08. 棒ほど願って針ほど叶う



『山の麓に鬼が出た』


自分の担当警備地区内に鬼が出たと情報が入ってきたのは、朝日が登る少し前の事だった。柱になってまだ間もない頃、毎夜毎夜現れる鬼に以前にも増して俺の怒りは留まる事を知らずにいた。鞘に刃を収めて、踵を返し一人その情報源の元へと急ぐ。部下でもある隊士達に的確な指示を出して、辿り着いたその場所は薄暗く、何処か殺伐とした雰囲気が漂う田舎町だった。

「………やけに静かだな」

鬼が出た割には不自然に周囲は静かだった。砂利道に憚る雑草を押し退けて前へ前へと進む。やがてある古い民家が見えてきた。同じ東京府だというのに、市街地とは比べ物にならない、灯りの少ない光景に、自分の本能が注意を怠るなと警告をする。目を細めてその古い民家をじっと見据えていると、ある一つの影が見えた。

「………人?」

夜空に浮かんでいる月の光が、ある一人の少女を照らしていた。所々破れているボロボロの着物を身につけて、彼女のボサボサの髪の毛と身体中の至る所からポタポタと零れ落ちている血が、鬼との死闘を繰り広げたのだと物語っている。肝心の鬼は何処だと目を凝らして前を見据えてみると、頸を引き裂かれた鬼が地面に横たわっていた。

「てめェエエエ!一体どういうつもりだァァア!」

彼女がどうやって鬼の頸を引き裂いたのかは不明だが、勿論それは日輪刀で切り落とした訳ではないので鬼は絶命していなかった。ジタバタと見苦しくも左右に頭を捩らせている鬼に、少女は無言のまま感情のない目で鬼を睨んでいた。

「………ねば良い」

「あァっ!?」

「死ねば良い!お前のような化け物はボロボロに引き裂かれて地面に這いつくばり、そうして塵となって消えろ!!」

そこまで泣き叫んだ所で、少女は右足を振り下ろして離れた場所に転がっている鬼の背中に踵を落とした。ダン!ダン!と何度も何度も鬼の身体を踏み潰す彼女の頬には一筋の涙が流れていた。大粒の涙を溢して歯を食いしばり、憎しみを込めて鬼を踏みつけている少女の表情に俺の胸は酷く痛んだ。

「調子にのるなよ小娘がァァア!」

「!!」

助けに入ろうと足を一歩踏み出した所で、朝日が登り、油断をしていたであろう鬼は塵となって消えた。それは本当に、先程の彼女の発言通りに世界が動かされたのだと錯覚してしまう程自然な流れに思えた。

「……っ、お、ばあちゃん…、」

尻もちをついていた体制を整え、とある場所へと彼女は移動していく。ゆっくりと、ゆっくりと、朧げな表情で見つめる彼女の視線の先には、恐らく今日まで共に過ごしてきたであろう彼女の祖母の亡骸が横たわっていた。俺はこれまで、鬼殺隊として大勢の人達が鬼に家族を殺される場面を目撃してきたが、何度その場面に遭遇しようとも心の底から沸き上がってくる悲しみや怒りに慣れる事はない。いや寧ろ、そんな境遇に出会す度に、罪のない人々が鬼に大切な家族を殺されない為にも、より一層己の責務を果たすべきなのだと身が引き締まる思いでいっぱいになる。

「……うっ、お、ばあちゃっ…、」

「立てるか」

「……っ、…へっ、?」

胸が痛い程締め付けられていた自分を誤魔化すかのように、祖母の元まで辿り着いた少女の腕を引いて、地面に片膝をついたまま声を掛けた。居ても立っても居られなくなって登場した俺の存在は、彼女からしてみれば理解不能といった所だろう。

「……あ、あなたは…だれ、ですかっ…?」

「あぁ、すまない。自己紹介が遅れてしまった。俺は煉獄杏寿郎だ!」

「れ、れんごく…さん…、」

「あぁ、そうだ!」

「……………」

少し戸惑い気味に俺の名を口にした彼女を安心させる為にも、笑顔を向けて少しだけ気を緩めた。そのままある一点をぼんやりと見つめて何度か瞬きを繰り返している彼女の手を握り「立てるか?」と再び同じ言葉を繰り返す。歳は幾つくらいだろうか。そんな事を脳裏で考えながらも少女からの返事を待った。暫くして彼女はコクリと顔を上下に振って頷いてくれて、安堵した俺は彼女の頭を暫くの間優しく撫で続けた。

「………ありがとうございます」

「?」

それから暫くして、彼女のご祖母様を埋葬して2人で小さなお墓の前で祈りを捧げていた。ふと隣から聞こえてきたか細い声に気付いて視線をそちらに向けると、眉を下げて困ったように笑う少女と目が合う。

「俺は…君に礼を言われる程の事は何もしていない」

「そんな事ないです。しましたよ」

「いや、していないな!」

「したの!」

「む、急に頑固だな!」

「煉獄さんもね!」

少し間が空いて、妙な空気が流れた所で初めて2人して笑い合った。目尻を下げて、無邪気に笑う彼女の笑顔は飾らなくて素直に可愛いと思った。口元に手を当てて嬉しそうに笑っている彼女の柔らかい頬に手を添える。そうして真っ直ぐと視線を向けて、俺は一言、冒頭から気になって仕方が無かった問いをようやく口にする事にした。

「君の名は?」

「………ナマエ。ミョウジナマエです」

「そうか、ナマエ」

「はい、何ですか。煉獄さん」

「これからどうするつもりだ?」

「………………え?」

朝の清涼な風が2人の間を通り抜けるかのようにふわりと吹いた。俺と彼女の髪が邪魔にならない程度に風に揺れる。近くでは小鳥の囀りも聴こえていて、穏やかな時間だなと、少し場違いな事を頭の片隅で考えていた。

「ど、どうするつもりだと言われても…わ、かりません…」

「そうか。因みにこれから俺が君に伝える事は、あくまでも君さえ良ければという話なのだが…」

「?…は、はいっ…!」

俺がやけに間を置いたからなのか、ゴクリ、と彼女の緊張からくる喉を鳴らす音が聞こえた。

「ナマエ、俺の元に来ないか?」

この時、俺が何故この提案を口にしたのかは未だに疑問だ。ただ気付けば息を吐くのと同じくらい自然と口にしていた。彼女を放って置けなかった、と言えば聞こえは良いかもしれない。だが俺は善人ではなく、あくまでも一人の剣士だ。俺に出来る事は限られていて、今後少しでも彼女に強くあって欲しいと願う余りに、咄嗟に口にしたのかもしれない。最早ただのエゴの押し付けに近いとも言える。

「……い、良いんですか。こんな…何の取り柄もない私が…あなたの側に居ても」

「うむ、良いに決まっている!それに、自分の事をそんな風に蔑むのは余り良くないな!」

「!」

「ナマエ。君には君の良さがあり、他の誰にも邪魔出来ない、芯の強さがある女性だ」

「……………」

「仮に、俺の元から巣立つ時がいずれ来るとしよう!その時、君は今の自分より強くありたいと思わないか?」

「……………」

「明日の自分を超えていける、そんな力が自分には必要だとは思わないだろうか?」

俺は、そんな君の力になりたいと願う。そこまで口にして、再び彼女の頬にそっと触れた。瞬き一つせず、交差する互いの視線の先に、不思議と彼女の力強い未来が見えた気がした。

「思います。私はもう、誰も自分の大切な人を失いたくはありません」

「……………」

「どうか、私をあなたの元に連れて行って下さい」

「……………」

頬に添えた俺の手に重なるように、ギュっと自分の手を添えて、彼女は意志の強い眼差しで俺を捉えた。死に場所は自分で決める。これが私だ。そうとでも言いたそうな表情で、彼女は地面に跪き、真正面から俺にゆっくりと頭を下げた。思えば、彼女は既にこの時から他の者とは違う自分だけの誓いを立てていたのかもしれない。覚悟を決めた人間とは、他の何にも形容し難い強さを内に秘めているものだからだ。

「うむ、共に行こう!俺の継子になると良い!」

「つ、つぐこ…?って、何ですか…!」

これが、俺とナマエが一番最初に出逢った日のやりとりだった。この時、幼子のように目を丸くして横に首を傾げていたナマエがとても可愛らしかった事を俺は未だによく覚えている。それから暫くして、ナマエはメキメキと剣士としての才覚を発揮して今ではれっきとした鬼殺隊だ。継子になったばかりの当時の彼女は少し内向的な面もあり、暫くの間は人見知りな所もあったようだが、一度心を許してしまえば周囲の人間さえも巻き込む明るさを持っていた。

「師範…!これ見て下さい!」

正式に俺の継子になってから、ナマエは俺の呼び名を煉獄さんから師範と呼ぶようになった。これまで何度も俺の元から去っていた歴代の継子達とは違い、どれだけ厳しい鍛錬量だとしても、ナマエは決して逃げ出す事はしなかった。甘露寺以来の根気強さだと言って良い。

「師範、やらかしました」

だからこそ、たまに無茶をしすぎな面があり居ても立っても居られない時がある。強さを求めすぎる余りに、一番大事な自分を犠牲にしすぎてしまう所が多々目立つからだ。

「君は…どうして自分の事を大切にしない。鬼殺隊である前に一人の女性だろう。くれぐれも無理だけは禁物だと、」

「師範に似たんですよ」

以前、鍛錬のしすぎでナマエが肩を負傷した際に手当てをした事がある。その時、彼女はわざわざ俺の話を遮り、ふっと眉を下げて力なく笑った。いつの間にこんなに大人びた表情をするようになっていたのだろうか。太陽に反射した、キラキラと光る池の水面に照らされた彼女の端正な顔立ちに、思わずゴクリと唾を飲み込んだ。

「無理をしがちな所、師範と私…本当そっくりですよね!」

「……………」

白い歯を出して、悪気のない顔で笑うナマエに良い意味で肩の力が抜けたような気がした。「お揃いですね!」と、よく分からない言葉を残して明るく笑うナマエにつられ、俺も声を大にして笑った。それから共に時間を共有していく内に、自分の気持ちにある日ふと気が付いた。けれど俺のこの気持ちを彼女に伝える事は、恐らく今後もないだろう。

「ナマエ、帰還ー!目的ノ鬼ィ滅殺タッセイー!」

バタバタと黒い羽を散らして、毎度の事ながら彼女の鎹鴉が俺に情報を伝えてくる。俺は俺で彼女とは違う任務に出ていたので、この時ナマエと再会するのはかなり久しぶりだった。

「ナマエ…!」

想いだけが先走り、勢い余って襖を開いたと同時に視界に飛び込んできたのは、疲労に負けてぐったりと布団に倒れこんだまま眠っているナマエの姿だった。スゥスゥと寝息を立てて眠っている彼女の寝顔に肩の力が抜け落ちる。そのまま彼女の肩と腰に下から腕を滑らせて、自身の腕の中で横抱きにしたままじっと上から寝顔を見つめた。

「…………」

頬に少し、擦り傷がある。ここ最近の彼女にしては珍しく、また軽傷とはいえ、師範として、男として、何とも説明し難い複雑な感情が渦を巻いた。親指でそっとその傷に触れ、彼女との顔の距離を近付ける。ナマエの息遣いが鮮明に聞こえきて、己の理性がガラガラと崩れ落ちそうになる音が遠くで聞こえたような気がした。

「ナマエ、」

一度彼女の名前を口にして、頭をくしゃりと撫でる。そのまま自分の元に引き寄せ、彼女の唇に自分の唇を押し当てた。チュっと、わざと水分を残すように最後に水音を立てて、伏せていた瞼を開き頬の傷を優しく撫でる。そこで矛盾している自分の行動にはっとして、苦笑いを溢した。想いを伝える気はないくせに、理性に負けてそれ相応の行動に移すとは何という体たらくだろうか。

「んっ…、」

不甲斐ない自分に溜息を吐いていると、目が覚めたであろうナマエの眉が微かに動いた。一旦自分の腕から彼女の身体を離して、布団の上にそっと仰向けの状態で寝転ばせた。そのまま頭を一度撫で、ゆっくりと瞼を開いたナマエとようやく視線が交わる。可愛い。そんな奥底から湧き出て来る感情が俺の思考を過ぎらせては、自然と彼女に対して笑みが溢れた。

「し、師範…!?戻ってたんですか…!」

「あぁ、今帰ってきた。おはよう、ナマエ。気持ちよさそうに寝ていたな」

「見たんですか!寝顔!」

「うむ、見た!赤子のようでとても愛らしかった!」

「さ、最悪だ…!」

恐らく、俺は生涯彼女に自分の想いを伝える事はないだろう。明日が保障されているならまだしも、己の命の灯火もいつ消えてしまうかも分からない。そんな世界の端くれで自分の邪な想いを彼女に伝えて困らせてしまうのだけは避けたいからだ。

『私はもう、誰も自分の大切な人を失いたくはありません』

もしも俺に出来る事があるとするならば、それはきっと、君の師範という立場からして最期の最期まで生き延びる事だろう。


『師範!』


願わくば、ナマエ。君と共に。



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -