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 観音坂さんについていく形でシンジュク駅を越えると広がる街並みはガラリと変える。テレビであれだけ嘆かれている人口減少なんて嘘みたいに人はあふれるばかりに歩道を埋めて肩がぶつけないように時折体を捩らせながら歩き、車道ではイワシのように群れと成している音楽の最新ナンバーのプロモーションと水商売の派遣会社のアドトラックがまるでひとつの大きな生き物であるかのように多重奏を鳴らしながら道路を回遊していた。
 やかましいうえに歩くのにさえ苦労するようなので観音坂さんとは世間話どころかこれから向かう店についてなにも聞くこともできないまま雑踏の中をただ黙々と歩くこととなった。
 観音坂さんの足取りは淀みなく私はただ隣を歩いていけばよかったのだが、周りはアドトラックの群れから離れても喧騒が落ち着くことはなかった。目に付くたくさん看板から私が知っている店やブランドのものが消えて、かわりにピンク色や紫色の看板が目につき始めていた。一際大きい看板の字を読むと歌舞伎町一の誠実さを主張しようと明朗会計の四字が書かれていた。そのすぐ隣に置かれている看板にはほとんど似たような男の写真がタイル状に貼られていた。それに通りを歩く人は減っても、道の脇どころか真ん中に堂々と立って呼び込みをする客引きの数は網でさらっていけるほど増えていた。そのうちの一人のスーツ姿の男が観音坂さんにそっと近づいて手に持っていたクリップボードをペンライトで照らしながら見せた。ボードにはデコルテどころか胸の谷間をさらしている女の人のバストアップの写真があった。女の子いかかですか?と話しかけてきたスーツ姿の男は観音坂さんの横にいる私に気がつくと、なにもなかったように観音坂さんの横から離れ、別の人に話しかけていった。
 私は知らないうちに日本一の歓楽街、歌舞伎町に連れてこられていたらしい。
 シンジュクで働いているとはいえ、ほとんど初めて足を踏み入れた。それくらい私には縁遠い場所だ。
 今日は花の金曜日なだけに賑わっているが、ドラマのような華やかさとはとうてい離れていた。ギラギラと眩しいのは見上げることではじめて見える看板と前時代的なネオンぐらいで歩いているだけでは隣を歩く人の顔さえよくわからないくらい暗く、足元を見ればそこかしこにゴミが落ちていた。耳に入る音は何も知らないでノコノコとやってきた私を馬鹿にするような嘲笑がまぎれているようだった。歩いていると時折、ラーメンの油や香水の匂いが漂ってきてなんともいえない不快感に襲われる。
 こんな場所においしいものが食べられるような店があるのだろうか。もしかして騙されているのではないか。
 不安が胸をよぎったが、隣を歩く観音坂さんはほとんどお上りさんになってしまっている私を気にする素振りはしても何も言ってくれない。私は彼を目印にただついていくことしかできなかった。
 怪しい街を歩いてたどり着いたのは外の喧騒を見事にシャットダウンした、落ち着いたお店だった。そもそも外に看板さえ出しておらず、店に入ってスーツを着たウェイターに出迎えられるまでそこが店だということすらわからなかった。観音坂さんはお肉を食べられる店を選んでくれたらしいが、入口に入った時は肉どころか食べ物の匂いすら漂ってこなかった。
 上着を預けて、中へと通されるとホテルのラウンジと間違えるような豪華な内装。奥では演奏家が静かにピアノジャズを奏でていた。席を埋めている客まではさすがに揃えられていないが、一目でホステスやホストとわかる美しく着飾った人達が自分の客と思しき人と料理にありついていた。
 ひと目でわかる。ここは相当に高い。ジャケットを羽織っているだけで辛うじてオフィスカジュアルの体を保っている今の私の服装がこの店のドレスコードを反し店を追い出されていないのが不思議なくらいだ。こんな店、ただの後輩を連れていくのに予約するものなのか。明らかに度が過ぎていた。叶うことなら、今からでも同じ建物にあった激安のチーズダッカルビの店に変更していただきたいくらいだ。
「泉さん、座らないの」
 場違いの空気に飲まれて気が遠くなりそうになっていると観音坂さんは心配そうに声をかけてきた。
 さも当たり前のように座っているが、こういう店に連れてくるなら連れていくとはじめから言うべきなのだ。私は文句を言わない代わりに観音坂さんを睨んでからウェイターが引いてくれた椅子に腰掛けた。
「こんなところにお店があるなんてよくご存知でしたね。来たことがあるんですか?」
 私は歩いてきた道を思い出しながら、ナフキンを彫りに差し込むか悩んでいる観音坂さんに尋ねた。
 店はどこで曲がったかわからない小さな路地に入ったところにあったし、看板さえ出していなかった。ただ連れてこられただけの私が後日もう一度訪れることなんてとてもできそうになかった。
 観音坂さんはナフキンを襟につけることをやめて、あとがつくように握りしめてテーブルの下に隠してしまった。
「友人がたまに行ってる店で、俺はそいつに連れられて一度だけ行っただけで」
「へえ、知る人ぞ知るって感じのお店なのに。そのお友達はグルメだったりするんですか」
「料理はよくするけど。ここはどうせ仕事で役に連れていってもらったとかそんなだと思う」
 妙に含んだ言い方だが、観音坂さんにとってどんな人なのだろう。
「その人ってお仕事は何されてるんですか」
 訊かれた観音坂さんは苦々しい顔をして、たっぷりと時間をおいてからぼそりと口を開いた。
「接客業」
 範囲が広すぎる。
「そう言えば、ここメニューってないんですね」
 友人のことにどうやら触れてほしくないらしい観音坂さんのために話題を変えると、観音坂さんは急に顔色をよくして答えてくれた。
「コース予約してたから」
 またも値段が読めない注文の仕方に目眩を覚えていると、ウェイターがグラスにスパークリングワインを注いできた。これも観音坂さんが手配していたのだろうか。
「泉さん、お酒は平気でしたよね」
 酒に酔うか酔わないかなんて同席してる人次第だ。観音坂相手に酒を飲んで酔うなんて全く想像がつかない。
「まあ、そこそこ好きな方です」
 当たり障りのないことを言うと観音坂さんはグラスをそっとこちらに掲げてきた。遅れて私もグラスを出す。
 お疲れ様。観音坂さんはきっと何にでもなく乾杯を。私は胸の内で自分の転職成功を祝しながら、食前酒を口につけた。
 白ぶどうの柔らかな酸味と一緒に炭酸の泡が喉を撫でた。これが素晴らしい企業への転職を華麗に決めてしまった私のここひと月の苦労と仕事のストレスに染みる染みる。私としたことが、一口だけのつもりがあまりの美味しさにグラスを空にしていた。
「観音坂さん、これ美味しいですね。というか、あのお酒って美味しかったんですね。久しぶりですよ、こんなに美味しいお酒」
 一息で空になったグラスにホウ、と息を吐くと「もう飲んだんですか」と観音坂さんはすぐにウェイターを呼んでくれた。
「気に入ってくれたならよかったです。ここは飯も美味いから」
 そう言いながら、新たに注がれていくワインを眺める観音坂さんの瞳が水面が陽を受けたように静かに揺れた。


  
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