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- ナノ -


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「永遠子ちゃん、朝ごはん食べるでしょ?」
 永遠子ちゃん!!
 シャワーを終えて戻ってくるなり向けられた観音坂さんの柔らかい声に、私は温まったはずの体が一気に冷えていくのを感じた。
 一夜を経てナニかが起きたらしい観音坂さんはほどけるよう笑みをこちらに向けると部屋の真ん中を指差した。テレビの前に置いてあるテーブルには白いビニール袋が置いてあった。
「コンビニでパン買ってきたから、好きなの選んで食べていいよ。あと、かりた鍵もそこに。コーヒーも淹れてるから待っててね」
 なにがコンビニでパンを買ってきたよーかりた鍵はそこーコーヒーも淹れてるよー、だ。
 人の気も知らないで、観音坂さんは決して広くはないキッチンを占領していた。ただコーヒーを淹れるだけなのに、棚にしまっていた来客用のマグカップを取り出すためにシンクの淵には食器がいくつも出しっぱなしになっていた。誰が片付けるは前になると思っているんだ。
 この人さえいなければ。というか、電車はもうとっくに動いているのだ。今にも叫んでしまいそうなくらい後悔で胸がいっぱいの私のために観音坂さんにはさっさとご退場願いたい。
「あの、もう」
 帰れ。と言おうとしたところで、無断で冷蔵庫が開けられた。補給が済んでいないそこは観音坂さんの背中越しに見ても、ろくにものがないっていないのがわかった。観音坂さんは牛乳パックを手にとって、それを揺らした。パックの底で少ない牛乳が波立つ音を立てた。
「永遠子ちゃん、コーヒーに牛乳入れる……っていってもほとんど空だね。あとで、買いに行こう」
 観音坂さんに有無をいわさず、テーブルに着かされてごくわずかに牛乳が入ったせいで薄く色が変わっただけのコーヒーが入った来客用の使いにくいカップを手渡された私は、観音坂さんが買ってきたというパンの数々を見て閉口した。
 ハニードーナツに、ちぎれるほど柔らかいパンでチョコレートホイップを挟んだ菓子パン、チョコレートがけのクロワッサン、シュガーバタートースト。昨日、さんざん飲んで食べて、それをまだ消化しきれていない重たい胃袋ではとても食べられそうにないラインナップだ。
「観音坂さんはどれを食べるんですか?」
 テレビのチャンネルを変えながら観音坂さんは首を振った。
「俺は、いいよ。朝、ほとんど食べないし」
 それなら買ってくるな。
 私は口に出そうになった文句をコーヒーで流し込んだ。観音坂製のコーヒーはやたらと薄く紅茶のように澄んだ味をわずかに入った牛乳で強調された一杯で、なにからなにまで文句を言いたくてたまらない私を黙らせるには十分なまずさだった。
「あの、テレビ点けてるのに見ないんですか?あの、そうやって見られてると食べづらいんですけど」
 仕方なくハニードーナツに手をつけていたが、それを見逃すまいと観音坂さんはジイと見つめてきた。耐えかねて訊くと、観音坂さんは蜜を溶かしたようなしまりのない笑みを浮かべたまま喉をならした。
「ごめんね。つい、
 永遠子ちゃんとこうなれたのがなんか、うれしくて」
 地雷を踏んだ。言わなきゃよかった。
 これ以上何かを言って、墓穴を掘りたくない。私は甘ったるい空気から逃れるようにハニードーナツを食べすすめた。甘すぎてなかなか飲み込めないでいると観音坂さんの手が伸びてきて、まだ少し湿っている髪を耳にかけられた。熱く乾いた指先が耳の縁をなぞるとき、私の胸の中もぞろりと撫でられたような感覚がして私の背中は猫が伸びをするようにしなった。身をよじる私に観音坂さんはまた笑みを深めた。


  
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