×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -


11



 約束の金曜日。翌日に続く二連休のことを思うと、淀んだ空気の中のオフィスも少しだけソワソワと浮ついた空気が、今晩飲みにいこうとしているおじさんたちによって、流れていた。
 私は溜まりに溜まっていた仕事がようやっと消化できる目処がたった私は残業もそこそこにオフィスを出て、別のフロアの化粧室で日中で剥がれ落ちそうになっている化粧を濡れ直していた。
 約束の時間までまだ余裕がある分、いつも飲みに行く時よりは化粧直しをする時間ができてしまっていた。日中働いている間に寄れたり取れたりしてマダラもようになっていた肌は綺麗に整えられて、ほとんど落ちてしまったアイメイクは陰影もしっかりつけた上でつけたばかりのグリッターがやわらかく輝き、二度塗りサンド塗りしたマスカラはここ一週間で一番うまくいっていると断言できるほど、左右どちらもダマを作ることなく睫毛一本一本がほうき星の軌道のように長くきれいな弧を描いていた。
 手間をかけた分だけ、妙に完成度の高い顔ができあがっていたが、鏡に映る表情は金曜日の夜の開放感に浮かれるものとは程遠いものだった。
 実のところ、観音坂さんとご飯を食べる気にさっぱりなれなかった。
 友人の策のおかげで、お肉をご馳走してもらえることになったもののやはり、乗り気にはなれなかった。友人が悪い笑みを浮かべていたように損得だけで私の気分が良くなったり反対に悪くなったりするようにはできていなかった。
 もしかしたらトラブルが起きて、今日の食事が流れたりしないだろうか。
 私はスマートフォンを取り出して観音坂さんから連絡が来ていないか確認をしたが、スマートフォンに届いている通知は通販サイトからのダイレクトメールのみだった。
 そう思い通りにいくわけが無い。奢ってもらう手前、待たせるわけにもいかない。待ち合わせにしては少し早すぎるくらいだが待ち合わせに向かおう。化粧品を片付けていたその時だった。
 上着のポケットに押し込んだスマートフォンが震えた。慌てて画面を見ると、着信今日連絡先を交換したばかりの相手からではなく、私は少し悩んでからスマートフォンを耳に当てた。もしもしの鼻にかかった声が、複数いる転職エージェントの中でも長電話が大好きな私があまり得意ではない人だとわかって、鏡に映る私の顔は貧乏くじを引いてしまったと渋くしていた。
「いつもお世話になっております」
「お世話になっております。すいません、これから予定が入っておりまして次の面接の話なら申し訳ないのですが、できればメールだと」
 電話に出るどころじゃないと遠回しに言うが、エージェントは聞き流すようにハイハイとせっかちな相槌をいれて私が話しおえると待ちかねていたように早口で話し始めた。
「本日はそちらではなくて、ですね。前回受けていただきました面接の結果をお伝えしようとお電話させていただいたんです」
 どこの面接だったか。と思い出す間も無く、キンと障る声が耳に届いた。
「合格です。ぜひ、泉さんと働きたいと」
 会社の採用担当者の名前を聞いた瞬間、腰から頭のてっぺんにかけてさざなみのような痺れが走り沸き立つように肌が粟立った。
 採用されたのは名前を聞いただけで登れるわけのない高い山を眺めているような気持ちになる、面接を受けていてももしかしたらの奇跡さえ考えられなかった企業だ。私の間違えじゃないか。とても信じられなくて画面にファンデーションが付いてしまうのもかまわずぴったりとスマートフォンを耳に押し当てててその間にも企業の名前がぐるぐると頭を駆け巡り、エージェントが話していることはするするとすり抜けていった。
 電話が終わった頃には、自分がなした偉業ことに頭より遅れて気がついた体はジワリと熱を上げて肩を細かな針で指すように刺激してここのところのハードワークですっかり凝り固まっていた肩こりの痛みと混ざりあってモヤモヤとした感覚を生み出していた。
 まさか私が受かっちゃうなんて。
 再来月に入ることになるその会社の名前を声に出してもそんな実感はちっとも浮かばず、身体の火照りが指先にまで伝わってじんわりとした痺れを引き起こすだけだった。
 ベッドの上を歩いてるかのような浮ついた足取りで待ち合わせ場所に向かうと既に観音坂さんが待っていた。手に提げているカバンはあの四次元空間に繋がる大きいものではなく別の薄いビジネスバッグだった。どうやら、仕事と通勤でカバンを使い分けているらしい。それでも通勤用の鞄にも限界までものが詰め込まれており、そのうち壊れるのが目に見えていた。会社でも仕事をして、家でも仕事を持ち帰って仕事をしているなんてこの人はそれ以外することがないのだろうか。
「………携帯に連絡を入れても既読すらつかないのでもう来ないかと思いました」
 観音坂さんは手に持っていたスマートフォンを上着のポケットに入れながら、安堵の顔を浮かべた。自分のスマートフォンを見てみると、観音坂さんからの連絡を知らせる通知が画面を埋めていた。
「すみません。鞄に入れっぱなしで気がつきませんでした。
 でも、ひどいですよー。せっかくの約束を破ったりなんてしませんよ」
 なにせタダ飯だ。それについさきほど内定をいただいたので個人的にはそのお祝いの意味がプラスされた。こんな機会を逃すわけがない。観音坂さんの後ろ向きな言葉を笑って否定すると、観音坂さんはそれを否定しなかった。そのかわりに私の顔を食い入るように見つめてきた。
「どうかしましたか?」
「いや、その言っていいのか………」口先はやたらに慎重だった。そこまで口にしておいてだんまりとは気分が悪くなると、観音坂さんも気がついたのだろう口をわずかに開いた。
「なんかあったのかなって、」
「はい?」
「会社では見たこともないくらい嬉しそうな顔をしているので、なにかいいことでもあったのかと」
 思っただけです。観音坂さんは最後消え入りそうな声で答えた。ピタリと言い当ててきた観音坂さんにギクリと私の体が一瞬固まってしまった。私は自分で思っていた表情に出ているらしい。雲の上にあるような会社で働くなったなんて重大なことを離れたところで暮らす家族や仲のいい友人たちどころか誰にも告げていないのだ。まず一番に観音坂さんに話すわけがない。私は誤魔化すために大げさに肩を揺らして笑ってみせた。
「別になにもありませんよ。というか、これからおいしいもの食べられるんでそれでですよ。
 おいしいもの食べられるんですよね?」
 嘘っぱちの笑顔につられた観音坂さんは歯をこぼした。
「ええ。俺の友人に聞いた店なんですけど、結構評判はいいって。それじゃあ、行きましょうか。駅の反対側にあるのでちょっと歩きますけど」
 私と観音坂さんは社屋をならんで出た。
 空は黒に色を落として、月も星の代わりに立ち並ぶビルが青白い光をそっと道を照らしていた。


  
INDEX