死刑囚のスティグマ(2/4)




 マイクはへらりと笑った。降参とでも言いたげに、両手をひらひらと振っている。
「……二年も前のこと、よく覚えてたね」
「思い出したんだ。当時は、普通に新聞にも載っていたしな」
「でも、たしか、同じ時期にもっと大きな事件があっただろ? 首相暗殺。あっちのほうに紛れて、かなり影が薄かったはずなんだけどな」
「お前がこれまでに発見したもの、いや、“エグラドから盗んだとされるもの”は、アンネのペン先や悩ましき裏切りの書だけじゃない。『セリカからの鼈甲璽』、『いつかの日への黙示録』、『姫君の追想』……歴史的にも価値のある品々だった。目を引いたんだろう。お前の俺は“エグラドの歴史”に対して、とても勤勉だったから」
「だからって、考える? 普通。ご存知のとおり、首なし鶏のマイクは死刑になったんだよ」
「俺だって考えられなかったさ。だから、考えるのに見切りをつけて、直接聞いてみることにした。マイク。お前はどうやって生きながらえたんだ? まさか黄金の林檎を見つけたわけでもあるまい」
「俺だってわからないさ。俺以外に、首を切り落とされても生きてたやつなんて、知らないし。奇跡なんじゃないかな。あるいは、ここはやっぱり死んだ後の世界で、地獄か天国だったりすんのかも」
 そう言って、マイクは苦笑した。
 近年でも、オカルトな方面で、首を切り落とされた状態で人はどれだけ生きていられるか、という話題が盛り上がったことはある。断頭台で切り落とした首を叩いたら、いきなり目が開いて死刑執行人を驚かせた、などという話はいくつも残っており、その言い伝えから、しばしば、人間は首だけでもしばらく生きていける、とする考えもあるのだ。
「生憎、俺は医学や生体学に精通しているわけではないが、実際に首を切り落とされたとしたら、その瞬間に血圧が一気に下がるはずだ。瞬時に気絶し、十秒もあれば死亡する。本当にお前は首を刎ねられたのか?」
 神話上ではデュラハンという首のない妖精やコシュタ・バワーという首なし馬が存在する。都市伝説にも首なし騎士というものがあるが、やはり伝説というくくりなのだ。現実に首をなくして生きることはありえない。
「この傷痕がなによりの証拠だよ」マイクは辛気臭そうに肩を竦める。「死刑宣告を受けて首を刎ねられて……でも、丸一日、意識があった。周りはびっくりしてた。いきなり体が動いて、喚く頭を拾いあげるんだから。興味深いって、死ぬまで待とうとしたみたいだけど、一日経っても俺は死ななかった。アンプロワイエは諦めて、俺の首や神経を繋いだんだ。まあ……そこからダストシュートに乗りこむまでの二年間は、死ぬより最悪だったけど」
 マイクの言葉に、イヴは察した。
 首を刎ねても死なない男なんて、好奇の目に晒されるに決まっていた。悪逆非道な研究の餌食にだってされたかもしれない。それこそ、不死身など、そういう次元の発見を。
「……死ぬより最悪なことなんて、ない」
 そこで、オズワルドははじめて、自分からマイクに話しかけた。
 マイクは目を見開く。
 オズワルドは気にしたふうもなく、彼の首を撫でた。オズワルドがその傷に触れると、マイクは甘く目を細める。首や体を捩ってはいたが、オズワルドを拒絶したわけではなかった。
「首を刎ねられたんでしょう?」オズワルドは少しだけ低い声で、ゆっくりと言葉を吐く。「痛くて、怖かったよね」
 黒い目が同情に狭まるのを、マイクはじっと見つめていた。首に触れるオズワルドの手をやんわりと掴み、自分の頬に寄せる。
「でも生きてる」
 オズワルドは数瞬固まったが、それから安心したように肩を落とした。しかし、すぐにマイクに触れていた手を払うように遠ざかる。マイクは気の抜けた笑顔でオズワルドに詰め寄った。オズワルドはついさっきまでと同じような複雑そうな表情で、それを避けていった。
「……しかし、イヴ、もしこのガキが“首なし鶏のマイク”だとしたら、一つ懸念がある」
 戯れるオズワルドとマイクを無視して、哀王はイヴに話しかけた。イヴは彼の含むニュアンスに危惧しながら、「懸念って?」その詳細を尋ねる。
「まず、確認したい。あれが伝説のマイクなら、収容された罪状はなんだ?」
「窃盗罪に器物破損と、俺は考えたが」
「過去に、仕事の都合上、刑罰史を読み漁っていたことがある。あのガキの罪状に間違いがなければ、たったそれだけのことで死刑になるはずがない」目を見開くイヴを尻目に、哀王は続ける。「そして、あいつが死刑囚だったなら、まず間違いなく烙印を押されている」
「烙印……」
 イヴはその言葉を咀嚼しながら、ぼんやりと記憶を漁る。記憶に引っかかるものがあったのだ。ヘルヘイム収容所、烙印。その二つを頭に思い浮かべると、じんわりと心臓が冷えたのがわかった。イヴはゆっくりと目を見開いていく。
 イヴは未だにオズワルドに笑顔を向けるマイクに険しい声で言った。
「マイク、背中を見せろ」
「は?」
 訝しみながらも、マイクはイヴに背を向ける。しかし、イヴはそれでは足りないというように、マイクの服を貪る勢いでめくりあげた。
「うお!?」
 彼の肩甲骨が見えるくらいにまでたくしあげると、それはすぐに、イヴの目に映る。
 不気味な色だった。皮膚を焼いた黒ずみは古くなったように赤茶けていているが、形はまだ鮮明だ。幾何学模様と古代的な文字をあしらったそれは、焼きごての全貌がありありと伝わってくる。引き締まった背中を穢す一点の汚名。それは間違いなく、死刑囚のスティグマだった。
 哀王の懸念の正体にイヴは気づく。神妙な声で「たしかにこれはまずいな」と呟く。
「このスティグマは識別印という役割だけでなく、追跡印としての役割も果たしている」
 オズワルドは「どういうこと?」とイヴに尋ねた。
「ブロックワード以外の保険だ。死刑囚のスティグマは特別なんだ。万が一、億が一に備えて、囚人が逃亡した際に追跡できるよう、特殊磁気が刻印される。専用のコンパスで、刻印された対象者の位置を把握できるんだ」
 かつてヘルヘイム収容所について調べあげたときに覚えた事実を、イヴはなぞりあげる。
 哀王は懸念を吐きだした。
「アンプロワイエが“首なし鶏のマイク”の脱獄に気づいていないなら、まだ望みはある。それこそ、ダストシュートに乗りこんだ自殺者として、通常に処理されているはずだ。やつらがコンパスを確認する必要などない。だが、現在、ダストシュートに落ちたはずの“イヴ”が脱獄した、というのは周知の事実になっている。もし、イヴ同様、マイクの脱獄が白日の下に晒されれば……」
 そこで、哀王はマイクのほうを見遣った。
 マイクは顔を青ざめさせていた。あの明るい表情がごそっと削げるだけで、これだけ別人に見えるものなのかとイヴは思った。
 哀王は続ける。





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