裏切りと背徳 2/8



「自分だって周囲にばれないようにさ。彼女の顔は書物という書物に描かれているだろう? それと同じ顔が町中を歩いていたら目立つに決まってる」
「やっぱり『大魔女』のヒストリカだってばれるとまずいのか?」
「うーん、そうだね。まずい」
「まあ……そうなるか。服や小物で顔を隠しても限度がある……ああも人目をさらう容姿だと紳士諸君が黙ってないだろうしな」しかし、とアイオネは軽く肩を竦めた。「あの仮の見目は見事だな。繊維が裂けるまで覆面だと気づかなかった。触れても人肌に近い感触をしていたし、不自然なのは表情を変えないところくらいだ」
「でしょ!?」
 食いつくようにハロルドは身を乗りだした。目はひどく喜びに満ちていた。
「あれを作るのには僕も一役買っていてね、本物の顔に見えるよう極限まで創意工夫を凝らしたんだ。瞳は生地を薄くして中から見えるようになっているから視野の心配はいらないし、口も当然開く。彼女の希望で顔はあんな、人の寄りつかなさそうなものにしたんだけど、それでもなかなかやりごたえがあったよ」
 そうかそうかとアイオネは頷くが、ハロルドはすっかり熱を帯びてしまっている。これ以上に語られてしまいそうだ。せめて別の方向に話を逸らすよう、アイオネは口を開く。
「話を元に戻すが、魔法族って言うからには他にも仲間はいるんだろうな?」
 一度彼女に窘められてしまった話題だ。ついさっきの今じゃ望み薄だろうと思っていたが、存外単純に、ハロルドは「ああ」と軽快な口を披露していく。
「いるよ。それも僕らが考えているよりもたくさん。もう昔の話みたいだけどね」
「それは……魔女狩りで?」
「のようだよ。悲しいことに。けれど彼、彼女らは、被害者であり捕食者の立場でありながら、ある意味僕らよりも優等な立場にいると言っていいだろう」
「魔法なんて神のようなわざを使えるんだから当然じゃないか」
「そういう意味じゃない。医学や生物学的に見ても、彼らは優等なんだよ」
 アイオネは眉を顰めて「どういうことだ?」と問いかける。
「聞いたところによると、魔法族と結婚して生まれた子供はみんな魔法族になるらしい。たとえ父親と母親のどちらかが普通の人間だったとしても、おしなべて魔法族になる。この意味がわかるかい?」
「…………優性遺伝か」
「イエス」
 分野外だったので答えるのに時間はかかったが、遺伝どうこうの話は普通教育として習っている。生殖によって親から子へと形質が伝わるとき、次世代でより表現されやすい表現型を優性遺伝子と呼ぶ。魔法族という性質は普通の人間という性質と比べて優性なのだ。
 なるほどと相槌を打ちながら、アイオネは一つの策を考えていた。
 このアイオネ、見た目と生まれ育ちに反し、一筋縄ではいかぬ情熱的、、、な男だ。その熱き思考に秘めたるは、古くから使われる常套手段。娘を獲得しようとするならまず母親から始めよ。ハロルドは彼女の母親ではない――むしろ彼女が母親のようですらある――が、上手くのせることができれば、もっと大魔女かのじょの話を聞けるのではないだろうか。そして、この男をのせるのはそれほど難しくないと、アイオネは察していた。
「そりゃあんたの推論か? どういうことだ?」
「よくぞ聞いてくれました!」
 ハロルドは眩しいぐらいの笑顔を見せて言った。
 ちょろい。ちょろすぎて可哀想になってきた。ごめん、ハロルド。
 思えば出かける前のヒストリカにしゃべりすぎないように釘を刺されていた。この男は元来おしゃべりな性格なのだろう。それを助長させるため、持ち前の愛嬌で程よい相槌や驚きの表情を用い、聞き上手のふりをしてみればすぐに落ちた。
「魔法族の親を持つと子は必ず魔法族になる。その法則を聞いた僕はすぐに遺伝の可能性を考えたんだけど、遺伝ということはつまり、血が重要な鍵を握ることになる。だからヒストリカから血を採取して調べてみたんだ。もちろん本人の許可を得てのことだよ? それでね、まあいろいろ調べ上げていくうちに、わかったことがある。彼女は稀血だ」
 稀血。さすがに聞き覚えのない単語だった。ここまでくると医学用語か、それに近いなにかなのだろう。アイオネは首を傾げながら、話を続けるようにハロルドに促す。
「血液にも型で表される種類があると最近わかったわけだけど、稀血っていうのはその血の型の中でもごく珍しいものを指す。そしてヒストリカの血はその稀血のなかでも特に珍しくて……いや」ハロルドはまだるっこしそうに首を振る。「人間としてはありえないような血だということがわかった」
 だんだん深い話になってきた。アイオネはハロルドの言葉に振り落されないよう、頭を働かせながら耳を傾ける。
「人の血の中には、抗原と呼ばれるものがあってね。最大で342種類もの抗原が存在して、そのうち半分くらいの種類は広く一般的に普及している。だから、そのいずれか一つでも欠けば稀血、ということになるんだけど……」
「ヒストリカがそうだと?」
「その逆。彼女の血は一般的な抗原に加え、343種類目の抗原、、、、、、、、、を持っている」
 その異様さを理解できないアイオネではなかった。押し黙る彼に、まるで自分の偉業を自慢する子供のような表情で、ハロルドは続ける。
「普通の人間には存在しないはずのその差こそが、魔法族たる所以なんだと思う。そのたった一つの抗原こそが、魔法族の核なんだと思う」
「その血が魔法を可能にする……言うなれば魔力だってことか?」
「どうだろう。血はただの血で、魔力なんてものはない、ただその血を持つ者だけが魔法を扱えるってことだと思う。視力や聴力と同じレベルの話。目が良ければ遠くを見れるし、耳が良ければ小さな音を拾える」
「本当かあ?」
「少なくともヒストリカは魔法を学問だと言っていた。奇跡でもなんでもない。理論があって、規則があって、ただ魔法族以外はそれを使いこなせないだけだと」
 ハロルドの話は妄想臭いと感じたが、ヒストリカの言うことなら本当だろうと思った。ヒストリカは魔法陣を描くときに背に隠した書物を広げていた。思えばあれは指南書や便覧のような、それこそ魔導書なんかと空想されるものだったのではないだろうか。
 特異な血の遺伝による魔法学の継承とは、なんとも神秘的な話だ。
「まあ、抗原が異常に備わっているなら二百年の不老も頷ける。魔法族は長寿なのか」
「と思ったんだけど、そうでもないらしい」降参だとでも言うふうに両手を上げた。「ヒストリカは特別だ。うちの家系はヒストリカを通して魔法族やそのメカニズムについて解剖してきたんだけど、どうやら彼女の場合は細胞が狂ってるらしい」
 狂ってるという言いかたに顔を顰めるアイオネに、ハロルドは「魔法がかけられてるってこと」と弁解する。
 魔法がかけられている――それはつまり、故意に、老いて死なないようにしているということだ。いったい何故、なんのために、そんな魔法をかけたのか。
「いや、でも、さっき魔法族は不老長寿じゃないなんて言いかたをしてしまったけど、ヒストリカ以外にもそれに限りなく近いやつらはいる」
「そうなのか?」
「うん。ほら、君も昨日そいつらに襲われて――」
 アイオネが知りたかった核心にかぎりなく近づけたところで、操り人形のように浮かされていたハロルドがハッと気づいた。早急に口元を押さえているあたり、ついさっきまでの自らの愚行を思い返しているのだろう。そして、微笑んでいるときよりも妙に大人びて見える不機嫌な表情で、「やってくれたね。アイオネ」と目を眇める。
「年下の男にあたるなんて大人らしくないぜ。その眉間の皺はお門違いだ」
「……認めよう。僕は己の愚かさで君に語ったにすぎない。それは謝る」
 ハロルドはため息混じりにそう言った。困ったような顔で「けれど」と続ける。
「それを誘ったのは君だ。君はほとんど赤の他人である僕の弱みを見つけた。罪な青年だ」
 一理どころかそれが全てだ。アイオネは認めるように「だろうとも」と頷く。
 ハロルドはかすかに笑ってから、拗ねるように言う。



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