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五月病知らず 前



 春雨という言葉がある。家路につこうとしたとき外の空気の中に水の粒が混じっているのを見て私は思い出した。この時期は日の出る時間が長くなっていくにつれて気温の方も上がってくるけど天気は崩れやすくなるから寒かった頃のように一日の最低気温を気にする必要はなくなるけれども天気の移り変わりや降水確率には気を使わなくちゃいけなかったのだ。このとき雨具の類を一切持っていなかった私は開き直って雨に打たれながら歩いて帰宅した。そしてその翌朝発熱して学校を休んだ。
 一日ぶりの学校の朝の空気がいつもとは少し違うどこかよそよそしいもののように感じて柄にもなく緊張して教室に入ると、朝練を終えてきたところらしい真田がこちらにやってきて昨日はどうしたと聞いてきた。珍しいこともあるのだなと片隅で思いながら返事をする。
「風邪ひいたから休んだんだけど」
「今は、体調は?」
「昨日寝たら治った。」
「そうか。」
「うん。」
 私の返事を最後に会話が途切れる。これ以上会話の進展は無いならば自分の席に戻るのが普通だ。なのに真田はもう一度そうかと言って黙ったまま、私が鞄の中から荷物を取り出しているのを見ていた。もう用がないならさっさとどっか行っちゃえ、と私は机の中に適当に折られて入っていた昨日の授業のプリントを角を合わせてきっちりと半分に折り直しながら真田に念じてみるがやっているそばから意味がないことに気がついた。真田は同じクラスというだけで接点が他に何もない人間に用もなく話しかけるほど愛想のいい人じゃない。一枚二枚とプリントを折っていくなかで真田の私への用が一体どんなものなのかについて見当をつけいくけれども昨日学校でなんかあった以外には昨日見たドラマのように陳腐な展開を迎えることにとなるような現実からひどく離れたばかばかしいものしか浮かばない。時間の進みが遅く感じてしまうのを少しでも紛らわすようにすでについているプリントの折り目を爪の先で扱いていると真田はやっと口を開いて「この時期は暖かくなったとは言え、まだ昼と夜ではだいぶ気温の差がある。」と天気の話をした。あそこまで溜めておいて出てきたのは天気の話。同級生どうしの世間話で上るとは思えない話題に驚き、もしかしたら何かおかしなことが起きるんじゃないかという期待を裏切られたことにほんの少し落胆し、真田の言わんとすることの真意がわからないままでいることに不快感が生まれて、それらが私の中で一緒くたになって「はあ」なんて返事になっていない音が生まれて私の口から出て行く。真田は私の反応があまり芳しくないのを見てまた言葉探し出したので、私は真田との間に生まれる沈黙が再び起こるのがいやで慌てて次の言葉を紡いだ。
「あとさ雨も結構降るよね。私昨日休んだのはさ、その前の日に雨降ってたでしょそれなのに傘持ってなくて学校から家まで濡れて帰ったからなんだよ。」
「それで」
「それでって」
 傘を忘れた私ってばほんと馬鹿だね、でオチはついたと思ったのに真田にとってはそうはいかないらしい。さっきの何を言うべきかわからなくて少し困っていたような顔とは打って変わって普段の、気難しい顔をして真田はもう一度訊く。
「それで今は傘持っているのか」
「いや、持ってないけど」
「なぜだ」
「今日雨降るって言ってたっけ?」
 今朝の天気予報で雨が降るとは出ていなかったので傘は持ってきていない。それの何が悪いのかわからないが真田の眉間のしわは一層深くなる。
「雨に降られて風邪をひいたのなら尚更傘を持っているべきだろう。」
「いや、雨降らないって出てたら持たなくない?」
 一瞬、真田の眉間からしわが消えたと思ったらすぐにまた深いものができた。
「普通持つだろう。」
 普通!真田からそんな言葉が出てくるなんて!
 いつのまにか説教じみてきた真田からぽろりとこぼれた真田の "普通" に目を丸くしている私を見て、真田は慌てだした。「すなまい」とか「そんなつもりはなかった。誤解。いや、こちらの言い方に配慮がなかった。」とか弁解の言葉を真田が次々と並べていく。それをよそに私は "普通" の衝撃になんとか耐えて平静を装おうと、ざりざりと音を立ててさらにプリントの折り目を扱いた。紙の繊維が削られてべこべこと折り線が波立つ。
 この普通は、雨に降られないための用心としてのものではあるけれど、私は今日疎かにしてしまっているけれど、きっと真田も私も一緒だ。もしかして真田は親しくはないけれど私と同じ普通なのかもしれない。
 真田は私と同じなのかもしれない。不意に浮かんだ脈絡も何もないひとつの仮説に、目から鱗が落ちたような気持ちで目の前の真田の顔をまじまじと見てみる。今の今までなんとなくでしか真田の顔を見たことがなかったわけなのだけれども、こうして見てみるとなんだかお固そうなことしか考えていなさそうな顔つきではあるが対して怖いとは感じない。ただ真田から私に向けられる視線には哀れみとかやさしさとかじゃない何かが帯びているので、私は首を掴まれたときのようにそわそわしてなんだか落ち着かなくなる。考えてみればこんなでかい人と面と向かって話すのは初めてだ。自分よりもうんと高いところにあるはずの目と合わせるとだいたいこんな感じになるのだろうか。そんなことを考えてるうちに真田はフイと重ねていた視線を外してしまう。同時に首のそわそわしていたものもなくなる。
「……その本当は心配だったんだ。昨日休んだことももちろんだがお前はどうも頑張りすぎている気質があるように思えてな。」
「え」
「何事にも実直に励むというのは大切だ。」なにそれどういうことよ。「けれど根を詰めすぎては後にお前が気持ちの面で参ってしまうことになる。」真田の中で私はド真面目ながんばり屋さんってこと?「だからたまにはきちんと休養をとるなり何か別のことをして気分転換をするなりして気を休めるようなことをしたほうがいい。」どうやってそういう風に思っちゃうわけ?見当違いにもほどがあるわ。
「お前、やはり具合が悪いのか」
 さらに続く真田の言葉に「どうして」とつい大きい声で聞き返す。
「すごい顔してるぞ」
 これで、真田は私と一緒だというのはそれこそ大きな見当違いだとはっきりとわかった。親近感も何もない。真田は真田で、普通じゃない。依然として私が苦手とする人間だ。
「ごめん。やっぱ病み上がりでちょっと無理してるかも、」


  
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