無人島 1/7


 それは宣言通り、その日の夕方の四時半ごろのことだった。
〈歴代の回答が掴めたよ〉
 仁紗が甲高い声でそう告げた。
 謎々たちは取りつけられている画面に目を遣る。墨で描かれた山水画の脇からのそりのそりと虎が出てくる。データを銜えたまま近づき、ふいっとこちらへ投げだせば、そのデータはパッと大きく開かれた。謎々は映し出された誤答の羅列を読み上げていく。
「……ベッド、黄江シティ、玩具屋、熱帯雨林、天国……天国とまできたか。なんでもありだな」
〈一年前の一般人の回答、慮山の麓の小集落≠チてのはけっこう考え抜いたとこだと思ったんだけどね。あのあたりはキンバエ、アシナガバエといった君たちの望む緑色を持つハエが多いし、そこのロープウエーはかなり古くて速度制限がかかってる。秒速にして約2センチ。鈍足も鈍足だ〉
「それを言うなら黄江シティ≠烽セな。ちょうど回答された時期ではアブの大量発生がニュースになっていたと思うぞ。黄緑蛍光のコガタノミズアブも増殖した例に挙げられる種だ」
 仁紗のまとめてくれた一覧の中には、夜明けのなぞなぞに巧妙に則したものも見られた。しかしこれら全てが誤答というのだから呆気も一入。なんせ夜明けとりぼんはいままで正答されたことのない《栄光の少女》なのだ。噂の現首相があやかったとかいう《栄光の少女》ならば話も簡単だったろうに。
「だけどまあ」香弁が気休めるように口を開く。「これで絞られたんじゃない?」
 想定している母数がゼロまたは不特定多数であるとはいえ、無遠慮に夜明けに答えを投げかけることはなくなるだろう。謎々が回答の候補にしていたものも一覧の中に存在していた。安易に夜明けに告げていれば、いまごろ謎々は死んでいたかもしれない。
〈とりあえず要件はそれだけかな。ではね、諸君〉
 仁紗がそう言うと画面には黒が広がっていった。
 三人はお互いに顔を見合わせる。
「ご主人、ちょっといいあるか」
 さっと低く手を上げた恋戯に謎々は「言ってみろ」と返した。
「夜明けの言葉をドストレートに考える必要はない気がしてきたよ。ここ数日見るかぎりにおいて夜明けはかなりのロマンチストある」
「……そうだな」
 謎々は少し離れたところで一人遊んでいる夜明けを見た。
 夜明けは非常食の缶詰や毛布などの備蓄品を並べて秘密基地なるものを作っていた。開けっ広げにしておいてなにが秘密基地だとも思ったが、シーツをカーテンのうに引いて一人きりの空間を作るだけで、彼女にとっては秘密基地に価するらしい。幼児の発想だと思ったが、それだけ夜明けが空想好きということだろう。秘密基地の奥からはなにやら話し声が聞こえてくる。ごっこ遊びでもしているのかもしれない。一人で。空想を現実にまで持ってこられるのだからとことん重傷だ。
「あのなぞなぞが全部比喩の可能性が強いね。っていうか絶対そうある」
「それは俺も同意見かな」
 謎々とて同意見だ。屋敷に来た自分をお姫様だと言ったり、サワガニの色を見て蟻のお尻と名づけたり、夜明けの思考はぶっとんでいる。よく言えば、場面連想能力、言語連想能力が高い。クライムリー・ビギニングで言い放ったなぞなぞも、未だ解明できていない古代の物語や前衛的な詩のようにも感じられる。
「となれば、自分を迷子だと言っているのも比喩である可能性があるな」
「道に迷っているという点ではその通りなのかもしれないけど、家に帰れないというよりは、元々していたこと、できていたことができない、ってことかもね」
「なら初めに仁紗が言っていたように概念や場所でないこともありえる。秒速1.8cmの世界というのはピンと来ないな。その速さで動くものに心当たりはないか?」
「ないある」
「ならば飛ばそう。緑のハエ……も比喩であるとして、気になっていたのは、やかましいけどすぐに慣れる、という夜明けの言葉だ。羽音はうるさいがすぐに慣れるという意味だと考えていたんだが、香弁と恋戯の意見を聞きたい」
「羽音とはあんまり関係がないんじゃないか、とは思うね」口にしながら考えるように香弁は言った。「比較にならないかもしれないけど、夜明けちゃん、仁紗氏のモスキート音声だってまともに慣れてないだろう? 年齢的に僕らよりも聞きがいいってのはあるだろうけど、そんな子がやかましい羽音に慣れるのかは疑問だ」
 謎々はふむと顎に手を当てる。
 モスキート音は非常に高周波の音であり、年齢とともに次第に聞きとりづらくなるという。ここにいる面子では香弁が一番の年嵩で、次点で恋戯や謎々、最後に夜明けと来る。一番幼く耳が若い夜明けが、一番その音を聞いてしまうのだ。そしてモスキート音は聞こえる者にとってはかなり耳障りで不快に思う場合も多い。夜明けなどまさにそのタイプだ。仁紗が話すだけでうぎいい!≠ニ耳を両手で塞いでいる。
「緑色のよく飛ぶものが煩わしいがすぐに慣れる、程度の意味でとるのが正解じゃないかい? ボス」
「その緑というのも気になるな。色じゃないんじゃないのか」
 恋戯が首を傾げたのと謎々が口を開いたのは同時だった。謎々もあくまで憶測だというスタンスで言葉を続ける。
「緑の持つイメージだ。緑は安心感や安定、調和を表す色でもある。健やかさ、穏やかさ、癒しととる場合もあるな。心をリラックスさせる効果。目にも優しい色だ。煩わしくてもそりゃあすぐに慣れるだろうさ」
 そこまで考えると風呂敷を広げすぎた気もするが、と謎々は締めくくった。
 改めて厄介な問いを投げかけられたものだと思う。
 香弁は思い出したように「なら」と口を開く。
「なにも気にならなくなった地獄の先にある、っていうのはなんだと思う?」
 秒速1.8センチ。
 緑のハエ。
 そして最後のキーワードは、地獄の先。
 この単語も頭を悩ませる言葉であった。そのままの意味で捉えると、死後ということになる。だからこそ、回答の中に天国≠ェあったのだろう。なにかを喩えているのなら悲劇、恐怖、苦痛の先にあるということだ。
「緑のハエに関係あるというのはどうね。緑のハエの群れが気にならなくなったその先、と言いたかったある」
「すぐに慣れる≠フあとにもう一度気にならなくなる≠ニ言うのはおかしいだろう。このなぞなぞも、なぞなぞにおけるルールやお約束も、穴はあれどよくできている。そんな稚拙な文構造をしているとは思えないな」
 恋戯は「ぐう」と唸ってから体を弛緩させた。案は出尽くしたらしい。むしろ考えることが苦手な彼女にしてはこの数日間はがんばったほうだ。
 行き詰まっているのは恋戯だけではない。香弁も、謎々でさえも、すっかり考えあぐねてしまっていた。



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