04.月が揺れる夜長に


「今夜は満月かぁ…」


秋の夜長、とはよく言うけれど、夜長は夜長でも世間は冬真っ只中だ。はぁと息を吐くそれは先月あたりから白く変わって本格的な冬の訪れに身震いしてしまう。冨岡さんと過ごすこの地は昔からよく雪が積もるらしく、それに伴って真夜中なのに冨岡さんは家の表でせっせと雪掻きをしてくれているらしい。らしいと言うのも、つい何時間か前に2人で寄り添うようにして眠りについたのだが、寒さに堪え切れず目を覚ましたそこには何故か冨岡さんの姿はなかった。一瞬焦ったけれど遠くでザクザクと雪掻きをする音が聞こえてきたのでほっと一安心したのは、ほんの少し前の事だ。

「起きたのか」

「あ、冨岡さん…雪掻きお疲れ様です。良かったらこれどうぞ。冷めてますけど」

まん丸と光る月をぼんやりとした視線で見上げていた私の背後から、雪掻きを終えた冨岡さんが戻ってきた。一応甘酒も用意しておいたけれど、この気温のせいかそれは既に冷え切っていて余り意味を成さない状態となっている。冨岡さんは「すまないな」と言って私が座る縁側の横に腰を降ろして甘酒を啜った。が、直ぐに眉を寄せて「冷えている」と予想通りの反応を繰り返していた。

「だから言ったじゃないですか。冷めてますよって」

「甘酒とは暖かい飲み物だ…」

「あーはいはい、そうですね。でももういいやってなって途中で諦めたんですよ」

「もう一度俺が入れてくる」

内心余程ガッカリしたのか、無表情で台所に向かった冨岡さんの背中に視線を送って、再び夜空に浮かぶ満月へと視線を戻した。さっきとは打って変わって月が雲隠れをしている。その様を1人で見上げながら、そういえば冨岡さんに初めて想いを伝えた夜も満月だったなと懐かしい想いに身を馳せた。

「お帰りなさい、意外と早かったですね」

「甘酒をやめてこっちにした」

「あれ、珍しい。これ普通のお酒じゃないですか」

「あぁ…たまには良いかと思ってな」

台所から戻ってきた冨岡さんの手に握られていたのは、甘酒ではなく一升瓶の日本酒だった。少し前に酒屋で入手したそれは冨岡さんがたまに気分が乗った夜にだけ飲むお酒だ。隣からお猪口にお酒を注いであげて、ぐいっと喉に流し込んだ冨岡さんの姿を横目で盗み見をしていた。今更ながら思うけれど、冨岡さんは本当に綺麗な顔をしている。雲隠れしていた月が再び顔を覗かせて、夜空を見上げている冨岡さんの顔に月明かりが指した。影に隠れていた冨岡さんと目が合い、柔らかく笑った冨岡さんに「ナマエ」と名前を呼ばれる。

「お前も飲むか」

「えっ、良いんですか?」

「物欲しそうに見ていただろう」

「違いますー、冨岡さんを見ていたんですー」

同じ意味だろうと冨岡さんは笑っていたけれど、こっちとしては全然意味が違う。でもそれをいちいち否定するのもアレなので口を噤んで無言のままお猪口を手に取った。「はい、お願いします」と冨岡さんの前にお猪口を差し出して注がれた日本酒をぐいっと一気飲みする。美味しい!と叫んだ私に「良かったな」と冨岡さんが笑った。

「冨岡さん、覚えてます?私が初めて冨岡さんに想いを告げた夜の事」

「あぁ。今だから言える事だが…初めは何の冷やかしかと思った」

「あ、やっぱり。まぁ物凄く驚いてましたもんね。私の気持ちには全く気付いてなかったんだなぁって思いましたよ」

「お前の普段の態度では誰も気付かない」

「いや、冨岡さん以外は皆んな気付いてましたけど」

「……………」

頭に疑問符を浮かべて横に首を傾げた冨岡さんは、まさか…とでも言いたげな表情で庭に積もっている雪を見つめていた。相変わらず呆けた顔が可愛いくて呼ばれてもいないのに勝手に冨岡さんの腰回りに抱きついた。猫のように頬を擦り寄せて冨岡さんの匂いを堪能している私に、横から冨岡さんの暖かい手が伸びてきて顔に掛かった髪を払い退けてくれた。そのままくるくると自分の人差し指に私の髪を絡めて、暫くの間冨岡さんは1人で遊んでいるようだった。

「……冨岡さん、」

「何だ」

「少し寒いです」

「少しか?俺はかなり寒い」

「すみません、強がりました。物凄く寒いです」

「来い」

そこに寝っ転がっていた私の腰を捕まえて、冨岡さんが片手で軽々と私の身体を抱き起こした。そのまま2人して後ろに倒れ込んで、どちらからともなく唇を重ね合わせた。冨岡さんの上に乗って卑猥な口付けを繰り返す私の耳元に冨岡さんの「ナマエ」と少し掠れた声が鼓膜に響く。後頭部に腕を廻して愛しそうに口付けを交わす冨岡さんに胸が馬鹿みたいに早鐘を打って苦しくなったけれど、それ以上に嬉しさが勝ってただただ目の前に居る冨岡さんに全てを預けた。しんとする真夜中に、秘事のように厭らしい水音を立てて熱い口付けを交わす私達2人を遠くで月が見ている。舌を絡ませて、徐々に息が続かなくなってきた私に気付いた冨岡さんが一旦私から離れた。熱い息を吐いた私と冨岡さんの間に、冬の白い息が空中に立ち消えていく。荒い息を整えている私に、冨岡さんが口の端を上げて「熱くなったか」と小さく囁いた。

「えぇ、なりましたよ。違う意味で」

「それは良かったな」

「というか冨岡さん、ズルい」

「?何がだ」

不思議そうに目を丸くした冨岡さんに、ぷくと頬を膨らませて横に視線を逸らした。この人は昔から無意識に私をドキドキさせたり、心を鷲掴みにするのが特に上手い。それが毎回悪気はないから余計にタチが悪いですと口にしたら冨岡さんは「最高の褒め言葉だな」と言って笑っていた。そのまま腕を引かれて奥の寝室まで辿り着き、2人して一つの布団の中に寄り添うようにして抱き合った。

「俺も最初からお前に惹かれていたのかもしれない」

「………え?」

冨岡さんの胸に顔を埋めていた私が、独り言のように口にしたその発言に驚いてそこに顔を上げた。暗闇の中、視線が重なった冨岡さんが穏やかな顔で私に微笑んでいる。「どういう意味ですか?」と横に首を傾げた私に、冨岡さんは一度私の頬に唇を寄せて真っ直ぐと私を見つめた。

「あの頃、多くの任務をこなして疲弊して帰ってくる俺にお前はいつも笑顔で迎えてくれただろう」

「そうでしたっけ。多分それ…ただ冨岡さんに逢えたのが嬉しかっただけだと思いますけど」

「心が洗われた気がした。いつしかお前の顔を何度でも見たいと思うようになった」

「……………」

「俺も疎い。自分の気持ちに気付くのが遅かった」

「冨岡さん…」

満月が浮かぶ真冬の夜空には、多くの星達がここぞとばかりに輝きを放っている。その中でもより一層輝いているあの一番星は、例えるならそれは私にとって冨岡さんだ。この世で一番大好きな人の隣に寄り添って、温もりを感じれる今のこの状況に心の奥底から幸せを感じるのも、いつだって冨岡さんが私を受け止めてきてくれたからだ。そんな事を脳裏で考えて、今改めてあの頃の気持ちを口にしてくれた冨岡さんの想いに応えるように、両頬に手を添えてそっと唇を重ねてみる。啄むだけの控えめな口付けに物足りなかったのか、前から右手首を掴まれて上手いこと身体を反転されてしまった。

「冨岡さ、」

「義勇」

「………え?」

「義勇と呼んで欲しい」

「……………」

片腕でそこにバランスを取っている冨岡さんが、名前で呼んで欲しいと小さく私に呟いた。初めて出逢った時から彼は既に水柱だったのだ。恋仲とは言っても今更下の名前で呼ぶなんて流石に気が引けてしまう。少し困っている私に気付いたのか、冨岡さんが小さな息を吐いて「俺はもう柱ではない」と淡々と事実を口にした。

「いや…そうなんですけど…でも、」

「嫌なのか」

「!い、嫌な訳ないです…!」

「なら呼べ。義勇と」

「ぎ、きゆ……って、ちょっと!これかなり難しいです!普通に恥ずかしい…!」

わぁわぁと騒いでいる私が、結局ただ照れているだけなのだと気付いた冨岡さんが口の端を上げて片目だけ目を細めた。少しだけ悪戯っ子のような表情で「俺はお前と恋仲になったその日からナマエと呼んでいる」と結果論を述べてくる。それはそうなのだが…だって、恥ずかしいものは恥ずかしい。義勇なんて呼んでしまった日にはこの想いが爆発をして更に想いに歯止めが効かなくなってしまうだろうから。

「無理です…」

「無理ではない」

「恥ずかしいです…」

「耐えろ」

何の拷問だ。そんな事を考えている私の頭上からふっと優しい声が降り掛かった。顔に手を当てて真っ赤に染まった顔を隠している私に冨岡さんが「ナマエ」と穏やかな声で呼ぶ。指の隙間からチラっと視線を向けた私に、さっきとは違う優しい眼差しで見下ろしている冨岡さんと目が合った。

「ぎ、ゆう…」

「……………」

「義勇さん…」

「……………」

「義勇……んっ!」

辿々しい声で、最後に義勇と呼んだ私に倒れ込むように降ってきた彼の唇の端から熱い吐息が漏れる。再び布団に寝っ転がって口付けを繰り返す私の耳に指を這わせてきた冨岡さん…じゃなくて義勇の行動にこの身を任せては瞼を閉じた。口を開けろと吐息混じりに指示をされて、言われるがまま薄らと口を開けた私の口内に義勇の舌が侵入してくる。腰に軽く巻き付けていた紐を解かれて、中途半端に崩された和服の寝巻きから真冬の冷たい空気が肌に触れた。

「義勇…月が見てるよ」

「あぁ、見ているな」

「お酒もまだ沢山残ってるよ。2人で飲み直す?」

「その前に俺はお前とまぐわりたい」

「やけに素直だね」

「俺も男だからな」

そう言って、ほぼ半分着崩れていた寝巻きの隙間から左腕を出した義勇が艶やかな笑顔で笑った。義勇の鍛え上げられたその身体に思わず見惚れていると、目を逸らすなと言わんばかりの口付けが前から大量に降って来る。瞼を閉じて、義勇との行為に身を任せるその裏で、これまで沢山の花鳥風月を2人で一緒に過ごしてきた日々と共に振り返っていた。

花が舞い散る日も、鳥が大空を飛び回る日も、風に負けそうになった日だって、月に願いを込めては義勇との未来に想いを馳せた。大勢の人と出逢い、沢山の悲しい別れを繰り返して、皆んなで鬼のいない平和な世界を目指した。その結果、私達2人にはそう遠くない未来に人よりも早い別れが待っているけれど、永遠ではないからこそ今のこの時をより一層大切にしようと思っている。

「んっ、義勇…」

「どうした」

瞼を伏せて、私の胸を愛撫している義勇の髪に手を伸ばして、わしゃわしゃと派手に撫でた。少しボサボサになった義勇の髪が針の指針のようになっている。行為を一旦止めて、顔を上げた義勇の頬を引き寄せて耳元に唇を寄せる。そうして一つ、満面の笑みでこう囁いた。

「あのね、私…今とっても幸せだよ!」




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