03.敬愛に満ちる



「今日君達二人をここに呼んだのはね、ある情報が入ったからなんだ」


風に乗って充満する、藤の花の香りが鼻を掠める。正に日本古来の格式高いこの屋敷はまるで、歴史の教科書にでも登場してきそうな程の立派な建物だ。庭園に敷き詰められている小石の上に膝をついて、深く頭を下げている私の頭上に「カァア!」と鴉が泣く。煉獄さんと肩を並べて今目の前に佇んでいるこの人こそが、あの例のお館様ならぬ産屋敷耀哉さまなのだと此処に訪れる前に煉獄さんが教えてくれた。

「でもその前にナマエ、まずは君に労りの言葉を贈りたい」

「!は、はいっ…!」

抑揚があるようでない落ち着いた声と喋り方、顔の半分まで侵食されている何らかの持病の現れには初め心が痛んだけれど、それ以上に私達二人を心から信頼し、また熱い洗礼の言葉を掛けてくれるお館様に不思議と心がポワンとした。

「最終選別、よく頑張ったね。師範である杏寿郎の元で修行を積み、その結果として君は今日から鬼殺隊の一員として鬼を滅殺する重大な任務に取り掛かって貰うけれど、大いに期待しているからね。頑張るんだよ」

「は、はいっ…!ありがとうございます!」

「杏寿郎、」

「はいっ!」

「これからもナマエの事を宜しく頼むよ。彼女の事を後ろから君が支えてあげて欲しい」

「心から尊敬するお館様のお言葉、この炎柱、煉獄杏寿郎しかと受け止めました!御意!」

「うん、では本題に入ろうか」

お館様の顔を見つめていた視線を元に戻して、再び深く頭を下げては「何なりとお申し付けください!」と煉獄さんが敬意を払う。その行動を追うように、慌てて頭を下げた私にお館様はふっと小さく笑みを浮かべた。流れはちっとも理解出来ないが、この人を絶対に裏切ってはいけないと私の奥底で眠る本能が叫んでいる。冒頭の下りから察するに、恐らくこの時の私の先祖は何らかの試験に合格をして晴れて鬼殺隊に入隊をしたのだろうと悟った。

「此処から少し離れた城下町で、毎夜毎夜決まった時刻に幼い赤子だけを狙う鬼が出現するらしいんだ」

「赤子、ですか」

「………赤子、」

「どうやらその鬼は、決まって乳母車を引いている若い母親を置き去りにして絶望を味わわせるのが好きみたいでね。君達二人には近辺の調査も兼ねてその鬼を倒してきて欲しいんだ」

胸の前に人差し指を翳して、物哀しく微笑んだお館様の発言に胸が締め付けられるような鈍い感情が渦を巻いた。幼い赤子だけを狙う卑劣な犯行に、愛する我が子を誘拐していく鬼の存在に吐気さえ覚えた。この世界に足を踏み入れて色んな事が一気に目まぐるしく回っているけれど、忌々しい鬼の存在に腹が立って仕方がなかったのだ。まだ少し、心の中で鬼の存在を信じきれていない自分も何処かにいるけれど、けれどもお館様や煉獄さんが口々に吐く鬼の存在は私の胸の奥底で嫌悪感を増長させるには充分だった。

「お任せくださいお館様…そのとんでもない醜い心を持ち合わせた鬼は私が殲滅いたします」

「うむ、良い心掛けだなナマエ!共にその鬼を斬首しよう!」

「はい!」

怒りに震え、小石を強く掴んだ私の行動に見かねた煉獄さんがポン!と私の背中を叩いた。遅れをとって交わった煉獄さんの強い眼差しが「大丈夫だ!」と言っている。その表情に不思議と緊張感もほぐれた私に煉獄さんはニッコリと柔らかく微笑んだ。

「では、私からは以上。二人とも、くれぐれも気をつけて任務に当たるんだよ」

「「御意!」」

最後に優しく笑みを向けてくれたお館様に深く頭を下げて屋敷を後にしようと踵を返した瞬間、背後から「ナマエ、」とお館様に声を掛けられる。直ぐ様そこに膝をついて「はい!」と応えた私に、お館様は眉を下げて小さく笑った。

「余り無理をしないように」

「…………はいっ!」

それがどんな意味を添えて発せられた言葉なのかは分からなかったけれど、それでもお館様が私を心配して労りの言葉を掛けてくれた事だけは分かった。その場に深く頭を下げて産屋敷邸を後にする。私と肩を並べて真っ直ぐと前を見つめて歩く煉獄さんに「あの、」と何処かしら力尽きた声で話し掛けた。

「なんだ!」

「……鬼って、どうやって倒すんでしたっけ」

夕暮れの茜色の空に、カァカァと鴉が飛び回る。バサバサと漆黒の翼を広げて、ちょんと私の頭のてっぺんに降り立った例の鴉が「あんたバァッカじゃなイ!?」と叫んだ。あれだけ堂々と宣言をしておいて何なのだが、そもそも私はこの世界では初心者なのだ。恥を掻いても良い。とりあえずの対策を得たい。

「やれやれ、君はとんだ心臓の持ち主だな。まだ寝ぼけているのか」

「いえっ…あの、」

「うむ、だが良い!この俺が君に一から教えてやろう!もう安心だ!」

「は、はぁ…」

切り替えの早い煉獄さんにある意味助かった。そして帰り道さながら鬼や鬼殺隊、そして日輪刀の意味や鬼を滅殺する方法など一から十まで煉獄さんに教えて貰った。そして最後に鬼殺隊の中心となる柱についてまでも詳しく説明をして貰い、脳裏に過ったいつかの桃寿郎くんの発言に重なって、一人目を丸くしてはゴクリと息を呑んだ。

『因みに俺の先祖は代々炎柱と呼ばれていた!』

あの発言は嘘じゃなかったのだと、あの時何故愛する人の言葉を信じる事が出来なかったのかと激しい後悔の念に囚われた。煉獄さんはお館様の前ではっきりと口にした。『この炎柱煉獄杏寿郎』と。桃寿郎くんの発言を元に思考を巡らせると、此処は私の先祖が生きた大正時代であり、煉獄さんは桃寿郎くんの遥か昔に生きたご先祖様に違いない。そして恐らく私の先祖は、そんな煉獄さんの愛弟子であり、心から敬愛していたのだと推測出来る。

「師範、」

「どうした!」

「私…今無性に鬼が憎いです」

「……………」

鬼なんて、そんな得体の知れない物はこの世には存在しないと思っていた。けれど今目の前に突きつけられているこの事実に沸々と湧き上がってくる怒りを抑える事が出来ない。拳を握り、地面に頭を俯かせている私の肩に煉獄さんの大きな手がポン!と乗る。「ナマエ」と優しく私の名前を呼んだ煉獄さんに視線を戻して見上げたそこには、眉を下げて困ったように笑う煉獄さんが私を見据えていた。

「鬼殺隊である以上、皆その想いは同じだ」

「…………」

「君は君の思うがままに前に進めば良い。俺はそんな君を全力で守る!」

「れ、…師範」

思わず煉獄さんと呟き掛けた口をぐっと噤んでキラキラと輝く煉獄さんの瞳をじっと真正面から見つめた。風に舞う藤の花が私の背中を後押しするように左右に踊っている。夢だと思っていたこの世界の端くれで、先祖の記憶を頼りに私は前に進んでいくのかもしれない。一歩一歩、着実に。鬼が居ない、現代に繋がる平和な世界をただただ追い求めて。

「行くぞ!そろそろ日が暮れる!鬼が出現する時刻ももう直ぐそこまで迫ってきているからな!」

「……………はいっ!」

そう言って、最後に夕暮れの空に目を向けた煉獄さんの後を小走りで追った。炎が描かれている煉獄さんの羽織がゆらゆらと風に揺れるのを目にしながらも、置いていかれないようにと必死にその後ろ姿を追い掛けた。その狭間で、私の先祖って意外と足が早かったんだなぁと、そんなどうでも良い事を考える。鬼を滅殺する事だけを軸に組まれた鬼殺隊。それは遠い昔に本当に存在していた。そんな誇り高き部隊に所属していた自分の先祖に、最大限の敬意を払うと同時に、これから訪れるであろう残酷な世界に溜息が漏れた。

「鬼…お前達は必ず全て私が滅殺する…!」

煉獄さんから少し離れた場所で、独り言のようにそう強く誓いを立てた。大好きな桃寿郎くんに話す内容がまた一つ二つ三つと限りなく増えていく。今の所いつ本格的にこの夢から覚めるのかは不明だけれど、元の世界に戻ったその時は桃寿郎くんに教えてあげよう。あなたのご先祖様はとても誇り気高く、そしてとても勇敢な人であったと。




「可愛い子だねぇ…ほぅら良い子だ。どれ、菓子をやろう」

月が揺れる夜の街。人気の少ない道の途中で、乳母車の前に膝を折り曲げた老婆が、黒の目深い笠を被ってニタリと不気味に微笑んだ。懐に忍ばせていたであろう菓子をすっと赤子の目の前に差し出して「可愛いねぇ、小さいねぇ」と赤子の頬を老婆が撫でる。それに少なからずとも不信感を覚えた赤子の母親が「先を急いでおりますので」と乳母車ごと踵を返して来た道を引き返した。二、三歩前に進んだ所で背後から「待ちな」と老婆が叫ぶ。

「その子は置いていきな…」

「そのような事は出来かねます。お引き取り下さい」

「ふん…いたいけな老婆を愚弄すると?」

「いえ…決してそのようなつもりは…」

「あぁっ!?」

バン!と地面に手をついて、激しい動作音でそこに立ち上がった老婆に赤子の母親は「ひっ…!」と声にならない恐怖に塗れた。老婆が身に纏う黒い着物の裾が風に揺れたその時、目にも止まらぬ速さで乳母車に寝かされていた赤子の姿が消えた。何処に連れ去られたのかと母親が焦りを含んだ視線を泳がせる中、次に気付いた時には愛する我が子も、不気味なあの老婆の姿もそこには無かった。絶望に打ちひしがれた母親が、膝から崩れ落ちるかのように地面に頭を俯かせて大粒の涙を流す。その脳裏に過ったのは、まるで幻のような、どうにも受け入れ難い事実だった。

ーーー鬼だ。鬼が現れた。

絶望に打ちひしがれ、泣き崩れる母親の元に現れるのは、それから数刻後の煉獄とナマエだ。共に醜い鬼共を滅殺する為に、お館様の命を受けて標的に迫るまであと少し。鬼が蔓延るように存在するこの大正時代を生きた桃寿郎とナマエの先祖は、後に後世まで語り継がれる程多くの人々の命を救ったと、義照の先祖が書き記した『善逸伝』にも書き残してある訳だが、その意味を深く紐解くのは令和に変わった現代にまで及ぶ、遠い遠い未来の事だ。



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -