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 パンプスのつま先に向かってため息を漏らすと自然と言葉がついて出た。
「疲れた」
 一言愚痴が漏れるともう抑えられなかった。
「頑張るとか無理。お風呂入って、ご飯食べて。ゆっくり寝たい」
 それはここ最近ろくにできていなかったことだった。そして、口にしてはいけない悪魔の言葉だった。声に出した瞬間、それまで頭の中のほとんどをしめていた仕事や転職、やらなくちゃいけないたくさんのことはすべて「後でやる」と脇へ追いやられてしまった。そして、この時を待ちかねていたように疲れが私に襲いかかってきた。
 頭の中は石を詰め込んだように重たくなって、目の奥のきっとピントを調整する役目をしているような部分はキュウと絞られたように痛み出した。日に日にひどくなっている肩こりは首どころか背中にまで範囲を広げていてうずくまろうと背中を丸めたらギシギシときしんでいるのが自分でもわかる。お腹は空腹も相まって力がちっともはいらないし、足は根が張ったように動かなくなっていた。
 やるべきことを最優先して、自分の体の悲痛な叫びを無視してきたが、体が黄色信号に気がついてしまったようだ。しまったなと私は一瞬思ったけど、もうどうにも手段がないことを私はすぐに悟ってしまった。
 社会人になってからというもの。身体的精神的ともに自己管理を強く求められてきたのだ。今の私がどういうコンディションになっているのかもよくわかっていた。
 会社の人気の少ないところでしゃがみこんで愚痴を吐いてしまったら、もうその日の私の身体も頭も使い物にならない。無理やりデスクに戻って仕事をしようとしたところで、なにもできないのだ。メールの誤字脱字はもちろんのこと、表計算ソフトを使って資料を作ろうとすれば列一つずらして内容がぐちゃぐちゃになってしまうし、客先に提出する書類の上ではティラノサウルスが暴れまわるように仕向けるぐらいのミスをしてしまうのだ。
 こうなってしまうとできることはただ一つ。明日の私に全てを託すことだけだ。
 つかれたもうねむい。
 思考のほとんどがそれで埋まってしまっている頭を私は必死に働かせた「つかれたもうねむい」から抜け出すためにも、まず今すぐ家に帰ってもいい状況を思いつかなきゃいけないのだ。
 今日中にやっておくようにと言われていた仕事は課長の口ぶりからして明日の朝礼までいや十時までに終わらせることができれば支障はないだろう。他の仕事だって、ひとこと謝ればまだ期限を伸ばせる。他の仕事もなにも今日絶対にやらなきゃいけないわけじゃない。少し考えれば残業をする必要はないことになったじゃないか。急ぎの仕事は明日の朝よく働く頭でやればいい。あと私がすることは早く帰って、お風呂に浸かって、帰りの途中で買ったお弁当屋さんの好きなお惣菜をおかずに晩御飯を食べたら。布団に潜って六時間ぐらい寝ちゃえばいい。やらなきゃいけないあれやこれも後回しにすればもっとたくさん寝れる。
 そうやって、私が自分を全力で甘やかすための算段を一通りつけると身体はようやく動き出す気になってくれたようで、あれだけ動きそうになかった足が自由を取り戻していた。やれやれ自己管理も楽じゃない。
 私は自分を励ますことをなんとか終えて、立ち上がろうと視線をパンプスの先から上へと向けた瞬間、今度は驚いて、尻もちをついてしまいそうになった。不気味にも自動販売機の影から観音坂さんがこちらの様子をじっと伺っていたのだ。


  
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