02.朝靄の中へ



「どうしたナマエ!今日はいつもより調子が悪いようだな!」


カンカン!と竹刀を振って、目の前で大声で叫んだ1人の男に唖然としてしまう。起きて早々「始めるぞ!」と言われて庭園に引き摺り出されて竹刀を握らされ、そして面と向かって謎の鍛錬が開始して約10分。早くも私は死にかけていた。そもそもこの桃寿郎君に瓜二つの彼は一体誰なんだ。恐ろしい事に顔も声も性格もそっくりそのままじゃないか。クローン人間とか!?いや、まさかまさか。有り得ないそんなの。

「あっ…!!」

あれやこれやと頭の中で考えていたせいで、手にしていた竹刀が偽桃寿郎君(仮)の突きによって空中に高く吹き飛ばされた。カランカラン!と私の竹刀が地面に横たわる。それを意味もなく呆然と見つめていた私に「集中力が足りんな!」と男が強く叫んだ。

「あの…すみません」

「なんだ!」

「此処は一体何処なんでしょうか…」

「ん?」

未だに視線を地面に向けたまま、そう小さく呟いた疑問に男は不思議そうに横に首を傾げた。答えを求めて視線を上げた私を、目を丸くして驚いたような表情で見つめている彼とようやく視線が交わる。瞳は紅く、ライオンのような髪型は、私の大好きな彼氏である桃寿郎君に瓜二つなのに。背の高さとか着ている物がまるで違う。そもそも何か…全体的に先進文明である今日の令和を感じないのは気のせいだろうか。

「まだ寝ぼけているのか」

「いや、起きてます。めっちゃ目冴えてます」

「ならば何故そんなに可笑しな発言をするんだ」

「可笑しいですか?私」

「あぁ、かなりな!」

訝しげに眉を寄せた私を真正面に捉えて、桃寿郎君にそっくりの彼は陽気な声で笑った。何が可笑しいのか不思議で堪らない。そして一向に答えは見えてこない現実に頭の中はパンク寸前だった。「眠気覚ましに顔でも洗ってくると良い!」と私の背中を押してきた手にやたらとホっとした自分に内心焦ったが、取り敢えずこれは何らかの間違い、或いはただの夢なんだと自分に言い聞かせてその場で踵を返した。二、三歩前に進んだその時、少し離れた場所から「煉獄様!ミョウジ様!失礼致します!」と威勢の良い声が2人分聞こえてきて前に進めていた足を止めてはそこに振り返った。

「頼まれていたミョウジ様の羽織をお持ち致しました!」

「うむ、すまないな!ありがとう!」

「いえっ!では此処に置いて置きますね!」

二人掛かりで腕に抱えていた荷物を屋敷の縁側に丁重に置き、瞳以外は全て隊服のようなもので隠された状態の人と、頭の被せ物は身につけていないもう1人の人が深々と私達にお辞儀をして去って行った。その1人の背中には『隠』と書かれており、あとのもう1人の背中には『滅』と書かれていた。その文字に驚いた私は思わず目を見開き、ゴクリと唾を飲み込む。恐らく私の勘が合っていれば、そう。ここは間違いなく…

「最終選別突破おめでとうナマエ!師範として俺はとても誇らしい!」

「さ、最終選別…?」

「これは俺からの細やかな合格祝いだ。受け取ってくれ!」

薄い紙に包まれている物を紐解いて、ニコニコと満面の笑みでそれを差し出される。そのまま私との物理的な距離を縮めて肩に掛けてくれた羽織が風に揺れた。下はただの薄生地の浴衣を身につけているだけなのでその姿はアンバランス以外の何者でもないが、男は「うむ、似合うな!」と嬉しそうに笑った。そしてここでようやく確信を得た。理由は分からない。何故急にこの地に降り立ったのかも不明だ。けれども私の心の中に存在している、もう一つの本能が胸の奥底で叫ぶ。

ーーこれは、遠い先祖の記憶なのだと。

「あ、りがとうございます…嬉しいです」

最終選別の意味も分からないまま、男との会話にズレが生じないようにとおずおずと小さくお礼を伝えた。私の肩にポンと手を添えて、誰よりも優しく微笑んでくれた男に心臓が飛び跳ねる。ドク、ドク、と急速に早鐘を打って心なしか頬も熱くなってくる。この屈託のない笑顔を私は知っていた。それは現代に生きる私の大好きな桃寿郎君の笑顔と、そうしてまた遠い過去に生きた先祖が恋焦がれた笑顔なのだと。そう本能で感じ取れた気がしたからだ。そもそもさっき荷物を届けてくれた人が言っていた。『煉獄様』と。だからきっと、この人は…

「あの…し、師範…」

「どうした」

「やっぱり私、まだちょっと寝ぼけているようで…」

「うむ、その様だな!それは見て取れる」

スゥと大きく酸素を吸い込んで、改めて視線を真っ直ぐと目の前の煉獄さんへと向けた。何度も見てもその顔は桃寿郎君にそっくりだ。何の曇りもない瞳を私に向けて、次の言葉を待っている煉獄さんに深々と頭を下げてこう口にする。

「めっちゃくちゃ今更なんですけど、師範の下の名前って…!」

「杏寿郎だ!」

「…………え?」

予想よりも早く反応をした煉獄さんの発言に目を丸くしてしまう。いや、そんな事より…今杏寿郎って言った?言ったよね?

「俺の名は煉獄杏寿郎だ!」

「きょう、じゅろう…さん」

「そして君の名はミョウジナマエだ!どうだ、ようやく目が覚めたか?」

ん?とでも言いたげな表情で、腕を組み下から私の顔を覗き込むようにして視線を合わせてくる煉獄さんにはっとした。急に視界の中心に現れた煉獄さんの端正な顔立ちに驚いて一歩後ろに下がる。間近で見れば見るほど彼は桃寿郎君によく似ているけれど、まじまじと観察をすれば桃寿郎君より少しだけ大人びた顔立ちをしている。恐らくだが歳は二十代前半ぐらいなのだろう。

「は、はい…!目覚めました!」

「よし!顔を洗ってきなさい」

「はいっ…!」

取り敢えず訳も分からず元気に返事だけ返しておいた。額に手を添えて軽く敬礼をした私に笑顔で頷いた煉獄さんを背に、場所も分からない洗面所を目指した。途中屋敷に住んでいるであろう煉獄さんそっくりの幼い少年に「ナマエさん、お目当ての場所は此方です」と案内をされてズカズカとそこに入る。急に登場したミニ煉獄さんの存在にも驚いたが、正直今はそれどころじゃない。室内に入り、勢いも余ってバン!と鏡が立て付けてある壁に手を添えて自分の容姿を確認してみると、そこには現代に生きる私と瓜二つの顔が映し出されていて思わず目をひん剥いてしまった。

「お、同じだ…!」

そう、全く同じ顔なのだ。てっきりご先祖様の顔を拝めると思っていたのに鏡に映っているその顔は普段の自分と何ら変わりはない容姿があった。まるで信じられない物に触れるかのようにペタペタと自分の頬に手を這わせる。……うん、同じだ。え。て事は何?昨晩母が私に言った『ご先祖様の生まれ変わり』説は濃厚だって事?いや…でも待てよ。微妙に私もいつもより顔立ちが大人びているような気もする。推定18、19歳辺りって所だろうか。よく見れば髪型もちょっと違うし…ちゃんと自分のようで自分じゃない1人の年頃の女性のようだ。

「本当に逢えちゃった…ご先祖様に…」

恐らくこれは夢だろう。それは間違いない。でも夢の中だとしてもお目当てのご先祖様に逢えた事に少なくとも私の心は踊っていた。大正時代を生き抜いた私の先祖は、かの昔から煉獄家の男に心惹かれていたのだと知れてある意味物凄く納得をしたし、そしてそれ以上に同じ共通点を見つけれてとても嬉しく思えたからだ。きっと私と同じ名前の当時のご先祖様は、あの煉獄杏寿郎さんの事が好きだったのだろうと理解した。分かるよ、カッコいいもんね。そう1人頷いてうんうんと首を縦に振る私の背後から「伝令ィ!伝令ィ!」と背後に開け放たれていた窓の隙間から甲高い声が聞こえてきてそっと視線を目の前の鏡へと戻した。

「はぁ!?何で鴉が喋ってんの…!?」

鏡越しに映るその光景に、何度目を擦っても変わりはしないその事実に派手に叫んでは踵を返し振り返った。バサバサと羽を広げて人間の言葉を喋る謎の鴉が意味不明すぎて「怖っ!」と叫んだら機嫌を損ねた鴉が一気に私の元へと飛んできて嘴でカカカ!とオデコを何度も突かれた。痛い痛い痛い…!バカなの!?

「杏寿郎ゥ!ナマエ!フタリは産屋敷邸にイケェ!」

「う、産屋敷邸…?」

「オヤカタ様がお呼びだァ!カァア!」

産屋敷邸?お館様?なんじゃそりゃ。聞いた事もないフレーズに横に首を傾げていると、廊下の向こう側でズカズカと派手な足音を立ててガラ!と勢いよく戸を開けてきた煉獄さんにまたもや驚いてしまった。いちいち動作が派手だ。そして声もデカい。そんな所まで桃寿郎君にそっくりだ。

「顔は洗い終わったか!」

「いえ、まだです!」

「時は一刻を争うかもしれん!急いで準備をしてお館様の元へ行くぞナマエ!」

「は、はいっ…!」

何が何やら意味不明だが、急かされてしまった以上言う事を聞くしか他にない。取り敢えず言われるがまま顔を洗う事にして、後の事は流れに身を任せる事にしよう。だって、どうせこれはただの夢だから。きっとあと数分後の私は夢から目が覚めて、いつも通り学校へ向かうのだろう。学校に着いたら桃寿郎君に一番に報告をしよう。私のご先祖様も鬼狩りだったよって。そして夢の中でそのご先祖様にも逢えたよって。そう、声高らかに。



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