全てこの目で見ていたわ」
「それを聞くに、お前も眺めていただけで、なにもしていなさそうだけど」
「言ったでしょう。あの方が選んだのは貴方なのだから、私は貴方のやりかたを尊重する義務があるのよ。下手な手出しは、貴方の行動を妨げることになる」
 断片的な記憶の中でも僕は焼野原戦を二人目の夢見主であると推測していたが、猟ヶ寺の言葉で確信に変わった。
 状況を整理すると―――数刻前、僕は患者である焼野原戦に接触を試みたようだ。そして、華麗な回し蹴りにより、気絶させられた。動画の終わり際には、僕に駆け寄る鬼林と、去っていく焼野原が映っている。こうして客観的に見ても、かなり情けない絵面だった。
「正直のところ、貴方の突飛なやりかたに開いた口が塞がらず、私も棒立ちになるしかなかったというのが本音。口下手と唐変木が史上最悪の化学反応を起こし、致命的な積極性コミュ障を生成していたわ。そういう意味では、ビッグバンよりも貴重な現象実験に私は立ち会ったと言えるわね。結果は惨憺たるものだったけれど。ちなみに、この観察記録動画での一番の見どころは、貴方が焼野原戦にアプローチしているのを見ているときの、鬼林くんの表情。そこから彼の気持ちを代弁するなら、やめてさしあげろ≠ニいったところかしら」
 僕はゆっくりと上体を起こした。頬にはまだスカートのひだの感触が残っている。夜風が吹き、張りついた髪を柔らかく引き剥がしていった。
「ちなみにだけど、鬼林くんは帰したわ」
「……ああ、うん」
「私が言うまで忘れていたでしょう」
「ここにいないから、普通に帰ったんだろうなって」
「そうね、普通に帰っていったわ。こんな珍事に巻きこまれて普通でいてくれるのは、彼のひとがいいから」猟ヶ寺は続ける。「少しは心配してあげたらいいのに。見て見ぬふりをするのが貴方ね。そして、そこに悪意はないの。なんの気もなしに見過ごして、見捨てて、忘れていくのよね。そうやって、自分の心に薄情だから、誰かの心にも薄情になれるんだわ」
「……だから、あのひとは、心を知りなさいと、僕に言った。喜びの色、悲しみの温度、苦しみの深さや怒りの気高さ。そして、それらがひとによって違うことを知りなさい、と」
「鬼林くんの一件を通して、貴方は知れたの?」
 だしぬけに指摘されて、僕は押し黙った。
 猟ヶ寺は「本当に、見ていて痛々しいほどなのよ」とため息をついた。
「夢見主探しにしたってそうよね。学校中から探すのが大変だからって、数打ちゃ当たるの無節操。なりふりかまわない手段を取るから、だから遠巻きにされるのよ。理解できないって。貴方が周りを理解していないから、相手がどう思うかを理解しようとしないから」
 広い校内でたった四人の夢見主を探すのは至難の業だ。だから、多少効率が悪かろうと、僕は広くアンテナを張り巡らせることにした。そのせいで怪しげな勧誘を行う問題児と認識されようと、目当ての四人に引っかかれば大金星だった。その目当てであった鬼林にまで遠巻きにされる事態に陥ったものの、治療できたので結果オーライだ。
「……僕は悪夢祓いだ。悪夢を祓うのが僕の役目だ。悪夢を祓えば、患者の心だって守れる」
「それじゃあ、あの方は認めないわ」猟ヶ寺は立ちあがった。「私もね」
 去る猟ヶ寺の後ろ姿が薄暮の光と濃紺に紛れていくのを、僕は見送った。
 一人で立ちつくしたまま、僕は祖母との会話を思い出す。
 僕は祖母に言った―――悪夢祓いになりたいだけなのに、どうして心を理解しなくちゃいけないのか。
 僕は誰よりも悪夢祓いらしく、誰よりもらしくないと、あのひとが言うから、それに納得がいかず、反発しての言葉だった。悪夢から救うことができたなら、それが最良で最善のはずだ。僕はそのために手を尽くす悪夢祓いになりたい。僕の体質が有利になろうと不利になろうと関係ない。治せばいいだけの話だ。なのに、あのひとはそれを肯定しない。
「……なんにもわかっていないって目で僕を見るけど、僕にだって心はあるよ」
 僕がそう言うと、祖母は返した。
「知ってるさ。お前にも、初々しくいじらしい心がある。ただ、それを使うのが、誰よりもちょっとばかりへたくそなだけ」
 誰よりもって言っている時点でちょっとばかりじゃない。
 むくれる僕に、祖母は慈しむように笑った。
「心を知ることで、救ってやれることもあるんだ。そのときが楽しみだねえ、お前はどんな使いかたをするのか。震えた心の色に、温度に、深さに、気高さに……きっとお前は驚くよ。お前にだって、震える心があるのだから」
 へっくちゅん。
 夜のとばりが落ちた静謐な公園に、僕のくしゃみが響いた。







 翌日、僕は、焼野原のいる教室に乗りこむことにした。残念ながらクラスは知らなかったが、幸いなことに、昨日配布された保健委員の資料に記されてあったのだ。昏睡させられた昨日の今日で、噂の五里霧中の焼野原≠ノ会いに行くのは無謀もいいところだが、相手が夢見主とあればやむを得ない。
「……で、なんでお前もついてくるの、鬼林」
「ばっっか! 気になるからに決まってんじゃん!」
 焼野原のクラスに赴く道すがら、僕の隣を歩く鬼林を、僕は睥睨した。
 僕が焼野原の元へ行くと知った途端、「俺も行く」と言ってついてきたのだ。
「相手はあの焼野原だろ。枕部、また気絶させられたらどうすんだ。俺だって喧嘩なんてしたことないけど、お前のほうがしたことなさそうだし」
「え、また庇ってくれる気?」
「そんな度胸はない。一足先に逃げて、先生を呼んでやる。これぞヒットアンドアウェイ」
「僕がヒットされて、お前がアウェイするってか」
 呆れてため息が出てしまう。しかし、鬼林も暇ではない。性格のいいこいつのことだから、本当に僕を心配して、ついてきてくれているんだと思う。普段つるんでいるクラスメイトとの時間を割いて、友達でもない僕のために。それが少し申し訳なかった。
「……鬼林。いまもだけど、日課だってもういいんじゃないのか?」
 僕がそう言うと、鬼林は「なにが?」と首を傾げる。
「経過は良好。お前もだんだんと正夢を見なくなってきてる。最近じゃ、話す内容だってほとんど雑談だし、このままの調子なら普通に全快していくと思う。だから、朝とか、放課後とか、僕と話す時間を作ってくれてるけど、もう話しかけなくてもいいよ?」
「えっ」
 そのとき、焼野原のクラスについた。僕たちは、教室のドアに隠れるようにして、中の様子を伺う。休み時間の教室はどこか閑散としている。大方の生徒が出払っているため、広く見渡すことができた。出席番号順で座っているのだろう。窓際の席に、焼野原はいた。
 初夏の白い日差しを浴びて、なにをするでもなく、一人で座っている。彼女の周りはぽっかりと穴が開いたようで、そこだけ世界が静かだった。横顔は儚げだ。浮世離れしているけれど、あの牙を持つ獣のような高踏さは消え失せている。
「鬼林。昨日、なんだっけな、たしか鳴き声が、なんとか……それはいま聞こえる?」
「え、いや、聞こえないけど……」
 僕は「ふうん」と頷く。そして、近くにいた生徒に「ごめん、焼野原を呼んできてもらえる?」と声をかけた。その生徒は「あ、えっ、焼野原さん?」と慄くような態度を見せたが、僕の隣にいる鬼林を見て、目を見開かせる。どうやら部活の後輩だったらしい。鬼林が「よっ」と軽く声をかけると、その後輩は礼儀正しく挨拶を返した。
「所用があってな。呼んでくれる?」
「所用って、鬼林先輩がですか?」
「いんや、俺じゃなくて、こっちが」
 鬼林に指を差されたので、僕は頷いた。
 後輩は「委員会の話とかなら俺に言ってもらって大丈夫ですよ」と言う。
「委員会の話じゃないけど……なんで?」
「先輩も昨日の会議にいましたよね? 俺も、焼野原と同じ保健委員なんで」
「えっ、そうなの?」
 僕の呟きに「おい、昨日会ったやつくらい覚えとけよー」と鬼林が突っこむ。しかし、後輩の彼は「いやいや、直接しゃべったわけじゃないんで、しかたないですよ」と苦笑する。
「委員会の話ってわけじゃなくて、個人での話だから。頼める?」
「あー、まー、いいですけど」
「……もしかして、呼びにくい?」
 鬼林が尋ねると、彼はおずおずと「ぶっちゃけると」と答える。
「陰口みたいなの言いたくないんですけど。普段はおとなしいのにピーキーっていうか、突然なんか不機嫌になることが多くて、怖いんですよね。俺、焼野原さんと同じ中学なんですけど、そのときからなんですよ。いきなり人が変わったように乱暴になるの」
 僕が「虫の居所が悪かったんだろうな」と言うと、彼は「まあ、声をかけるくらいなら、大丈夫だとは思います」と言い、焼野原のほうへと近づいた。
 その後輩に声をかけられた焼野原は、少しだけ身を震わせたが、指差された僕らのほうを振り向いて、瞳を険しくさせた。さきほどとは見違える、牙のように鋭い雰囲気をまとう。
 鬼林がぴくりと反応したのが見えたので、僕は「聞こえたか?」と尋ねる。鬼林は頷いた。
 けれど、鬼林の言う虫の鳴き声は、僕には聞こえない。僕は改めて確信する。
 存外と素直に出てきた焼野原は、あまりにも研ぎ澄まされた瞳で、僕たちを見上げた。
「おはよう」
「なんのようだ」
「言ったろ。お前を治しにきた」
 僕がそう言うと、焼野原は「大きなお世話だ」と返した。
「世話じゃない、診断だ。それは治したほうがいい。お前を蝕む獅子身中の虫だよ、焼野原。一刻も早く取り除くべきものだ」
 僕と焼野原、互いの視線がまっすぐに交わる。永遠とそれが続くと思われたが、そこへ鬼林が「だけどさ、枕部」と口を開く。
「夢に憑かれてるって、どうしてわかる? 俺みたく、そもそも夢について悩んでたならともかく、そんなこと一言も言ってない相手に、なんで?」
「お前のおかげさ。僕には聞こえず、お前だけが聞くことのできる鳴き声……答えは一つ。その正体は、夢である」
 鬼林は目を見開かせた。
 夢を見ない体質である僕は、夢を見るどころか、聞くこともできない。干渉できないとはそういうことなのだ。僕の受けつけない事象の多くは、根本が夢である可能性が高い。加えて、鬼林はつい最近まで正夢に憑かれていた。病み上がりは免疫力が低下しており、且つ、感度は高くなっている。それは、普通に生活していれば感じない他者の夢にも、反応できてしまうほど。悪夢に憑かれていた鬼林だからこそ、悪夢に曳かれるのだ。




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