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切り身が泳ぐ海1



 中王区では魚は切り身で泳ぐのはよく知られていることだ。
 大きな戦争が起きて、なぜか言葉が銃を勝るようになるとそれまで敗色濃厚だった日本が形勢逆転して勝利を果たした。ついでに戦争を機に政治の実権を握ったことのは党は霞ヶ関一帯を中王区と名前を変えて、そこをぐるりと壁で囲んで海を拒んだのだ。以降、魚は鱗を削ぎ、身を下ろし、骨を抜き、時には腹わたを抜いて切り身の姿で壁の中へ渡るようになった。
 中王区内官公庁の目と鼻の先、欲と陰謀うずまくアカサカ。政治家御用達の隠れ家フランチレストランの厨房を取り仕切る私は、私に調理にしてもらおうと健気に壁を越えてやってきた真鯛たちの、あまりの状態の悪さにガックリとうなだれていた。
 真鯛もどの魚もとても不味そうなのである。
「これでも頑張ったんですけどね」と言い訳を垂れるのは仕入れを担う副料理長だ。
「どこが。サイズには目をつぶってあげたとしても、見るからに色が悪いし、ハリも無いでしょ。こんなのスーパーに並んでても誰も買わない」
 私は真鯛の切り身が入った袋を副料理長に突き出した。袋の中の真鯛はポワレにするために仕入れたものだが、色移りでもしたかのように黄ばんでいて、火を入れる前から身がポロポロと崩れてしそうなほど脆くなっていた。こんなものが政治家のセンセイたちの会食で出されたら、その場で私は中王区から追放されてしまうだろう。しかし、そんなひどい状態の魚を目の前にしても副料理長は私を小馬鹿にするように鼻で笑っていた。
「先輩。さては、スーパーに行ってないでしょ。だからそんなことが言えるんですよ。
 はっきり言って、ここのところの中王区どころか都内の魚市場は最悪です。スーパーには霜だらけの干物しかありません」
「そんなことあるわけないでしょ。内陸じゃあるまいし」
「それがあるんですよ。あとで『スーパー 魚ない』でネット検索してみてください。フリマアプリで都内のドブ川で釣ったスズキが食用で売買されてるのが見れます」
「見ないよ、そんなの」
 専門知識も資格もない人たちが釣ったスズキをグリルで焼くのを想像して気持ちが悪くなると、副料理長は気が済んだのか「とにかく」と脱線した話を戻した。
「現状では魚の仕入れが難しいとかそういうレベルではなくなってます。提供できるようなものを仕入れるのはほぼ不可能です」
「肉料理オンリーでやってけって?」
「そうするしかなくないですか?」
「私が良くっても、それ決めるのはオーナーだからね」
「オーナーはなんて?」
「この前、アワビで豪華なコースやりたいって言ってたよ」
「無理です」
「それでも、やらなきゃいけないんだろうな」
 雇い主であるオーナーの顔を思い出しながら、私はほとんど諦めるように呟いた。オーナーは私が知る中で一番のわがままを突き通す人間だ。自分が思ったようなコース料理ができないと告げられたならば、私が「やります」と言うまで「アワビ」と連呼しながらテーブルに頭突きをし続けるだろう。あの駄々を目の前でやられたら、こちらの精神はすり減らされてただでさえ短い睡眠時間がもっと短くなってしまう。
 オーナーをただの暴君としか思っていない副料理長は気持ちが沈むのを振り払うように調理台を勢いよく叩いた。
「先輩! こんな無茶振りしかしないオーナーの店なんて捨てて今こそ逃げましょう!逃げて、アタミかそこらで先輩と二人で観光客相手の小さなレストランをやるんです。そして、二人で仲良く暮らすんです!!白い犬を飼いましょう!!!」
「なんで店を辞めてあんたと一緒に暮らさなきゃいけないの」
「だって先輩と二人でお店をやるのが夢なんです。第一印象から決めてました」
「夢は後にして、今の問題に目を向けなさいよ。なんで魚が買えなくなったの?」
 副料理長が差し出す手をシッシッと払うと「ひどい!」とさして傷ついてもないのに傷ついたフリをしてから副料理長はことのあらましを話し始めた。

 ようするに副料理長がこれまで頼っていた卸屋が魚を手に入れることができなくなってしまったのである。
 大戦は政権と同じように魚市場にも大きな変化をもたらしたようで、これまでまとめ役を担っていた漁業組合が解散していなくなると、利権をめぐり様々な派閥ができ昼夜を問わず抗争が起こる無法地帯と化したのだ。そんな中でも副料理長は戦前から続く歴史ある魚卸業社と契約して魚を仕入れていたのだが、先月業社の社長が年齢を理由に勇退。社長の次男がその跡を継いだのだが、次男は商才とコネを受け継げることができなかったようで、魚を仕入れることができなくなったのだ。
 副料理長はその業社と契約を切って、新たな仕入れ先を探すことにしたのだがうまくいかず、売り物にならない黄ばんだスズキしか買えなくなってしまったようだ。

「ツテが無くなったのはわかったけど、同じように魚を扱うレストランだっていくらでもあるでしょ。その人たちはどうしてるの?」
「その人たちもそこから買ってて買えなくなったから頭抱えてますよ。もうツキジもダメですね」
……ツキジ??
 副料理長の言葉になにかひっかかりがある。私は副料理長の目を見た。彼女はそっと逃れるように私から慌てて視線を逸らした。確実に何か、私が知られたら不都合なことがあるのだろう。
「今までツキジで魚を仕入れてたの?」
「そうですけど」
「ツキジは何年か前に取り壊しになってるでしょ。なんでツキジに魚の卸屋がいるのよ」
「……そ、そうでしたっけ」
「いくらニュース見てなくてもそれぐらい把握してるよ。ミサキに移ったか、看板を下ろしたでしょ」
「……」
「どういうこと?」
「あーー言います!許して!今までここらのレストランの仕入れ担当で目利きのお爺ちゃんを雇って魚を代わりに仕入れてもらってたんです。でも、お爺ちゃんがもう体が持たないからって辞めちゃったからミサキに行ってくれる人がいなくて仕入れできなくなったんです。その真鯛はお爺ちゃんからずっと前に買って冷凍庫に入れっぱなしにしてたのを解凍したのです」
「どういう神経してんのよ!」


  
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