04.敗者と勝者



鬼。それは忌々しく、罪なき人々の命を貪り喰らう妖怪。己の私利私欲を満たす為に人を喰らい、人々を恐怖のどん底へと突き落とす。奴等を討伐するには鬼を滅殺する為だけに作られた特別な日輪刀か、或いは頭上に浮かぶ陽光でしか鬼の命を根絶やしにする事は出来ない。

幼い頃、祖母が膝の上で読み聞かせてくれた絵本の中のデフォルメされた鬼は何処か憎めず、頭の上に二つ角を生やした可愛い生き物だなぁ…と呑気に考えていたあの頃の自分を戒めてやりたい。人々が恐怖に塗れた夜の片隅で、目の前に存在する標的を刺し殺すような鋭い目つきで睨みつける。

「おやおや…こんな時間にこのヨボヨボな老婆に鬼狩り様が揃いも揃って何の御用で?」

キィ…と古びた音を立てて開いた木造建の玄関の戸が開く。夜の闇に溶け込んだ老婆が、灯りの少ない室内の奥から草履を地面に擦らせて此方に近付いてくるのを目を細めて見つめていた。一歩一歩、ゆっくりと目の前に姿を現した老婆の顔は月に照らされた瞬間ハッキリと捉える事が出来て、その容姿はとても醜く何処か小汚いとさえ感じた。解き放たれているその雰囲気も殺伐としていて、初めて目にした鬼の存在に心臓が冷えた。

「赤子を狙う鬼とはお前の事だな」

想像していたよりも遥かに鬼に恐怖を感じている私の隣から、私を庇うように前に一歩身を乗り出した煉獄さんの背に身体を隠されて、ゴクリと唾を飲み込む。腰に下げている日輪刀に手を掛けて、前のめりに体制を整えた煉獄さんが至極冷静にそう鬼に答えを求めた。

「そうだ、…と認めたらどうするつもりだい?見た所あんたの後ろにいる娘はやけに初々しいと感じるが…まだ鬼狩りになってそう日は経ってないんじゃないかい?」

「……………」

「哀れだねぇ。初陣早々、この私に殺されてしまうだなんて…」

「口を慎め。この娘は決して弱くない。俺の自慢の継子だ」

「し、師範…」

そうハッキリと、否定の言葉を口にした煉獄さんに視線を上げて弱々しく呟く。すると、前からすっと伸びてきた煉獄さんの手に右手を奪われて強く握られた。「大丈夫だ、俺が守る」そうとでも読み取れる程の頼もしい存在に心が揺れ動くのを肌で感じ取っていた。

「あなたは何故、赤子ばかりを狙うの?」

次第に恐怖も薄れて、次に訪れた感情はただただこの目の前に存在する鬼が憎いという思いしかなかった。まるで煉獄さんに守られるのを拒むように、ずいっと前に一歩足を踏み出して老婆との距離を詰める。そんな私の行動が予想外だったのか、背後から「ナマエ、」と焦りを含んだ声で煉獄さんが私の肩を掴んだ。

「ふっ…お嬢ちゃん、面白い質問をするねぇ」

「……………」

私の質問を馬鹿にするように、鬼は鼻で笑った。そのままカリカリとやけに伸びた長い爪先で自分の頬を掻く。夜の闇に溶け込んだ、老婆の栄養が行き届いていない長い黒髪が夜風に揺れていた。

「赤子を連れ去られた母親は、必ず絶望を味わうだろう?この世にはねぇ、愛する我が子を腕に抱けやしない憐れな者もいるんだよ…!」

「!」

そう怒りを放出させて、鬼は左右に大きく腕を広げた。そのまま虚ろな目線で天を仰ぎ、最後にパン!と両手を前に強く叩く。「若いお前達には分かりゃしないだろう」そう言葉を吐き捨てて、次の瞬間ニタリと不気味な表情で笑みを溢した鬼は何かを小声で呟いていた。

「ナマエ!一旦その場から離れろ!」

「えっ、…!」

判断が遅れた私の全方位から、ボコボコと大量の竹が地面から生えてきて中心核から裂けた割れ目から籠のように形成されては急速に編まれていく。間一髪といった所で煉獄さんに助けられて一旦鬼との距離が遠ざかった。はぁ、はぁ、と荒い息を整えて、瞳孔を開いたまま腰にある刀の柄を握る。そのまま一気に鞘から引き抜いて「今のは何ですか!?」と煉獄さんに向かって強く声を張り上げた。

「鬼の妖術である血鬼術だ!奴等は人を喰らう為にはなりふり構わず術を使い人を襲う!」

「血鬼術…!?」

「ナマエ、ここは俺が奴を仕留める!ここに退避していろ!」

「嫌です!」

間髪待たずに強く拒否を示した私の発言に、煉獄さんは大きく目を見開いて勢いよく此方に振り返った。初陣の癖に何をそんなに生き急いでいるのか。そうとでも言いたそうな表情で眉を寄せた煉獄さんに「私が何の為にこの世界に足を踏み入れたのか、その訳を知りたいんです!」と強い口調で言葉を紡いだ。

「師範、私はあなたの継子だとさっき言ってくれましたよね?」

「あ、あぁ…そうだが」

「継子ってのは、所謂あなたの愛弟子。そういう事ですよね?」

「うむ、何を今更言ってるのかは分からんがそういう事だな!」

「そして私が扱える呼吸は炎の呼吸。そうですよね!」

「勿論だ!」

「よし、イケる!」

煉獄さんの後押しもあり、一気に脳が冴えた私は体制を低く構えて離れた場所にいる鬼へと視線を集中させた。長い息を吐き、伏せていた瞼を力強く見開く。そのまま大きく地面を蹴り上げて鬼に向かって一気に猛進して行った。

「無駄だよ、お嬢ちゃん…お前は私に此処で殺される運命だ!」

再び大きく左右に腕を広げた鬼の血鬼術が勢いを増して、迫り来る私の動きを阻止しようと地面から生えてきた無数の竹が私を襲う。刃を振るって上手く攻撃を交わしながらも、もうすぐそこまで近付いていた鬼に向かって大きく刃を振り翳した。

「炎の呼吸・肆ノ型 盛炎のうねり!」

何故急に呼吸を扱えたのかは分からない。けれど私の中に眠るかつての先祖が、鬼を滅殺させるという想いを重ねて手助けをしてくれたのだと思った。そもそもこれは先祖の記憶だ。呼吸を扱えて当然なのも納得が出来る。広範囲に広がる鬼の血鬼術を追い払うように、渦巻く炎が鬼の姿を捉えたと同時に一気に頸まで狙う。瞬き一つせず、大きく目を見開いたまま空中に高く跳ね上がった私が鬼への憎しみを刃に込めた。

「無駄な事だと……まだ分からんのか小娘ェエ!」

パァン!と大きな音をたてて鬼が再び手を叩く。すると地面から私の元まで伸びてきた大量の竹が籠の中に私を閉じ込めて一気に私の身体を呑み込んだ。あともう一押しだった自分の攻撃の勢いも弱まり、特殊な空間の中でそこに膝をついては思わず地面に頭を伏せる。

『ねぇ、どうして私は子を授かれないの?』

『ねぇ、どうしてあの女は愛する我が子をあんなに簡単に手放す事が出来るの?』

真っ暗闇な視界の中、遠くで誰かの啜り泣く声が聞こえた。手で顔を覆って、そこに蹲っている若い女性の隣には、眉を下げて何処か物哀しそうな表情で女性の背中を優しく撫でている一人の男が寄り添っている。『きっと必ず授かれる』『だからもうそんなに自分を責めるな』そう力なく呟いて、泣き止まない若い女性を必死に励ましていた。

「………あの鬼だ」

まるで何かの映画のワンシーンでも観させられているような、そんな不思議な感覚に陥った。肩を縮こませて泣き喚いているあの女性は、かつての鬼だったのだと確信する。その姿は今とは大きく異なり、ただ愛する我が子をこの腕に抱きたいだけなのだと願いを口にする、一人の若い女性の姿がそこにあった。

『子を授かれないのなら、子を奪うまでよ!』

次の瞬間、場面が切り替わって女性はあの忌々しい鬼の姿へと変貌した。その姿はあの老婆であり、そしてまた悲しみを含んだ憐れな生き物と化する。膝をついている私を暗闇の中で鋭い視線を浴びせてくる鬼の形相は例え辛い程醜く、そして涙が出る程虚しい存在だった。

「ナマエ!無事か!」

闇を引き裂くように、この異様な空間に月夜の灯りをもたらしてくれたのは煉獄さんだった。後味の悪い映像や鬼の哀しい過去。それら全てが複雑に絡まり、苦い感情を頬に流す私の泣き顔に煉獄さんは大きく目を見開いてはピタリと自身の動きを止めた。恐らく、呼吸を使ってこの空間を切り裂いてくれたのだろう。

「し、師範…っ、」

「……………」

鬼は憎い。紛れもない敵。それは理解しているのに、かつて人間だった頃の鬼の記憶がやたらと悲しかった。嗚咽を漏らしてそこに蹲る私との距離を縮めて目の前に跪いてくれた煉獄さんの大きな手が、そっと優しく私の頬を撫でる。

「何処か痛むか」

「……っ、いえ。特に何処も…、」

「そうか」

眉を下げて、煉獄さんは困ったように笑った。ポンポン、と2度最後に私の頭を撫でて「一人でよく頑張ったな」と労りの言葉をそこに残した。踵を返して鬼の姿を捉える煉獄さんの後ろ姿に「危険です!」と叫ぶ。けれども私の呼び掛けには暫くの間応答せず、煉獄さんは真っ直ぐと前を見据えて視界に映る鬼を睨んでいた。

「ナマエ、悪いがその忠告には及ばない」

「………え?」

「何故ならば俺は炎柱、煉獄杏寿郎だからだ」

そうハッキリと口にして、煉獄さんは鞘から日輪刀を一気に引き抜いた。手にしている煉獄さんの日輪刀が赫く燃ゆる。そのまま光の速さで鬼に猛進して行った煉獄さんと鬼の立ち位置からドォオオオン!と派手な衝撃音が周囲に広がった。瞬きをする暇もなくあっという間に鬼の頸を掻っ切った煉獄さんの強い視線が、夜空に吹き飛ばされた憐れな鬼の頸を視界に捉えている。ゴトン!と鈍い音を立てて横に転がっていく鬼の頸を、煉獄さんはとても冷たい視線で見つめていた。

「くそっ…!くそっ…!」

「……………」

「まだ私は…っ!何も目的を果たせてな、…!」

大粒の涙を流して、最後まで欲望を口にする鬼の頸がサラサラと夜空に散っていった。子に恵まれず、子宝に恵まれた人々を逆恨みし、その狭間で大勢の罪なき命を犠牲にしてきた反吐が出る存在だと、煉獄さんは私に教えを説いた。

「奴等に同情する余地はない」

「………はい、すみません…」

「うむ、理解したのなら良い!兎に角君が無事で何よりだ!」

自身の甘さに打ちのめされていた私を宥めるように、煉獄さんは花が咲いたように明るく笑った。そのまま私との距離を縮めてその場に蹲っている私の手を取る。闘いの狭間で少しだけ砂に塗れた隊服を叩いている私の腕を前から勢いよく引き寄せられた。すっぽりと収まった煉獄さんの大きな腕の中で、ドクドクと馬鹿みたいに心臓が早鐘を打つ。

「余り無理はしないでくれ。君は昔から頭に血が昇ると、俺の予期しない行動にすぐ移すからな」

「………はい」

後頭部に廻された煉獄さんの腕の温もりがやけに心地良い。このままうっかり眠りにでもつけそうだ。でも心臓は未だに馬鹿みたいに騒いでいるので、それを悟られまいと私は一気に煉獄さんとの距離を引き離した。不思議そうに横に首を傾げた煉獄さんの背後から、「オギャァアア!」と泣き喚く赤子の声が聞こえた。どうやら鬼が身を置いていたあの家の中でまだ命を繋いでいてくれたらしい。

「もう大丈夫だ!共に君の母親の元に戻ろう!」

薄い布に包まれて、床に泣き喚く赤子の元に2人して勢いよく駆け寄った。恐らく何らかの体力は消耗しているものの、赤子自体には特に何も問題はなさそうで、ほっと安堵の息を吐く。約束を交わすように、布の隙間から覗く小さな小指を絡めた煉獄さんと赤子のやりとりに自然と笑みが溢れた。その姿がやけに可愛くて、この人は桃寿郎君と全く同じ優しい心を持ち合わせた人なのだと確信したからだ。まだ何も人の言葉は理解出来ていないであろう赤子に「君の名は何と言うのだろうな!」と煉獄さんが声高々に叫ぶ。腕に抱えた赤子に優しい笑みを向ける煉獄さんの表情はとても眩しく、そしてそれ以上に美しかった。



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